締めの章

 そのあと。


 八嶋紗穂は人の気持ちを知りたい、という気持ちを失っただけで、感情そのものを失ったわけではない。

 だからおねえさんの気持ちに興味がなくても、知ってしまったら心を動かされるのも当たり前な話だった。


 おねえさんの気遣いを無視してさほりんに全てを伝えた僕のエゴが正しかったのかはわからない。

 実際さほりんは開口一番「おねえちゃんの馬鹿」と言っていた。


 能力会得後のさほりんにとってはいい迷惑だったかもしれない。でも、会得前の彼女にとってはどうだったか。

 天曳の力というふざけた能力は、過去の自分を殺してしまう。

 知りたいという気持ちを失ってしまったさほりんが何も知らないままでいるのは、フェアじゃないと思った。

 だから僕は、よかったかなと思っている。


 おねえさんもどこかすっきりしたように見えたし。これで二人の関係が最悪になっていたらと思うと怖くなるが、あれ以上最悪になることもなかっただろう。


 それから僕たちは同じクラスで、同じ超越者とし日々を過ごしていた。


 僕は彼女をさほりんと呼び始め、彼女は僕のことを相変わらず逢沢くんと呼ぶ。

 時々彼女は僕の心を読んで遊ぶけれど、僕以外には使っている様子もない。彼女なりにしっかり能力と向き合っているようだ。人の気持ちに興味が持てないけれど、空気は読めるし場を荒らそうともしないから、特に誰かと険悪になることもなかった。


 僕はさほりんに対して、少しだけ特別な感情を抱き始めているので、心を読まれるタイミングには気を付けなければならないことだけが気がかりだ。

 仕方ないよ。夏以降、何にも興味が持てずに死んだように生きていた僕は、八嶋紗穂と出会ってから少しだけ生きるのが楽しくなったんだから。

 図書館で出会ったとき、学校の逢沢七斗としてではなく、ただの小説好きとして語り合うことができた。

 そして、彼女と出会えたから、再び誰かのために生きようと思えたし、姉妹の二人から感謝ももらえた。

 天曳の力の被害者が僕だけじゃないとわかったのも大きいし、なにより、彼女と話しているのは楽しい。


 廊下を歩いていると、向こうから篠田先生が来た。そろそろ開いた窓から夏の風が吹き込んでくる。

「逢沢くん」

「ああ、篠田先生」

「この前の課題よく書けていたよ。中間テストも努力の形跡が見られたし、最近勉強頑張ってるんじゃない?」

「そうですね」

 相変わらず篠田先生は僕の担任でもないのに気を使ってくれている。いい先生だ。

「どうしたの、なにかあったの?」

「ううん、そうですね。別に根本解決をしたわけじゃないんですけど」

 僕はそう前置きをして、先生の目を見て笑顔で言った。


「とりあえず、大学に行こうと思います」


 はは、うん、それはいいことだ。質問があったらいつでも聞くからね。勉強の話でも、恋愛の話でも。

 そう言って篠田先生は去っていった。

「へえ、逢沢くんはどこの大学行くの?」

 僕たちの会話を横で聞いていたさほりんがふと聞いてくる。

「今の自分の学力がわかんないからなあ。模試も受けたばっかりだし」

「まあそうだね」

「でも、大学に行くっていう目標ができただけで僕にとっては一歩前進だからさ。程々に勉強していくよ。そうだな、さほりんと同じ大学に行こうかな」

 半分本気で僕がそう言うと、さほりんは怒ったような、笑ったような顔をして、「馬鹿なの?」と言った。

 本気で怒っているわけではなさそうだけど。


 さほりん、基本的に無表情だから感情がわかりにくいんだよなあ。


 ああ、人の心が読めればいいのに。


<VS 読心能力者 完>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る