清めの儀式-1
ちりちりと視線が背中に突き刺さる。たまりかねて、シンは砂を踏みしめて振り返った。
「おい、お前らいい加減にしろ! ついて来るんじゃねえ!」
シンは明るくなり始めるのと同時に起きて、眠い目をこすりながら火の始末をして旅を再開した。キズナたちの一行とは関わらないつもりだったのだが、あちらもシンの動きを早々に察知して追いかけてきたのだった。
「あら、何を言っているのかしら。あんたについて行ってる覚えなんてないわ。一本道だもの。あんたがわたしたちの前を歩いてるだけよ」
シンはぎりりと歯噛みした。昨晩の殺意は消えているようだが、白々しいにも程がある。しかし、何を言っても聞かなさそうなので、勝手にしろと言い捨てて、彼女たちの存在を意識の外に抹消しようと努力する。
そうやって時々小休憩を入れながら歩き続けること、数刻。視線の先に、建物らしき影が見えてきた。
キズナたちを除けば、数日振りの人の気配だ。人の声と、生活のにおい。誰にも会わずに旅を続けていると、時々世界に一人だけ取り残されたような気分になってしまうから、この瞬間はいつも嬉しい。
周囲の空気が変わり、集落の結界の中に入ったのだと感じる。畑を耕したり、家畜の世話をしたりしている大人と、その間を走り回る子供の声。人の暮らす集落だ。シンは立ち止まって、その空気を胸いっぱいに吸い込む。旅は長く、辛いものだが、シンは自分以外の人間の存在を実感できる瞬間が好きだった。
文明崩壊後の世界を生き残った人々は、結界に守られた土地の中で、こうやって細々と、しかし逞しく生きている。集落には、旧世界の建物を改造したり、石や木材を寄せ集めて作った粗末な家が数件並んでいる。
見たところ、ここの人口は十数人程度のようだ。シンが見たことのある他の集落も、人口は多くても二、三十程度のところがほとんどだった。生まれる子供の数が多くないし、決して広くはない土地で収穫できる食料では、例え人が増えても養い切れないのだった。
外からやってきたシンに、集落の人々気付いたようだ。
「ちょいと邪魔させてもらうよ」
シンは近くにいた中年の夫婦に、軽く挨拶をする。
「おや、こんなに毎日外から人が来るなんて、珍しいこともあるもんだ」
「そうだねえ。何十年か前は、商人や旅人がものを運んできて、
行く先々でそんなことを言われることから察するに、外から来る人間に対する忌避感は薄いのだろう。
集落を離れることは危険だが、それでも狭い世界に居心地の悪さを感じたり、好奇心故に外に出たがる人間は一定数いて、そうした人間は旧世界の遺物を集めたり、ご神体の周囲に生息している珍しい植物を採取してきたりするので、ありがたがられている。
「こっちには化膿止めに胃薬、消毒に使える薬草なんかも揃ってるよ。ひとまず、食料と交換してくれるとありがたいんだが」
シンが荷物を広げて、いつものように行商を始めようとしたところ、集落の住民たちはシンの背後に声をかけた。
「おや、巫様」
「何か忘れものですか?」
その声は、シンの後から集落に入ってきたキズナたちにかけられたものだった。
キズナはすました笑顔でその場にいた人々に一礼すると。
「ええ、ちょっと。そちらの方が遭難しかけておりましたので、安全な場所まで送って差し上げようと」
先程までの剣呑な気配を、涼やかな声で覆い隠したキズナは、しれっとそんなことを言って、優雅に微笑んでいる。住人たちはそんなキズナを見て、なんてお優しい、流石は巫様だ、と言い合っている。
シンは顔をしかめて奥歯を噛んだ。
ここまでは、しばらく一本道だった。そして、彼女たちはシンとは反対方向から来て、昨日鉢合わせた。つまり、シンの行く方向についてきたということは、キズナたちは来た道を戻ってきたということだ。この集落の人々にとっては、昨日ぶりということだろう。
何がしたいのかわからないが、人目の多い場所で滅多なことはできないだろうし、昨日のようなことは起きないだろう。一晩くらいはゆっくりしたかったが、用が済んだら彼女たちを置いてさっさと出発しようか。
そう思った時、
「ちょうどよかった、巫様! 実は、うちの奥さんが、妊娠したみたいって言いだして。昨日のうちに言っておけよって思ったんですが、戻ってきてくださってよかった。どうか、祝福を与えてやってください」
粗末な建物から、若い男女が顔を出す。女の方は、体調があまりよくないのか、男に寄りかかるようにして立っている。
「あら、めでたいこと。この時に再会できたのは、わたしにとっても、あなたたちにとっても幸運なことです。ではさっそく、お腹の子のためのお祈りと、せっかくですから、もう一度清めの儀式をやっておきましょうか」
少し準備をするからと言って、キズナは集まっていた人々を一旦解散させた。
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