締めの章
そのあと。
彼は能力会得の代償に事件前後の記憶を失っているので、どうして警察に事情徴収をされているかわからないだろう。ただ、彼が銃を作っていたのはずいぶん前からだったので、自覚のない罪を問われているわけではない。
個人的には、五反田がさほりんを襲った記憶がなくなっているのが許せない。だから彼に会って起きたことを話そうかと思ったけれど、さほりん本人に全力で止められた。
君は今大切な時期なんだから、どうしてもというのなら受験が終わってから会いに行きなさい、と。
その通りだと思った。僕の受験は、もはや僕だけのものではない。僕が第一志望に受からないことで悲しむ人がたくさんいるんだ。
一次試験となる共通テストはあと半月後に迫っている。
僕は相変わらず学校に行って、さほりんと並んで勉強をしている毎日を過ごしている。
**
「あれ、
ある日、少し遅めに登校をすると下駄箱のあたりで初瀬とすれ違った。自由登校になってから、クラスメイトと顔を合わせることはほとんどなくなっている。
「あら、ななくん。わたしは提出物があっただけだからもう帰るところだけれどね。最近調子はどう?」
「まずまずかな。初瀬は?」
「そうね。雑談なのだけれど、元旦にね――」
「元旦? もうすぐだね」
「ええ。元旦に、おみくじを引こうと思っているの」
おみくじ。ひそかに毎年引くことを楽しみにしているので、もちろん今年も引く予定だ。
「運試しだね。僕は去年『
今年は受験なので大吉が出るまで何度でも引きそうだ。
「あはは。私も『
「なんだそれ」
「でも次のおみくじで気になるのはタイトルの部分じゃないの」
「おみくじの種類のことタイトルって呼ぶタイプ!?」
「――わたしの恋愛運、どうなるのかしらねって」
「あ……」
初瀬は
「あ、勘違いしないで。恋心を失ったことはそりゃ残念だけれど、実はそんなに気にしてない。結婚願望もあるし子どもも欲しいけれど、別にそれらを行うにあたって恋愛感情は必須じゃないと思うもの。信頼とか、安心とかでも結婚はできる。おみくじはね、単純に気になるってだけ。ななくんも気にならない? 恋心を失ってしまったわたしの恋愛運がどうなるのか」
「うーん」
気には、ならない。僕には好奇心がないから。
でも初瀬と同じように、僕はもうそれをほとんど気にしていなかった。
「あら、そういえばそうだったわね。ま、それでも結果は教えてあげるわ。新年にまた会いましょう」
**
初瀬と別れて廊下を歩いていると、前から
「
篠田先生は初瀬と違い、ちょくちょく透明化の能力を使っているようだった。犯罪行為はしていないらしいけれど、曰く『せっかくある力なんだから錆びつかせたら勿体ない』らしい。
もちろん僕の認識範囲内で能力を使うことはない。
「先生は最近どうですか? 代償とか」
「恐怖心って、日常生活においてはそんなに必要なものでもないのよ。ちょっとホラー映画とホラゲ実況が楽しめなくなったくらいかな」
ホラゲ実況とか見るタイプなんだ、先生。
「でもまあ、最近は法律と道徳を勉強し直してる」
「……法律と道徳?」
「そう。先生の中から恐怖心というブレーキがなくなった以上、新しいブレーキを作るしかない。それが法律と道徳なんじゃないかなって思ってさ」
「確かに、ちょっとでも道徳心があれば男子生徒の前でどエロいタートルネック姿になったりしないですもんね」
そう言うと篠田先生は何食わぬ顔をして、「別にそれは今でもできるけど」とジャケットを脱いだ。
廊下で。
おいおいおいこの人には恐怖心ってものがないのかよ! ないよ!
「ちょっと!」
「そもそもタートルネックのニットにいやらしさを感じるのは妄想たくましすぎると思うな」
「でも言い出したの僕じゃなくてさほりんですよ(僕も見た瞬間から思っていたけれど)」
そう突っ込んだ瞬間、篠田先生の向こう、僕のクラスである三年七組の教室から女子生徒が出てくるのが見えた。
というか、さほりんだった。
彼女は僕と篠田先生を視認してすぐに「ちょっと!」と叫んで駆け寄ってきた。
「廊下で私のななくんを誘惑するんじゃない!」
「してないわよ!」
篠田先生はけらけらと笑いながら手を振った。私の?
「じゃ、先生行くね。勉強頑張って」
「はーい」
先生は数歩だけ歩いて振り返った。
「そうだ。一個だけ」
「なんですか?」
「先生さ。夢があんの」
唐突な宣言に少しだけ面食らう。なんですか、と目で問いかけた。
「君たちがお酒を飲める年齢になったら、飲みに行きたい」
「……」
「だから、初瀬さんも含めて、卒業後もちゃんと仲良くしておきなさいよ」
僕とさほりんは顔を見合わせて、頷いた。
「ま。別に今から飲みに行ってもいいけど。先生の家で宅飲みとかなら」
「法律と道徳を学び直して来い!!」
**
篠田先生と別れて二人で教室に向かう。
教室には誰もいなくて、それはそれは勉強に集中できる環境だった。
参考書を開いて、タブレットを操作して、ひたすら問題を解く。
隣の席から聞こえる吐息やシャーペンを走らせる音をBGMにしながら。
「もうすぐ冬休みだね」
「そうだねえ。そんな概念僕たちにはないに等しいけどね」
「それはそう。でも元旦くらいはゆっくりしてもいいんじゃない?」
さほりんが可愛く首を傾げながら言った。
その仕草の一つ一つが、僕に僕の好きな人を教えてくれる。
ふと、少し先の未来を考えてしまった。
受験が終わったらあっと言う間に卒業だ。
受験がうまくいってさほりんと同じ大学に行けたとしても、高校の時のようにずっと一緒にいるわけじゃないだろう。
このままでいいんだろうか。そんな疑問が頭を過る。
ぺき、とシャーペンの芯が折れた。
ちらりと時計を見ると、いつの間にかかなりいい時間になっていた。
「さほりん、そろそろ帰る?」
「そうだな、帰ろっか」
「ねえ、さほりん」
「なあに?」
「一緒に、初詣行かない?」
その言葉は自然に口をついて出た。
言葉に出してから、自分が言った言葉を認識する。
僕は自分の顔が真っ赤になっていくのを感じた。
返事を聞くのが怖い。
好きな女の子を遊びに誘うのがこんなに怖くて恥ずかしいことだったとは思ってもいなかった。
穴があったら入りたいってのはこういうことを言うのか。
でもこの場に穴なんてない。
ああ、透明になりたい。
<VS 透明化能力者 完>
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