旅路は遠く-2
捕まえよう。
シンが真っ先に思ったのは、それだった。この鶏がどこから来たのか知らないが、今は自分たちの腹を満たすことが最優先だ。
肉にして食べるのは可哀想だし、
「放っておきなさいよ。卵を産ませるにしても、餌をやって面倒を見ないといけないじゃない。そんな余裕こそないわよ」
キズナがシンの考えを読んだように囁く。シンは一瞬むっとするが、言われてみればその通りだ。
「じゃあ、捌いて肉にすれば……」
「それはもっとだめ。少なくとも、この場では」
「なんでだよ」
そんなことを言い合っている間にも、鶏は人に馴れているのか、シンたちを警戒する様子もなくてぽてぽと近寄ってくる。
シンは腕を広げて、鶏が近寄ってくるに任せる。もう少し、手が届くところまで来たら一息に捕まえて――。
しかし、あと一歩のところで、
「ケコ!」
新たな声が割って入る。鶏はその声に振り向き、ぱたぱたと身体を揺らしながら駆け戻っていく。
暗がりから現れたのは、五、六歳くらいに見える小さな男の子だった。あまり栄養状態がよくないのか、痩せぎすで、短く刈り込んだ黒髪はぱさついて見える。男の子は鶏を抱き上げ、焦げ茶色の瞳を不安そうに揺らし、こちらを見ている。そこへ、
「おっと、こんなところで人に会うとはな。珍しいこともあるもんだ」
更にその後ろから姿を現したのは、二十代半ば程の青年だった。薄墨色の短髪に、灰色の瞳。背丈はシンよりも頭半分くらい高い。男はキズナたちと出会ってからも何度か聞いた台詞を口にしながら、人の好さそうな笑みを浮かべて、火の側までやってくる。
「ここで会ったのも縁ってやつだろう。すまんが、今晩はご一緒させちゃくれないか?」
そう言われて、拒否する理由はない。シンとキズナの邂逅が
「ええ、どうぞ」
キズナは少し警戒した様子でぎこちない笑顔を浮かべつつ、その二人を迎え入れた。
「俺はレキ。君と同じく、珍しいものを探しながら旅する、物好きってところだ。で、あの子はカイ、あの鶏はケコっていうらしい」
レキと名乗った男は、一行の輪から外れ、鶏を抱えて大岩の側でうずくまる少年を指す。
「坊主、そこじゃ寒いだろう。もっとこっちへ来な」
しかし、カイというらしい少年は、俯いたまま動こうとしない。
「……あの子はどうしたんだ?」
シンは怪訝な顔でレキに尋ねる。
「この先のご神体の近くで会ったんだが、どうやらこの子が住んでいた集落に、鬼が出たらしくてな」
キズナがぴくりと眉を寄せる。
「俺もやっと聞き出した話を繋ぎ合わせた推測だが……」
レキはそう前置きして続ける。
今日の昼間、レキは旅の途中、道端でうずくまって泣いているカイを発見した。どうしてこんなところに一人でいるのか、何があったのか聞き出そうとしたが、泣いてばかりで、かつ幼さゆえの言葉の拙さで、自身の状況をうまく説明できないようだった。
なんとか聞き出した話から察するところによると、カイ少年は住んでいる集落を時々抜け出し、近くのご神体まで木の実や薬草を採りに行っていたらしい。今日も鶏のケコを連れて、そのために集落を離れており、戻ろうとしたところ――。
「集落を、鬼が襲うのを見たらしい」
そして、帰る場所を失ったカイを、レキはともかくどこか安全なところまで送ろうと連れてきた、ということらしかった。
初めて間近に迫った「鬼」という存在に、シンは息を呑む。
しかし、どういうことだろう。鬼は結界の外、瘴気の中を跋扈していて、結界の中は安全なのではなかったのか。
しかし、シンは結界に綻びが生じるという、最近知ったばかりの事実を思い出す。その綻びから、鬼が侵入したということだろうか。
「なあ、お嬢ちゃん。あんた、巫なら、どうにかできねえのか? 鬼を退治するとか、結界を元通りにするとか」
キズナは話の間、揺れる炎にじっと目を落としていた。一瞬だけちらりと視線を上げてレキを見遣るが、また焚火を見つめる。
「無理よ。一度失われたものは、元には戻せないの」
ぼそりと力なく言って、焚き火に小枝を放り込む。それから鶏の名前を呼んで以降、一言も発しない少年に目を向けて、一つ
キズナは少年の側まで行くと、膝を付いて目線を合わせた。
「少年、辛いだろうけれど、あなたがそんな顔をすることを、あなたの家族も友達も望んでいないはずよ。それに、塞ぎ込んでいては、悪いものを引き寄せてしまうわ」
カイは一瞬だけ顔を上げてキズナを見たが、またすぐに鶏の羽毛に顔を埋めた。ありきたりな慰めは、きっと今の彼には届かないだろう。
キズナは少しの間、少年のそんな様子を見つめていたが、やがて溜め息を吐くと、火の側まで戻って来る。
「アサヒ、あの子に毛布を貸してあげて」
そう言うと、キズナは自分の毛布を取り出し、アサヒに差し出す。
「……御意に」
アサヒは動こうとしない少年の身体を、毛布でくるんでやった。
キズナは残りの二枚の毛布を広げ、アサヒとヨツユに両側に来るよう促す。どうやら、今夜は三人固まって眠るつもりらしい。
「……何よ。もう寝るわよ。後のことは、明るくなってから考えましょう」
この辺りは柔らかい草が地面にたくさん生えているので、そのまま横になって寝られないこともなさそうだった。女性陣三人は、キズナを中心に並んで毛布を被る。
その様子を見て、シンもハヤテに括りつけていた毛布を広げ、いつものようにハヤテの背を枕にさせてもらって目を瞑ろうとしたところ、
「俺もご一緒させてもらってもいいかい?」
レキが図々しく、ハヤテを挟んで反対側にやってくる。
「……ハヤテが嫌がらなければ」
男二人に寄りかかられては重いだろうし、ましてさっき会ったばかりの人間に近寄られるのは嫌だろうと思ったのだが、当のハヤテは気にしていないようだった。たらふく草を食べられて、機嫌がいいのかもしれない。
であれば、仕方がない。受け入れて今度こそ目を閉じようとした時、レキが再び小声で話しかけてきた。
「なあ、少年。君は、巫の力についてどう思う?」
シンは視線だけ動かして、横目で男を見遣る。
「……どうって?」
「不思議に思ったことはないか? 結界の外は生き物が生きていけない世界だというが、見えもしない結界とやらにどんな効果があるっていうんだ? 瘴気とは何だ? 鬼はどこから来る? 巫たちが、結界を維持しながら、鬼を倒して人間の世界を取り戻そうとしないのは何故だ? 考えればキリがない」
男は途中から自分の言葉に酔ったように、ぶつぶつと呟く。
言われてみれば、その通りだった。ご神体には感謝の祈りを捧げる。結界の外に出てはいけない。シンは母に言われたことを信じていたし、この世界の人々も、そう言い聞かされて育ってきたはずだ。
それを今まで疑問に思わなかったのは、自分が能天気だということなのだろうか。しかし、信じていたことを否定されたような気もして、面白くない。
だが、考えてみようとしても、睡魔が襲ってきて、その疑問は一旦眠りの中に消えていった。
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