②僕と正体
風邪を引いた。
大切な時期に体調を崩すなんて、と自分を責めそうになったけれど、きっと余計に気が滅入るだけだったので僕は気にしないことに決めた。
それが功を奏したのか、少し寝ただけなのに昼前にはもう体が軽くて、薬のお陰もあるかもしれないけれどすっかり怠さは消えていた。
――お腹が空いた。
体力回復のためにも何かを食べようと思って家を漁ったけれど、食料は出てこなかったので、仕方なく僕はコンビニへと出かける準備をする。
そこで立ち寄った駅で、僕は
背後から声をかけられたけれど、姿が見えない。
先ほど感じた天曳の力の発動は、未だに継続中だ。
「っ…………誰だ」
「誰だ……ねぇ」
相手の姿はまだ見えない。
しかし、声は真正面から聞こえてくる。
女性の声。
遠隔で声を飛ばす力? いや、この能力者もこの場にいるような口ぶりだ。
だったら――
「そ。」
その声はすぐ耳元から聞こえてきた。
吐息が耳にかかる。
透明になる能力。
それがこの人の天曳の能力なんだと僕は推測した。
目を凝らしても相手の姿は全く見えなかった。漫画や映画に出てくる透明人間ように、空気のゆらぎなどもない。
「姿は完全に消えるんだけど、物体として存在はしてるんだよね。本当にただ姿が見えなくなるだけ。自分にも自分の姿が見えないから、人混みの中とかは結構気を張る、不便な能力だよ」
耳のすぐ側でため息を吐かれる。
ずぞぞぞ、という感覚が背筋に走った。
もう、声の主に見当がついていた。
この女性の声は。
僕を「
「
「逢沢くんこそ、学校サボって何やってんのよ」
能力者の正体は、数学教師の篠田先生だった。
「サボってるわけじゃないです。そもそも今三年生は自由登校期間ですし」
「そういえばそうだったね」
相変わらず耳元で囁かれるので僕は「一回僕から離れませんか」と言った。
「えー、やだ。だってこうして逢沢くんにくっついてないと、周りの人にぶつかられちゃうもん」
そう言いながら篠田先生は僕の両肩に手を置いた。
びくっと肩が震える。
「ちょっ……じゃあ能力解けばいいじゃないですか!」
「それこそ駄目だよ、人が突然現れたら周りの人びっくりしちゃうでしょ?」
「そうですけど! でもこのままだと僕が虚空に向かって叫び続けてる人になるんですけど!」
「電話してるふりでもすれば?」
「……天才」
やっぱり篠田先生は頭がキレるなぁと思いながら僕は電話をしているふりをして風景に溶け込む。
しかし、篠田先生が天曳の力を得ていたのは意外だった。完全無欠な数学教師に見えていたからだ。力を得たということは、何かを失ったということである。
それが僕やさほりんのように大切なものの可能性もある。
果たして彼女は何を失ってしまったのだろうか。
「あの、篠田せ――」
「っていうかさ、逢沢くん」
言葉が重なる。
少しだけ先生のほうがはやかったため、「先にどうぞ」と返した。
篠田先生は僕の両肩に手を置いたまま右耳に向かって囁いた。
「君、何をどこまで知ってるの?」
「…………何の話です?」
「あのねぇ、逢沢くん。君が何者でなんの目的があるのか知らないけど、もっとうまくやったほうがいいわよ。どうして透明になった先生をごく普通に受け入れているのよ」
「…………あ」
「普通はもっとこう、いいリアクションがあるでしょ。取り乱すとか、逃げるとか、信じないとか。それなのに君は先生のこの状態を受け入れた上でその先の話をしようとしている。ここから予測できる話をしてあげましょうか」
軽い口調だったけれど僕はなぜか責められている気分になって、息苦しい中お願いしますと言った。
「君はこの不思議な能力についてなにか知っている。でも【透明化】の能力の詳細については知らなさそうだった。つまり、この不思議な力は色んな種類がある」
「……そ、うですね。僕はそれは天曳の力と呼んでいます」
「ふむ。じゃあ次ね。逢沢くんは今日『ぬいぐるみ時計』を見に来たんでしょう? でも君は、時計にぬいぐるみが出現するはずの時刻よりも前に、なにか異変に気がついていた。ソワソワしていた。おかしいよね。先生は君に見えないところで透明になった。それなのに君はそれを感知した。つまりこう考えられる」
僕は観念した。この人には全部読み解かれてしまうだろう。
「君は、天曳の能力の発動を観測できる人間だ。ここで思い出すのは二つ。逢沢くん、二年の夏休みに成績が暴落したよね。あの時に何かあったんじゃないかな。そこで能力を会得したのか、その能力絡みでなにかあったのか」
「そこまで読みますか……その通りです。僕は二年の夏休みにこの能力を得ました」
篠田先生が大きく頷くのがわかった。
よしよし、と頭を撫でられる。見えてない人間に頭を撫でられるの、さすがに恐怖感が勝つよ!
しかしその後続けられた言葉で僕は瞬間的に冷静になった。
「そしてもう一つ思い出すことは……
「っ!」
「能力者を観測できる逢沢くんと四六時中一緒にいる八嶋さん。それに、彼女も春休み中に大きく変わった人間よ。これだけヒントを貰えたら馬鹿にでもわかる。八嶋さんもなんらかの能力者なんでしょう?」
「…………」
僕は反応をしなかった。
篠田先生はもう確信しているだろうけれど、僕の口からそれを確定をさせるわけにはいかなかった。
彼女もそれを読み取ったのか「ま、八嶋さんの方はいいや」と言う。
「ここまででなにか質問は?」
先生は授業中のようなテンションを崩さない。
僕は大きく息を吸って質問を返す。
「桜塚駅前の時計台の上にぬいぐるみを置く『ぬいぐるみ時計』を実行してたのは先生ですか?」
「うん、そうだよ」
「……なぜ?」
先生は出来の悪い生徒に教えるような口調で、歌うように告げた。
「君のような人間を見つけるため」
「――え?」
「あは、この続きは二人きりになれる場所で話しましょう。きっと込み入った話になる。もう体調は平気なの?」
「ええ、体調は、はい。大丈夫です」
「じゃ、行こっか」
「い、行こっかって……どこに」
先生は透明のまま僕の手を取って歩き出した。
「だから――二人きりになれる場所」
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