清めの儀式-3
集落の中央には、小さな祠があった。キズナはその前に立ち、静かに佇んでいる。シンは笛を取り出し、その傍らに控えていた。アサヒとヨツユは、この間特に仕事はないのか、キズナの着物や髪を整えてやった後は、見物に回っている。白蛇も、今は彼女たちのところにいた。騾馬のハヤテも、近くの木に繋いであり、何が始まるのだろうと、好奇心に輝く瞳でシンを見ている気がする。
十数人の集落の住人がその周りに集まり、さわさわと囁き合っている。何人かは、キズナの側で待機しているシンを、好奇と不審の混じった目で見ていた。なんとも居心地が悪い。
やがて、キズナは一つ呼吸を整えると、右の手に持った扇を広げて、大きく振った。同時に、シンも笛に息をすっと吹き込む。
その瞬間、さざめいていた人々が、息を呑んで静まり返る。
キズナは着物の袖と髪をなびかせながら、しなやかに、しかし力強い舞を披露する。シンも、それに合わせて旋律を紡いだ。
舞いながら、キズナは朗々と歌い上げる。
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ
舞と歌、それに笛が一体となって、辺りに清らかな風を振りまいていくようだった。
そして、キズナが一歩足を踏み出し、あるいはシンが一つ音を奏でると共に、そこから生まれた力が結界の綻びに吸い込まれていき、崩れかけていたようなそこを塗り固めていく。
そして、舞と笛の共鳴が最高潮に達した時、ふわりと一陣の風が吹き、空へ立ち上った。その風が雲を少しだけ払い、その隙間からほんの一瞬だけ、雲の向こうの景色を見せてくれた。
それは、青――遠くまで続く、澄み渡った青だった。
舞を終えると、キズナは先程の若い女の元へ、しずしずと歩み寄る。
そして、懐から小さな鏡を取り出し、彼女の腹に向けた。
「ひふみよいむなやここのたり――ふるべゆらゆらとふるべ――」
何かの呪文のような不思議な響きの言葉だったが、意味はわからない。しかし、鏡が淡く光り、その光の一部が、女の腹に吸い込まれていくのが見えた。その光景が他の人間にも見えていたのかは、わからない。
「この子に、幸いがありますように」
そう言って鏡をしまい、それで儀式は終わりのようだった。
「ありがとうございます、巫様」
「生まれたら、また顔を見に来てやってください」
夫婦はキズナに何度も頭を下げ、感謝を述べる。
「ええ、きっと。元気な子を産んでくださいね」
キズナはそれににこやかに応じるのだった。
「なあ、最後のあれは何だったんだ?」
ハヤテの手綱を引いて歩きながら、シンは少し前を行くキズナに問うた。その後ろを、アサヒとヨツユが影のようについて来る。
「……赤ん坊が健康に生まれてくるように、お祈りよ」
キズナは振り向きもせずに答える。
その態度にどこか釈然としないものを感じながらも、それ以上何も言うつもりがなさそうなキズナの背中を見つめつつ、黙々と歩く。
清めの儀式の後、シンはキズナと共に住人たちからたいそう感謝され、貴重な干し肉などの食料や、塩や砂糖も分けてもらった。これで、旅の間の食事が少し豊かになる。
一晩くらいあの集落でゆっくりしてもよかったと思うし、住人たちもキズナたちを引き留めようとしたのだが、キズナが「先を急ぐので」と言って、さっさと集落を出てきてしまったのだ。シンもそれに強引に付き合わされた形だった。すっかりキズナの仲間のように思われてしまい、キズナは住人たちから巫として絶大な信頼を得ることに成功しているようだったので、無関係の他人として振舞うことができなくなってしまったのだ。
そして今、彼らは来た方とは反対側から集落を出て、シンは行く予定だった方向に進み、キズナたちはおそらく、また来た道を戻っている。
「これからどこに行くんだよ?」
問いかけると、キズナはぴたりと立ち止まって振り返る。
「あんたの笛に付いてる勾玉、見せて」
藪から棒に言われて、シンは思わず身構える。
「
相変わらず有無を言わさない口調のキズナだか、険は少し取れているように感じた。シンはしぶしぶ笛を取り出し、キズナに見せる。
キズナは軽く目を閉じ、笛に括りつけられた勾玉に手をかざす。
「聞こえない? 勾玉同士が呼び合う声が」
そう言われて眉を寄せながら、同じように勾玉に意識を集中してみるが、シンには何も聞こえなかった。
「……あんたの力って、中途半端なのね。清めの儀式はできたのに、どうしてかしら……」
またしても独り言のように呟くキズナ。どうやらこの少女には、こうやって自分の思考に没頭する癖があるようだ。
「この
……あんた、地図を作っているんだったわね。見せて」
言われて、シンは笛をしまい、地図を取り出す。アサヒとヨツユもそれを覗き込んだ。
シンが数年をかけて作ってきた地図は、中央部がほぼ空白だった。正確な測量などできないが、だいたい合っている自信はある。どこからもある一点へ向かう道が開けておらず、気が付けば地図は中央部分が空白になっていたのだ。時々手に入る、他の旅人が作った地図にも、空白部分を埋める情報はなかった。
キズナはその部分を指差す。
「
シンは首を縦に振った。
「勾玉が集まれば、おそらく道も開けるわ。……時間がないの。行くわよ」
それだけ言うと、キズナはさっさと歩き出す。どのみち、ぐずぐずしていては日が暮れてしまう。先を急がなければならないのは本当だった。
『旅の道連れは多い方が楽しい。よろしく頼むぞ、小僧』
キズナの襟元から、白蛇が顔を出す。
「シンだっつってんだろ」
なんだか流される形で彼女たちに同行しているが、先程の清めの儀式で雲間から見えた青が、シンは忘れられない。
あの空をまた見ることができるのなら、しばらくこいつらに付き合ってやるのも悪くないかと、シンは思った。
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