舞と笛-2

 地図は度々書き変わる。何年も旅をしていれば、同じ場所を巡ることもあるが、以前はあった道がなくなっていることもままあった。その先にあったはずの集落がどうなっているのか、シンは知らない。


 歩き続けてあたりが薄暮に包まれ始めた頃、ようやくご神体が見えてきた。それは、遠目にも見える、天にそびえるように立つ巨木だった。

 一様にご神体と呼ばれているが、その形は様々だ。祠が建てられているところもあれば、旧文明時代から生き残っている大きな木や、巨大な岩などに注連縄が巻かれているものもある。


 しかし、形はどうあれ、その一つ一つに神が宿り、人間の住む土地を守ってくれているのだ。近付くにつれて、空気が澄んで、水の匂いがするのがわかる。

 日が暮れると一気に気温が下がるので、早く火を熾さねば凍えてしまう。そして、夜は瘴気が濃くなり、鬼の力が増す時間だ。結界の中とはいえ、ご神体から離れだ場所にいるのは望ましくない。


 ひとまず今晩はゆっくり休めると少年は安堵したが、その大樹の根元に先客がいることに気付いた。


 それは、シンよりいくつか年下に見える少女だった。白い着物に緋色の袴という鮮やかな出で立ちが、灰色の空とくすんだ大地を背景に際立って見える。

 少女はゆるやかな動きで、腕を伸ばしたり、身体を回転させたりしていた。まるで、舞を舞っているようだった。ゆったりと腕を振る度に、着物の袖と、背中の中ほどで括った長く艶やかな黒髪が円を描くように揺れる。


 たおやかな動きとは裏腹に、少女の眼差しは真剣そのものだった。扇を持った手は指先まで神経が張り詰められているようだ。

 そして、乾いた風に乗って、微かに歌うような声が聞こえてくる。



 春の初めの歌枕うたまくら かすみうぐいす帰るかり 青柳あおやぎうめさくら 三千歳みちとせになる桃の花



 独特の節回しで歌いながら、少女は舞っていた。

 集落以外で人に会うことは滅多にないと聞く。少なくとも、シンは会ったことがない。

 だから、こんなところに人がいるのかという驚きと共に、この場に不釣り合いな美しい着物を着て舞う少女を、呆気に取られてまじまじと見つめてしまった。


 しかし、ここで呆けていても仕方がないと気を取り直す。自分だって疲れていて、休みたいのだ。もう少しご神体の近くに行って野営の準備をしなければ、完全に日が暮れてしまう。

 そう思ってハヤテの手綱を引いて足を進めようとした時、


「お待ちください」

「今は清めの舞の最中。動いてはなりません」


 両脇の岩陰から、すっと二人の人影が立ち塞がる。

 気配を感じさせない身のこなしだった。シンは驚いて立ち止まる。


 瓜二つの顔をした、二人の女だった。二人ともに闇に溶けそうな黒い小袖と袴に脚絆を身にまとっている。赤みがかかった金色の髪をうなじで一つに括り、細い尻尾のように垂らしている。切れ長の瞳は琥珀色で、静かにシンを見ていた。落ち着いたたたずまいは、シンより幾分年上のように見える。


 二人はシンから視線を外すと、手を広げてシンを押し止めたまま、少女の方を向く。

 視線の先で、少女は舞を続けている。しかし、その表情には、次第に焦りの色が見え隠れするように感じる。動きはゆったりしているが、少女の頬には汗が伝い落ちる。


「キズナ様……」

「どうか、お力を……」


 二人は祈るように手を合わせるが、少年は、あれではだめだと直感で思った。何かが、決定的に足りない。

 シンは笛を取り出し、構えた。目の前の二人は、少女の方に注視していて、シンの動きには気付いていない。

 タイミングを計り、シンは少女の舞に合わせて唄口に息を吹き込んだ。高く柔らかな音色が、鈍色の空に吸い込まれていく。


「! 何を……!」


 女の一人が声を荒らげかけるが、


「しっ……!」


 もう一人がそれを止める。

 少女もそれに気付いたのか、一瞬だけこちらに目を向けたが、動きを止めることはなく、袖を揺らして舞い続けている。


 シンの笛と少女の舞は、まるでずっと以前から共にあったようにぴたりと合わさり、その場に響いていく。二人を中心に新しい風が生まれ、澱んでその場に滞留していたような空気を吹き飛ばしていくようだった。


 そう思った時、辺りがほんの少し明るくなった気がした。見上げると、雲間がわずかに切れ、か細い光が差し込んでいる。こんな風景は初めて見た。シンは笛を奏でながら、その美しい光に見入っていた。


 シンが一曲を吹き終えると同時に、少女も一礼して舞を終えた。ご神体に向かって深々と頭を下げた少女は、次の瞬間頭をがばっと上げて振り返り、ざくざくと大股でシンの元までやってくる。

 少女はシンの手首をがっちりと掴み、その手に握られた篠笛と、それに結わえられた勾玉を、驚愕の表情で見つめた。


「これっ……月読ツクヨミの……! それに、道返玉ちがえしのたま……!」


 少女の手にぎりりと力が込められ、皮膚に爪が食い込む。流石に痛みを感じたシンは、彼女の手を乱暴に振り払い、一歩距離を置いた。

ってえな! 何すんだよ!」


 しかし少女はそんなことは意に介さない様子で、剣呑な気配をたぎらせたまま、シンから目を逸らさない。


「どこでそれを手に入れたか知らないけど、あんたが持っていていいものじゃないわ。こちらに渡しなさい!」


 少女は帯に挟んでいた短刀を抜き放ち、切っ先をシンに突き付ける。


「抵抗するなら、力ずくで……!」


 いきなり何なんだこいつはと思ったが、あれはどう見ても真剣だ。話しても聞かなさそうだし、逃げるしかない。しかし、身を隠す場所などない。それに、あちらはこの少女と、二人の女を合わせて三人。逃げ切れるだろうか。

 黒装束の女二人も、キズナに合わせて臨戦態勢を取っているようだ。シンは素早く状況を把握し、どうするのが最善か思考を巡らせるが、そこに第三の声が割って入った。


『まあ落ち着け、キズナ』



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