⑫僕と私と失敗
**
「じゃ、また明日ね」
「うん、またね」
ななくんと別れた私は、いつもより軽い足取りでバス停へと向かった。
能力の使い過ぎで起きた頭痛はもう収まっていて、体調は万全。
昼休みにはついついななくんに怒鳴ってしまったけれど、放課後にしっかりと会話ができたので、私にはわだかまりはなかった。
それどころか、私の本音を伝えられたし、それがきっちり彼にも伝わったようなので、必要な時間だったと思う。
喧嘩はしないに越したことはないけれど、お互いの気持ちを伝えあって結果的に怒鳴り合ってしまうのは、悪いことばかりではないような気もした。
「さて、
模試の成績はよく、志望する大学は三年生になってからA判定以上しか出ていないけれど、それは別に必ず受かるという保証にはならない。
むしろ模試ではいい判定が出ていたのに本番で落ちる、っていう話のほうがよく聞く。
……それは模試でいい判定が出ていて受かった人は声高々にそれを言わないからなんだけど。
そう思ったとき、歩いていた私のすぐ横に車が止まった。
一度だけちらりと車の方を見てから、特に気にせずに再び前を向く。
それが間違いだった。
あとから振り返るとわかる。普通、知らない人の車がピッタリ真横に止まったら警戒しなきゃいけない。でも私は、知らない人が車を真横に止めようが、その人の行動に全く興味が湧かなかったから、その瞬間は本当に何も気にならなかった。
車の扉が開いて、腕を掴まれる。
「――っ!」
あまりのスピードに声が出せなかった。
まずい、と思う隙すら与えられずに私は車の後部座席に連れ込まれる。
ドアが閉まってようやく私は我に返った。
私の腕をつかんだ男は――
先生の落としたハンカチを見て、即座に『どうしてこいつがあのハンカチを持っているんだ』と反応した、篠田先生の能力会得にかかわっている可能性の高い男子生徒。
「君……五反田くん。これは何かな」
「うるさい、黙ってろ」
腰に、硬いものが当てられた。
「っ……え……」
それは少し安っぽい見た目をした、拳銃だった。
「五反田……くん。それって」
「弾は出る。殺傷能力がある。余計なことをしたら撃つ」
私は天曳の力で彼の心を読み、彼の言っていることが本当だと理解する。
「……」
その拳銃の殺傷能力は本物だし、彼には撃つ気もあった。
「車出して」
その言葉で、運転手が車を発進させる。
そこでようやく、私は自分がやらかしたことに気がついた。
篠田先生は彼についていった先で、この拳銃を見たんだ。
この拳銃は恐らく3Dプリンターによって製法されたもの。
3Dプリンターによる武器の作成は近年各国で問題になっている。もちろん日本でも銃刀法違反に当たる、れっきとした犯罪である。
五反田くんは重度のミリタリーオタクで、兵器に興味を持っていることは有名だった。頭のいい彼なら、誰にも見つからずに拳銃などを作成するのは容易だっただろう。
篠田先生がその拳銃をどういうシチュエーションで見たかはわからないけれど、彼女は恐らく五反田くんやその関係者に見つかりかけた。
拳銃を持った人々に追い詰められて平静を保てる人はいない。
そこで彼女は天曳の力を得て、【透明化】の能力を会得した。
その時にハンカチを落としたんだ。
だから、五反田くんにとってハンカチの持ち主は自分の犯罪を目撃した可能性のある人物となる。
私は今、目撃者である疑いをかけられ、口封じのために攫われている。
車から降りるのは不可能だ。叫んでも意味がないし、もちろん携帯で助けを呼ぶこともできない。
――まずいな。
さすがに殺されることはないだろうけれど、なにをされるか予想がつかなかった。
どうする。
私はどうすれば。
思いついた方法は、ひとつだけだった。
「…………助けて、ななくん」
私は――
**
僕が駆けだした瞬間、
「誰だよこんな時に!」
緊急事態だ。僕はそれを無視して校門の傍まで進み、そのままさほりんが帰った方向へと走る。
何事もなければいい。まだ犯人が行動を起こしていなかったら万々歳だし、僕の推理自体が杞憂なら最高だ。
走りながらさほりんにメッセージを送る。
大丈夫、なにもない。大丈夫だ。自分に言い聞かせるように唱える。
――しかしすぐに、僕は彼女が大丈夫じゃないことを認識する。
唐突に、0.1秒おきで天曳の力が発動と解除を繰り返すのを感じた。
ピカピカと点滅を繰り返す電球のように、僕の頭に天曳の力の発動が飛び込んでくる。
普通、こんな風に能力を使う人間はいない。
能力の使用者は間違いなくさほりんだった。
ではなんのために能力の発動と解除を繰り返しているのか?
決まっている。僕に当てたメッセージだ。
緊急事態が起きているという、僕にだけ伝わるメッセージだ。
僕は走って、今まさに不自然な路上停車をしていた一台の車が走り出すのを視認した。
目を凝らして車を見ると、後部座席に二人の人影が見えた。
左側にいる女性っぽいシルエットは、恐らくさほりん。確信はなかったけれど、状況的にそれしか考えられない。
番号を覚えて脳に刻む。でもそれだけだと不十分だ。
今すぐに助けないと!
車との距離は数十メートル。僕はその車に置いていかれないように走ったけれど、もちろん追いつけるはずもなく、車がウインカーを出して、T字路を曲がろうとした。
見失ったらもう追いかけることはできない。
絶望が脳を侵食してくる。
おいていかれたら警察に駆け込んで車の番号を調べてもらうしかない。でもその時にはもう、さほりんが何をされているかわからない。
「くそっ、くそっ!」
僕は悪態をつきながら、それでも走って追いかける。
その時――――
――それは、突然起こった。
初めに感じたのは圧倒的な静寂だった。
世界は音で満ちている。車やバイクの通る音。鳥などの鳴き声。グラウンドから聞こえる部活の音。衣擦れ。呼吸。
無意識のうちに耳が拾っていた様々な雑音が、全て止まった。
何も聞こえない。完全な無音。
――圧倒的な孤独感。世界に自分だけしかいないような感覚。
それと同時に、自分の体が微動だにしていないことを認識する。
さっきまで僕は走っていた。
さほりんを攫った車を追いかけるために、走っていたはずだった。
しかし今、僕の体は停止している。
足だけじゃない。首を動かすことも、腕を振ることもできない。体全体が動かない。
視界に入っているものすべてが微動だにしていない。
さほりんの乗った車も、まだT字路を曲がりかけたまま停止している。
僕はこれを知っている。この現象を体験したことがある。
この世界から置いていかれてしまったような感覚は――。
その時、背中をポンと軽く押された。
「これで、借りは返したってことでいいかしら」
瞬間、初瀬の声が耳に飛び込んできた。
「……あれ、動ける。喋れる」
しかし僕以外の景色はまだ停止している。
「止まった時間の中で、ななくんだけ動けるようにした。あの車を追いかけているっていう理解でいいのかしら?」
「……うん。でも初瀬、どうしてここに。それに借りって?」
「ななくんが私の異能を暴いた日に、中庭で言ったでしょう。『この借りは絶対返すから』って。これは、それよ。それ以外の詳細は後で詳しく話すわ。まずはあの車を追いかけましょう。わたしが時を止めながら進めば、必ず追いつける」
「…………ありがとう!」
絶望の中に光が差した。
初瀬の能力があれば、あの車に追いつくことができる。
僕たちは、少しずつ時間を止めながら、さほりんを攫った車のあとを追いかけた。
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