舞と笛-3

 どこからともなく聞こえてきたその声は、少女のものとも、二人の女のものとも違う声だった。男とも女ともつかない、中性的な声だ。

 一体何だと思っていると、少女の襟元から、白く細い蛇が顔をのぞかせたのだった。シンはその気味の悪い姿に、思わず顔をしかめて後ずさる。


『ご神体の見える範囲で、刃傷沙汰はご法度だぞ。それに、穢れに触れては、そなたは力を失ってしまう』


 その言葉に、少女は唇を噛み、刃を下ろして鞘に納める。しかし、瞳の険は消えない。


『血の気の多い娘ですまんな、小僧。許してやってくれ』


 その声は、間違いなくその蛇から発せられていると思われた。だが、耳から聞こえるというよりは、頭の中に直接響いてくるような、奇妙な感覚だった。


「……ユイの言葉も聞こえるなんて……。どういうこと?」


 少女はそっぽを向いてぼそりと呟く。どういうことだと聞きたいのはこちらの方だが。


『まあ、ここで出会えたのも縁というやつだろう。小僧、名は何という?』


 白蛇は、小さな鋭い牙の生えた口からちろちろと赤い舌を見せる。蛇に表情があるのかは不明だが、笑っているように見えた。

 こんな得体の知れない奴らに名乗る義理はないと思ったが、とりあえずシンは名乗ることにした。


「……シンだ」

『そうか。よい名だ』


 そう言われて悪い気はしない。この名も篠笛も、母が遺してくれた大切なものだ。


『わしはユイと呼ばれておる。あれはキズナ、あっちの二人はアサヒとヨツユだ。名を付けられ、呼んでもらえるというのは、いいものだな。のう、キズナ』


 ユイというらしい白蛇は、キズナと呼んだ少女に顔を向ける。しかし、キズナは憮然としたまま、先程の凶行を謝罪する様子もない。


「名乗る必要なんてないでしょう。あんたのその笛と勾玉をこちらによこしなさい。それだけあれば、あんたに用はないんだから」


 腕を組んで悪びれもしないキズナに、シンは苛立ちを募らせる。


「お前らが何なのか知らねえが、この笛は大事なもんだ。よこせと言われてはいそうですかと渡せねえんだよ」


 踵を返そうとしたシンは、はたと立ち止まって舌打ちを漏らす。一刻も早くこの場を去りたい思いでいっぱいだったが、辺りはすっかり薄暗い。早く火を焚かねば、手元も見えなくなってしまう。何より、夜は動かない方がいい。

 ともかく、こいつらからは少しでも距離を置こうと、古木から少し離れた場所に荷を置いて陣取る。

 それを見て、アサヒとヨツユというらしい黒装束の二人も少女を促す。


「火をおこしましょう、キズナ様」

「野営の準備をしませんと」


 それぞれ枯れ枝を拾って焚火を作り、一旦その場は手打ちとなったのだった。




 辺りはすっぽりと夜の帳に覆われていた。


 星もないので、焚き火に照らされる範囲の外は、真の闇だった。シンは星というものの存在を古い資料で知ったが、もちろんその目で見たことはない。この世界は、そんなものばかりだ。生きている間に、そのうちの一つでも自分の目で見ることができたらいいのにと思う。


 暗闇の中で、二つの明かりが揺れている。その正体は、二つの焚火だった。

 一つはシンが熾したもの、もう一つはキズナというらしい少女たちのものだった。古木に燃え移らないように少し距離を空けているが、二つの焚火の距離はそれより遠い。出合い頭にあんな対応をされて、友好的な態度に出られる理由がシンにはなかったし、向こうも――主にキズナが、態度を改める気はないようだった。


 キズナはちらちらとこちらをうかがっているが、目が合うと眉間に皺を寄せてねめつけてくる。アサヒとヨツユは、キズナの方針に従う心積もりなのか、同じようにシンに敵愾心とまではいかないが、友好的な態度は見えない。

 唯一、ユイと呼ばれている白蛇だけが、懐っこく近付いて来る。


『小僧、こちらへ来ればよいではないか』


 白蛇はキズナの元を離れ、シンの足元へしゅるしゅると這い寄ってくる。


「小僧じゃねえ。シンだ」


 得体の知れない生き物に小僧呼ばわりされるのは、納得がいかない。というか、名前を聞いたくせに呼ばないのかと、釈然としない思いが残る。


 あちらの陣営は鍋や食器を取り出して料理をしているようで、良い匂いが漂ってくる。シンとは違って、手持ちの道具や食材も豊富なようだ。昼と同じ携帯食をかじりながらちらと見た時、シンの荷物からはとうに尽きた干し肉らしきものが見えた。雑穀を煮て粥を作り、そこに干し肉や食べられる草やらを入れている。

 旅の食事にしては贅沢な部類だ。口の中に唾がわいてくるが、


「遠慮させてもらう。あっちも嫌そうにしてるだろ」


 だいたい、シンは男で、あちらは年下のガキといえど、女性だ。そういう意味でも、近付かない方がいいだろう。


『まあ、ここで会ったのも何かの縁というやつだろう。道中は人に会うこともなくて寂しいものだし、一つ仲良くしようではないか』


 白蛇はからからと笑いながら(シンにはそう見えた)平然とそんなことを言うが、シンは到底そんな気にはなれない。


「そんな得体の知れない奴に近寄らないで、ユイ。何をされるかわかったもんじゃないわ」


 キズナは白蛇を呼び戻そうとするが、白蛇は器用にするするとシンの身体をよじ登り、肩にちょこんと乗った。


「うわっ」


 布越しだが伝わってくるひんやりした感触に背筋がぞわりとし、のっぺりした顔と血のような深紅の目、小さいが鋭い牙が目の前に来たのに驚いて、シンは思わず白蛇を手で払いのけてしまった。しまったと思ったが、白蛇は上手く受け身を取ったのか、柔らかい草の生えた地面の上を一回転し、泰然としている。


『おっと、威勢の良い小僧だのう』


 しかし、それを見たキズナは血相を変えてやって来て、白蛇を懐に抱える。白蛇に大丈夫かと声をかけたあと、瞳に一層険を乗せて、シンを睨みつけた。


「なんてことするのよ! 不敬だわ! 万死に値する!」


 シンも流石に、最前の己の行動に罪悪感を覚える。


「悪かったって……」


 だが、キズナはシンの言葉を受け入れるつもりなどないようだ。更にまくし立てる。


「白蛇は神聖なものよ。知らないのなら、無知を恥じ入って謝罪しなさい。そして、そのひとはかんなぎたるわたしと共に、この世界の結界を維持している高貴な存在なのよ。頭が高いわ、控えなさい。そもそも、今は蛇の姿をしてるけど、の本質は蛇じゃないんですからね!」


 キズナはびしりとシンに人差し指を突き付ける。


『そのくらいにしておけ、キズナ。そうつんけんしては、まともに話もできんだろうに』


 表情の変わらない白蛇だが、呆れたような顔が見えた気がした。


「話なんて必要ないわ。こんな奴の情報、データベースになかったもの。その笛も、巫から奪ったに違いないわ!」


 まるっきり泥棒扱いだった。シンはむっとして言い返す。


「お前、一体何なんだよ。この笛も玉も、母親から譲られたもんだ。お前がなんでこれを欲しがるか知らねえけど、渡せねえって言ってんだろ」

「母親ぁ?」


 キズナは思い切り怪訝な顔をする。


「巫に子供なんているわけないし……。じゃあその笛と勾玉はどこから……? 本人から奪った……でも一般人に価値があるものでもないし……」

「おい……」


 ぶつぶつと勝手なことばかり言うキズナに、シンは抗議の声を上げようとする。

 しかしシンをねめつけていたキズナは、ふと何かに気付いたかのように動きを止め、まじまじとシンを見つめてくる。


「あんた、何者……?」


 全てを見通そうとするかのように、黒い瞳の中に炎が揺れる。その時、


「キズナ様、お食事の用意ができました」

「明日も歩くのですから、早く召し上がって休みましょう」


 険悪な二人を見かねたのか、もう一つの焚火の側からキズナを呼ぶ声がする。


「……」


 キズナは釈然としていないような様子のまま、白蛇を抱えて背を向けた。そのままあちらで食事を始め、時折視線は感じるものの、必要以上に睨むのはやめたようだ。

 居心地は良くないが、夜の間は動くこともできない。明るくなったらさっさと出発しようと決めて、シンは毛布にくるまり、草を食んで既に横になっていたハヤテの背を借りて目を閉じた。

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