残されたもの-2

「あのお嬢ちゃん、どうも胡散臭いな。絶対何か隠してるだろ。嫌な感じだなあ。そう思わないか、少年?」


 先頭を歩くキズナに目をりながら、レキはシンの耳元で囁く。


 次の日も、明るくなると軽く朝食を済ませて、一行はまた山道を歩く。もう少し、山越えが続きそうだった。

 食料問題の懸念が薄れて、シンもキズナも少し気分が良くなってきたところだが、水を差すのはこの男だった。


 キズナが先頭を歩き、その後ろにアサヒとヨツユが付き従っているのはいつものことだが、今はカイがその三人の間をうろちょろしている。前を行くキズナたちに聞かれないよう、レキはシンに話しかけてきたのだった。


「あんた、そんなことを言うなら、俺たちについてこなければいいじゃないか」


 レキの絡み方にシンも少々むっとして言い返す。キズナの言動にどこか不信を抱いていることも、神や鬼が何なのか疑問に思うことも事実だが、この男の物言いも気に食わない。少なくとも、シンにも結界が見えて、キズナと一緒にそれを修復してきたことは事実なのだ。

 そんなシンの複雑な胸中を知ってか知らずか、レキは肩を竦めながら言う。


「いいや、同行させてもらうぜ。俺はな、少年。この世界の仕組みを知りたいんだ。真実を探求するのは、人間に与えられた力だ。人の世界を守りたいのなら、やれ神様だお祈りだって迷信じみたことをやっているより、よっぽど実になると思わないか?」


 シンは答えず、ただ前を見て歩く。


 文明崩壊以前の世界では、人間は古来から蓄積されてきた知識と技術で、文明を発展させてきたという。しかし、そうやって築き上げられてきた世界は崩れ去り、培ってきた知識や技術を伝えられる人間も資源も失われてしまった。

 だからといって、探求心まで失っていいわけではないだろう。簡単に揺らいで、誰のことも信じられなくなりそうだ。そんな自分に、シンは少し嫌気が差して、それを振り払うように首を振って、またキズナの背を追ってひたすら歩くのだった。




 やがて、道は下り坂になっていった。霧が出て視界が悪くなってきたので、松明をこしらえて辺りを照らしながら歩く。お互いはぐれないよう、そして足を取られないように、慎重に足を運んだ。


「……近いわ」


 ふと、キズナが呟いて立ち止まった。


「なんだよ」


 ぶつかりそうになって慌てて足を止めたシンを振り向きもせずに、キズナはある一点を指差す。


「あっち。勾玉の気配よ」


 しかし、彼女の指さす先は、黒く枯れた木々に覆われ、暗く陰っている。結界がないのもそうだが、そもそも通れそうな道がないのだ。


「なんだ? どうした」


 レキが口を挟む。そういえば、彼にはキズナの目的を話していなかった。だが、


「ちょっと探し物」


 シンが口を開く前に、キズナが端的に答える。「ふうん」とレキは呟き、探るような目でキズナを見ている。


「どうするんだよ」


 じっと暗がりを見つめていたキズナだが、意を決したように顔を上げる。


「行くわ」

「は?」


 結界の外は生命の存在できない世界だ。それに、鬼だってまたいつ現れるかわからない。そこをどうやって行くというのだ。


「いけません、キズナ様」

「危険すぎます」


 案の定、アサヒとヨツユも血相を変えるが、キズナは意思を変える気はないようだ。


「勾玉が揃わないと、わたしの目的は達成できないもの。あなたたちは先に行って。小さい子もいることだし、ご神体まで行って安全を確保してちょうだい」

「しかし……!」

「承服しかねます」


 二人は、キズナから離れることを良しとしないようだ。


「わたしは加護があるから少しくらい平気だけど、あなたたちはそうじゃないでしょう。ま、戻らなかったらわたしも命運もそこまでだったってことよ。そうしたら、あなたたちもわたしに縛られずに、好きに生きてちょうだい」

「キズナ様……」


 どこか突き放したように言うキズナに、二人の従者は悲しげに胸元に手を当てる。


「おいおい、勝手に話を進めないでほしいな。そもそも、結界の外ではどんな生命も生きられないって言うが、それはどういうことなんだ?」


 レキがまたしても口を挟む。


「なによ。あなた、色々疑うくせに、自分で試したことはないの?」


 面倒くさそうに言って、キズナはレキが持っていた鍋の中に手を入れる。そこには、後で食べるために捕まえた魚が、水と一緒に入って泳いでいた。


 キズナはぬめる魚を少し苦労して掴むと、結界の外に向けて投げる。

 魚はきれいな弧を描いて、結界の守護の外に放り出された。びちびちと暴れながら地面に投げ出された魚は、ほんの一瞬びくりと痙攣して硬直し、みるみるうちにそのまま色を失って砂のように崩れてしまった。


 唖然としながら、あの日に見た光景と同じだと、シンは思った。集落の人間が消えていった、あの時と。

 その信じがたい光景を見て、カイは怯えたようにレキの服の裾を掴んだ。だがレキは、


「どういう原理なんだ……?」


 驚愕に目を見開きながらも、口元を手で覆って呟いている。


「わかったでしょう? 理解したなら、余計なことをしないでちょうだい」


 キズナはちらりとそんなレキを見て、シンに向き直る。


「あんたの持ってる勾玉、貸してくれない? 戻ってこられなかったら悪いけど、それがないと正確な場所がわからないだろうから。それに、道返玉ちがえしのたまの力があれば、結界の外にでも活動できるし」


 衝撃から抜け出せないまま、シンは笛と、それに結わえられた空色の勾玉を取り出す。

 霧の中で、それは淡く光っていた。しかし、シンの手を離れると、それは光を失ってしまったのだった。


「……っ、わたしじゃだめだっていうの……?」


 キズナは顔を歪めて呟く。勾玉をシンの手に押し付けるように戻すと、それは再び光を取り戻した。


「……しょうがないわ。だいたいの方角がわかればいい」


 そう言って一人歩み出そうとするキズナの背中は、ひどく辛そうに見えた。だから、


「俺も行く」


 シンは思わずそう宣言していた。

 キズナは目を見開く。


「何言ってるのよ。見たでしょう。結界の外に出たら死ぬのよ」

「この玉の力があれば大丈夫なんだろう。だったら、俺も行ってやるよ」


 正直なところを言えば、怖い。けれど、不思議となんとかなるような気もした。崩壊する結界の中で一人残された時もそうだったのだから、きっとこの勾玉の力だったのかもしれないと、今にして思う。


「本当に……?」


 キズナの瞳が、これまで見たことのない揺れ方をする。それを正面から見返して、


「ああ」


 シンはゆっくりと深く、首を縦に振った。

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