⑪僕と危機
「さほりん」
放課後、クラスメイト全員が教室からいなくなったころに、僕は隣の席のさほりんに声をかけた。
「なに?」
「……謝りたくて」
「なにについて?」
彼女は僕と目を合わせず、そっぽを向いたまま相槌を打った。
不用意にでも目を合わせてしまうと力が発動してしまい、僕の考えが全部彼女に伝わる。きっとさほりんはそれを嫌がった。
小さく息を吸い込む。いつもの適当に誤魔化すような詭弁ではなく、心の底から思っていることを伝えたかった。
僕は、さほりんが自分の体を労わらずに能力を超過使用したことがとても嫌だった。
彼女が傷つくのは悲しいし、彼女が傷つくような状況を作ってしまった自分が、彼女の作戦について気がつけなかった自分が許せなかった。
さほりんはいつも僕に対してそんな感情を抱いていたのかもしれない。
僕が人の力になりたいと思うのは、僕がやりたいと思ったからであって、言ってしまえば僕のエゴだ。人によっては余計なお世話に感じられることもあるだろうし、僕が介入したことでマイナスな方に行ってしまうことだってある。
だからこそ、力になれる部分があれば全力で行動をしてきたし、そのために多少の自分の痛みは度外視してきた。
「その考えが百間違っていたとは思っていないし、これから生き方を大きく変えるつもりもない。僕はこれからも、困っている人の力になれそうだったら手を貸したいと思う」
「……そう」
「でも、僕にも間違えていたところがあった。ううん、わかっていなかったことがあった。認識できていなかった点があったんだ」
僕には【認識】の
他者が使用した天曳の力を認識することができる。
さほりんが天曳の力を使用したらわかる。
でも――いくら君の異能がわかったとしても、君の気持ちは何一つわかっていなかった。
「僕が傷ついたら、悲しんでくれる人がいる。僕はそれを全然わかっていなかった。この体は、この存在は、僕だけのものだって思ってた」
「……」
さほりんや、篠田先生。
初瀬や大貴、クラスメイトのみんな。元生徒会長。
僕を支えてくれたみんな。彼らはきっと、僕が傷ついたら悲しむ。
「今まで、僕が自分を労わらなかったせいでさほりんを間接的に傷つけてしまったと思う。……ごめんなさい。これまで自分を大切にできていなかった」
ゆっくりと頭を下げた。
「自分を大切に、なんてよく聞くけどさ。それはもちろん自分のためでもあるけれど、きっと周りの人のためでもあるんだよね。僕は間違えていた。自分を大切にできない奴が傷つきながら人を助けたって、助けられた人は全然嬉しくないんだ」
さほりんは黙って話を聞いている。
決して目は合わさず、でも真剣に聞いてくれている。
「これだけ言ったけれど、僕はこれからも困っている人がいて、力になれそうだったら、手を差し出してしまうと思う。それはきっと僕の性質のようなもので、やめろと言われても難しい。でもこれからは――手段を選ぶことに決めた」
「……」
「僕がその手段をとった時、君がどう思うかを考えるようにする。このちょっとだけ出来のいい頭で、考え抜くことにするよ」
「……そうだね。そうしてもらえると嬉しい。別に私がどう思うかで考えなくていいけど、その手段の持つメリットデメリットの中に、ちゃんと自分を換算してほしい」
「……うん」
「でも――ひとつだけ、君の話で間違えているところがあるから、そこは明確に否定させて」
自分の言葉の間違いにまったく心当たりがなかった僕は、テストの返却を待つ時のように震えながら言葉を待った。
「『助けられた人は全然嬉しくないんだ』って言ったよね。でもね、私は君に助けてもらって本当に嬉しかった。そこは、覚えておいてほしい。あの時ななくんが、自分も大変な状況の中でおねえちゃんと話して、悩みながらも事実を明らかにしてくれたことは、間違いなく私の人生を救ってくれた。だからごめんね。君の言葉のその部分だけは否定する。嬉しかったから」
いつもより少しだけ早口でそうまくしたてるさほりんは、決して目を合わせてくれなかったけれど、少しだけ頬が赤いような気がした。
僕は「ありがとう」と伝える。
すると彼女はすぐにいつもの調子に戻って「それじゃ、」と言った。
「君の謝罪は受け取りました。私の方こそ、さっきは怒鳴っちゃってごめんね。これからは私も、できるだけ自分を大切にする。この話はこれでおしまい!」
「……うん、そうだね」
「だからあと少し、受験勉強がんばろっ!」
そう言って彼女は参考書を鞄に詰め始めた。
「あれ、今日はもう帰るの?」
下校時間まではまだ少し時間がある。
いつも僕たちは下校時間ぎりぎりまで残って勉強をしていたので、珍しい行動だった。
「…………」
「さほりん?」
「……恥ずかしいんだよ」
「――なにが?」
「こんな真面目に語り合ったあと隣で勉強なんてできません! ななくん、マジで私並みに人の気持ちに鈍感じゃない?」
「ぐっ」
これでも気遣いはできるほうだと思ってるんだけどな。
「でも、まあそうか。なら僕も帰ることにするよ」
「……きょ、今日だけは駅まで送らなくていいからね」
「へいへい」
僕たちはそのまま職員室に鍵を返しに行き、適当な雑談をしながら下駄箱に向かった。
「明日は学校来る?」
僕たち三年生は既に自由登校となっているので、学校に登校する義務はない。
「行くよ。集中できるし。ななくんも来るでしょ?」
「行く行く」
「じゃ、また明日ね」
「うん、またね」
校門を出てすぐにバラバラの帰路につく。
**
一人になった僕は、少しだけ歩いた後に立ち止まって、色々あったなあ、と今日を振り返った。
初瀬と久しぶりに話したこと。
さほりんが自分の体を犠牲にキーマン、
篠田先生と話したこと。
さほりんに謝ったこと。
「……本当に色々あったな」
さらに全校集会や学年集会もあったりした。
「でもまあ、篠田先生の一件はとりあえず一区切りついたし、僕の生き方も整理できた。あとは受験頑張るだけかあ」
上を向いて、よし、と声を出す。
その瞬間、轟音と共に体の横を車が通過していった。
「ちょっ!」
反射で体を歩道側に振る。
車は僕の体の数センチ横を通り、そのまま爆速で車道を走っていった。
「危っないなあ」
マジで。
自分が運転するようになってもああはなりたくない。
本当に、僕が見えてないのか? っていうくらいギリギリを掠めていった。
「怖かったぁ」
そんなことを呟きながら、僕は鞄を背負い直して帰り道を一歩踏み出そうとし――
――瞬間、脳裏に電撃のようなひらめきが走った。
「今僕、なんて思った?」
自分が思考した言葉を思い出す。
――僕が見えてないのか?
もちろん僕のことが見えないはずがない。
でも、つい最近僕は本当に姿が見えなくなる人に会っている。
篠田先生。
彼女は天曳の力で自身を透明にすることができる。
天曳の力は願いを叶える代償に、その願いの根源となる想いを欠落させる。
知りたいと願った僕が、知りたいという気持ちを失ったように。
だったら、透明になりたいと願った先生は、なにを失った?
人はいつ透明になりたいと願う。
恥ずかしいとき?
どこかに侵入したいとき?
――違う。
絶対に見つかってはいけないという、恐怖を感じた時だ。
先生は、誰かに見つかったらマズい状況に陥って、透明になれる能力を得た。
見つかるのが怖いという状況で、能力を会得した。
だからその代償として失ったものは――恐怖心。
彼女は何かを恐れる心を失ったんだ。
思考を掘り下げる。
先生の行動を思い出せ。
初瀬まどかが時間を止めた時。授業中、突然机の上にハサミが現れた時、篠田先生は全く怖がらず、冷静なまま生徒を落ち着けた。
そんなこと、二十代の若手教師に可能なのか?
最近の先生は僕に対して教師としてギリギリの、なんならちょっと越えているようなムーブをしていた。
あれも、『恐怖心』を失った故の行動だったんじゃないだろうか。
さらに思考を掘り下げる。
では、もし先生の失ったものが恐怖心なのだったら。
彼女は記憶を失った晩、天曳の力を得てしまうほど強く「見つかってはいけない」と願ったということ。
その場で、あの篠田先生にそこまでの恐怖心を抱かせるような事件が起きていた。
もしその犯人が、五反田隆太やその関係者だったら?
犯人は篠田先生の姿を見ていない。しかし、落ちたハンカチは見ている。
その犯行現場に落ちていたハンカチを、犯人の可能性が高い人物に直接見せびらかしたさほりん。
「おいおいおいおいおい!」
僕は勢いよく反転して、ダッシュで学校の方向へと戻った。
さほりんが危ない。
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