清めの儀式-2

 この隙に彼女たちを置いて出発してしまおうかとも思ったが、物資の補給も邪魔されたし、このまま旅を再開するのは心許ない。

 こいつらは一体どういうつもりなのかと胸中でぶつくさ文句を言っていると、背後にキズナがゆらりと立つ。アサヒとヨツユは、少し離れた場所から、二人を見守っている――というか、シンを見張っている。


「ねえ、あんた」


 人目がなくなった途端、キズナのシンへの態度は元に戻っていた。まったくなんなのだと、シンは面倒くさそうに振り返る。


「あれが見える?」


 何を考えているのかわからない妙に凪いだ瞳で、キズナは空の一点を指差す。

 あれと言われても、いつもと同じ、灰色の空があるだけだと思ったが。


「よく見て。あんたの力が本物なら、見えるはずでしょ」


 言われて、目を凝らす。すると、集落の上を覆うように、薄い光の膜のようなものが広がっているのが見えた。


「そう。あれが結界。わたしたちをを守るもの。……でも、もっとよく見て」


 言われて更に目を眇めると、光で編まれた結界の一部に、暗く澱んだ綻びのようなものがあることに気が付いた。


「……ふうん。やっぱり見えるんだ」


 キズナは地面に視線を落として、顎に手を当てる。


『ふむ。昨日修復したばかりだというに、もうあのような状態とは。よくないのう』


 ずっといたのか、白蛇がキズナの懐から顔を出した。シンは少し後ずさりかけたが、努めて冷静を装う。


「おい……。なんなんだよ、あれ」


 言うと、キズナは呆れたような顔をした。


「なによ。あんた、その意味を知らないで笛を吹いてたの?」


 小馬鹿にしたように嘆息してから、改めて口を開く。


「この世界は瘴気に満ちていて、結界で守られた場所でないと、人は生きていけない。そこまではいい?」


 シンはこくりと頷く。結界と言っても、実際に壁で仕切られているわけではない。けれど、結界の外には草一本生えていないから、そこに生命が芽吹かないというのは本当なのだろう。


「結界は、ご神体に封じられた神の力によって形成されている。でも、時間が経つと力が弱まって、結界に綻びができてしまう。だから、定期的に儀式を行って修復している。そのために《中央セントラル》から派遣されているのが、わたしのような巫よ」


 《中央》なんて、聞いたことのない名称だった。しかし、ともかく結界を修復する儀式というのが、舞を舞ったり、笛を吹いたりすることらしかった。

 この笛は元々母が持っていたものだが、記憶にある限り、そんな意味があるなんて聞いたことがなかった。ただ、その奏でる音色が美しくて、とても好きだったのを覚えている。


「……俺の母親も、その巫だったってことか?」

「それよ! ねえ、あんたの母親の名前は?」


 勢い込んで尋ねられ、シンはやや気圧されながら答える。


「……アオイ」


 答えると、キズナはまた腕を組んで考え込む。


「データベースにあった月読ツクヨミの巫の名前で間違いないわ。でも、巫に子供なんていないはずなのに……。どこかで拾った孤児を自分の子として育てた? でも、どうしてそんなことを……」


 ぶつぶつ呟くキズナは、完全に自分の思考に没頭していた。しかし、母と思って一緒に暮らしてきた人が、本当の母親ではないと言われているようで、シンは面白くない。

 そのまま埒が明かなくなりそうだったので、シンは浮かんだ別の疑問を口にする。


「巫ってのは、もっと他にもいるのか?」


 いくら人類の勢力圏が狭まったとはいえ、人の住む場所がどれくらいの規模なのか、正確な資料はない。巫たちが何人いて、どんなふうに活動しているのか、想像もつかなかった。

キズナは思考の海から戻って来て、悲しげに嘆息する。


「……昔はもっとたくさんいたんだけどね。皆いなくなっちゃった」


 キズナは遠くを見るような目をする。シンより年下の少女のくせに、その目は世の中の憂いや悲しみを見つめ続けてきたような、老成した雰囲気を感じた。


「ねえ、あんたはどうして、意味も知らなかったのに笛を吹いていたのよ?」


 責めるでも小馬鹿にするでもない、真摯な問いのような気がした。だから、思わずシンも答えていた。


「……母親が、そうしろって言ったから」


 口に出して、親離れできない子どものような台詞のようで恥ずかしくなったが、もう遅い。突然別れることになってしまった母と、そうやって繋がることができる気がしているからだなんて。

 しかし、キズナはふうんと呟いて、また何か考えるような仕草をし、やがて顔を上げた。


「ともかく、昨日はあんたの笛で清めの力が増幅した。その笛が真実あんたのもので、その力が本物だって言うなら、もう一度吹いて、証明してみせてよ」


 有無を言わさぬその口調に、シンは逃げるのも面倒なので、とりあえず付き合ってやるかと首肯したのだった。

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