第10話 夢が覚めると

 私は美術館のような場所にいた。

 以前のように『誘われた』わけではなくて、きっと今回は『呼び出された』ような物なのだろう。別に予想していなかったわけではないし、あんなことをすれば呼び出されるのは明白である。

 ああ、今度こそ私は間違いなく死刑だろう。つまりは地獄行きである。

 哀れな一途を辿った少女は、人殺しをも厭わぬ悪党へと成り下がった。天国か地獄か揺らいでいた私の運命のレバーは、私の血によっていとも容易く傾いたのだった。あの夕日のように。

「お久しぶり、ではありませんね。ほんの一日ぶりですか」

 かなり時間が経っていたつもりだったが、確かに天啓を受けてから一日しか経っていない。これまでの人生にない、激動の一日だった。

「ええそうですね。貴女の様子はずっと見ていました。こんなことは初めてです」

 そうなのか、と思った。意外だった。

 マネキンの人はきっと、私のような『どっちつかずの魂』を山ほど見てきたのだろう。そんな山の中から、私のように間違った道を選んでしまった魂が無かったことが、意外だったのだ。このマネキンの人にその経験がないことが意外だったのだ。

 今更私の不出来さに落胆することはない。もう、既に知っていることだ。何回も経験してきたことだ。

「それはちょっと違いますね。貴方が最初にここにきた時にも言いましたが、貴方はイレギュラーだった。私にとっても初めての出来事だったのですよ、天国か地獄かの分別ができない魂というのは」

 だったら、何故、わざわざ『初めて』だなんて言ったのだろう。

 いや、簡単なことだ。思ったことを言ったまでだろう。深い意味なんて存在しない。

「それも少し違いますね。ああ、やっぱり貴女は変わっていない」

 なんだと?

 変わっていない?このマネキンの人は私が変わっていないと言ったのか?

 自分を自分で評価した時と、他人に評価される時では、その内容が違うことは私でも分かることだ。しかし、今の私と以前の私を見て『変わった』という感想を持つ人は見た人全ての総意だろう。これに関しては間違うはずがないのだ。

 しかしどうだろう。このマネキンの人は『私が変わっていない』と言ったのだ。何故?どこを見てそう思ったのだろうか。この人も私と同じく『どこかおかしい』人なのだろうか。マネキンだから、実は目が見えていないのだろうか。私以上に光を感じられないのだろうか。

 それにこの人は『やっぱり』と言った。それではまるで、私と言う物語の最終章を予想していたみたいではないか。ギャンブルの如く予想していたのか。

 当然、マネキンの人はマネキンなので表情は変わらない。多分この人に表情があったら、今は薄笑いを浮かべているだろう。

 そんな口調で話し始めた。

「順を追って話しましょう。先程貴女は、私の『初めて』というフレーズに触れましたね。そこから解説致しましょう」

 その『初めて』とやらに違和感を覚えたのは間違いないが、そこに深い意味などは存在しないと結論がついた。今更深追いする気はないが、深い意味があるなら聞いておきたいところだ。

「まあ、そこまで深い意味というわけではないのですよ。額面通り『初めて』だったのです。何が初めてだったのか?それが気になるんですよね。その答えは『貴女の暴力的な人格にお会いしたこと』が初めてだったのです」

 当たり前じゃないか。

 昨日までは私は悲壮感のベールに身を包んでいた。そして昨日と今日の境目である夜、私は天啓を受けた——親を殺せ、と。そして先程親を殺して、そして今に至る。

 この人が『暴力的な私』に会うのが初めてと言うのは当たり前のことではないか。誓いのキスが初めてというくらい、人を殺すのが初めてというくらい。

「補足で説明させていただくと、私は『廃人となった貴女』にも『自身を壊し続ける貴女』にも、会ったことがあるのですよ。分かりますか?」

 どう言うことか、理解ができない。

 いや、漠然とイメージは掴めたが、何となく理解をすることを拒んでいる気がする。

 私が突き刺したナイフよりも、一層切れ味の鋭いナイフが首に突きつけられたような気がした。一瞬の恐怖ではあったが、次第に鮮明になってきている。

 そのナイフが突き刺されたのは、直後だった。

「貴女はですね。貴女は何回もこの一週間をやり直しているんです。やり直させられているのですよ。貴方が『天国に行けるようになる』まで」

 


「貴方が最初に来たのは、732週前。大体14年前ですね。私は当然、732回貴女の結末を見てきました。『やっぱり』と言ったのは、732回目も同じく天国に行くことのできる魂にはならなかったからです」

 マネキンの人は無表情で語る。声の調子は楽しそうだった。

「731回全てが別の貴女だったわけではありません。『廃人となった貴女』は50回くらいありましたし、『自分を壊し続ける貴女』というのは最初と三回目の二回だけでした。そして732回目、『暴力的な貴女』という案外最初の方に出来そうな人格が初めて出てきた。いつもだったら、この真実を述べて次の周回に送るのですが今回は流石に驚きましたね」

 一体、何故そんなことを...?

 変な対処をせず、地獄へ落とせばいいのに。そっちの方が...、私は楽になれたのに、と思ったが、それでは罰の意味がなくなってしまう。これが私にとって良い罰なのだろうか。

 地獄を望む私が地獄に行けないというのは、私の性に合っているではないか。だったら、これは適当な罰なのだろう。良い罰なのだ。

「何を言っているんですか?確かに貴女の性質というのは、限りなく貴女の思惑通りいかなくなるという性質でした。しかし、その性質は既に『裏返っている』筈ですよ。やけに思い通り行くな〜、なんて感覚がありませんでしたか?」

 ない、わけではなかった。むしろあった。おかしいくらいにあった。

 今まで疑う心があったが、それすら裏返ってしまい当然と思うようになっていたのかもしれない。私の思惑通りに事が進むのが自然と思っていた。

「それもまた初めてのことですね。私は今回のような『イレギュラーな出来事』を望んで貴女に一週間を繰り返させているのですよ。今回は大きな進歩といえますね、次回からのが楽しみです」

 楽しみ?マネキンの人は私の一週間を見て楽しんでいるのか。面白おかしく見て、笑い、肴にしているのだろうか。

 毎回エンディングが変わる映画を見ているような口調は、私の調子付いた気分を掠れさせた。

「そんな滅相もない。私はただ、貴女の浄化を祈っているだけです。この『楽しみ』というのは次回か、それともその次か、貴女が天国に行けるのがそう遠くないという意味合いで使ったまでです。気を悪くしないでください」

 気を悪くしないということができたら良かった。

 一体これから、私はどれだけの回数を繰り返すのだろうか。そんなことを考えてしまっては、気持ちのいいままでいられることなんてできなかった。

「明確な数は分かりませんが、貴女はとにかく繰り返すしか方法がないのです。それでしか救われないのです。報われないのです。そういう、運命なのです」

 地獄では、地獄ではダメなのだろうか。

 私は地獄に行って、この暴力的な性格を直せば良いのではないか。

「それではダメです。一番最初に言いましたが、貴方は天国にも地獄にも立ち入る事ができない。ならば、どちらかに立ち入る事が出来るまではサイクルを回し続けなかればならない。一度濁ってしまった水は、最初からやり直さない限り綺麗にはならないのです」

 では、私はこれから先、何度も人を殺すのだろうか。あの同級生を、職員を、そして親すらも殺していくのだろうか。

 そんなこと耐えられない。私は、あの愛情を感じてしまっては、親にナイフを向けるということが出来ない。

「安心してください。貴女が今の今まで、というか今現在も前回までの週の記憶がないのと同様で、周回ごとに貴方の記憶はリセットされます。問題はありません」

 そういう話じゃない。

「いいえ、記憶がリセットされれば、貴女の提示した問題点は無くなる筈です。問題はないと思いますが?」


 返す言葉もない。魔法を使っても、何も返せない。

 ああ、そうか。

 だからこそ『変わっていない』のか。

 以前の記憶をなくして、人を殺し続け、そして思い出したかのようにそれを後悔する私は、以前と同じく可哀想なのだ。哀れみの対象なのだ。変わっていないのだ。成長していないのだ。

 何も、何一つとして変わっていないのだった。

 これから先、一体どれだけの時間を過ごすことになるのだろうか。そして、その時間の中でどれだけの人を殺すのだろうか。友人だろうか、職員だろうか、親だろうか、私の知らない誰かすらも殺すことになるのだろうか。

 そんな怒りとも悲しみとも言わない、憂鬱のような感情すらも忘れる。ある平和な日常のように、あった筈だけれども忘れてしまう。無くしてしまった悲壮感もなく、失ってしまった哀愁も感じることもなく。

 マネキンの人の手元には木槌があった。

 あれで裁いてくれたのなら、私はどれだけ楽だったかを考えていたりしたが、今では裁かれたくないという気持ちで一杯だった。

 逃げたかったのかもしれない。

 判決は、私の想像を軽く超えるほどに残酷だった。

 いやしかし、考えようによっては、これこそが阿鼻地獄なのだろう。私にとっては、相応しいのだろう。

 いいじゃないか。

 私は地獄に行きたがっていた。これは所謂『無限地獄』そのものであり、私はその中で魂を清めるべきなのだ。今の反省の気持ちすらも忘れてしまうのにどうやって魂を清めるのだ、という些かな疑問すらも、いずれは忘れている。意味などはない。

 そうだ、私の人生には意味などはないのだ。この一週間にすらも意味などはない。私は、意味を持つことすらも不相応なのだ。無為に生きるのが丁度良いくらいなのだろう。

 親などは関係なかった。私が、私こそに原因があったのだ。私の歪んでしまったのは、元からなのだ。


 木槌の音と共に、私の意識は、記憶は、過去は、後悔は、跡形もなく消え失せた。

 微かな希望だけを残して。


⬛︎⬛︎


 いつも通り家に帰り、一人で食事を済ませて、寝につく。

 私は惰性とも言えない、無意味な日常を送っていた。それはきっと、私自身に価値がないからこそ光らない日常なのだろう。

 ある日、突然に死んでしまうのではないか、と急に思ったことで、私は『自然に死ぬくらいなら』と覚悟ができた。まあ、私の覚悟などたいした物ではない。

 死んでしまうことに後悔はない。恐怖などは、もっとない。

 何故なら、私の体にはママとパパとの愛情があるからだ。愛情で包まれた私に、怖いものなどはないのだ。

 乱暴に鞄を投げ捨てられている。教科書が散乱していたが、元から傷や汚れが多い教科書だったので、今更汚れる事は気にならなかった。

 死んだら幸せになれるだろうか。まあ、生きているよりは幸せなのかもしれない。

 死んだ後のほうが、劇的な日々が待っているかも知れない。死ぬことに胸を躍らせていた、くらいだった。


 パパ、見ててね。

 ママ、手を握ってて。


私は、目の前の包丁を握りしめ、誰に向けるわけでもなく私の首元にそっと当てた。

愛情を知っていたら、この包丁も冷たくはなかっただろうか。

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