⑨僕と八嶋紗穂
「
「うん、話は聞いてるよ。君が
どういう話し方をしたんだよ、あの会長は。僕は引きつった笑いを浮かべながら、ただのクラスメイトですと頭を下げた。
登校日の日、八嶋さんと別れた僕はすぐに先日卒業した元生徒会長と連絡を取った。
「会長」
「もう会長じゃないどころか在校生ですらないぞ。女子大生を捕まえて何の用だ」
「まだ女子大生じゃないでしょ。肩書きなしです。無職。住所不定」
「電話切るぜ」
「あー待って待って、待ってください。お願いがあるんです。ある人について調べてほしくて」
「……可愛い後輩の頼みじゃあ仕方ないな」
話がはやくて助かる。
「会長が一年生の時に三年生だった人なのでもしかすると知らないかもしれないんですが」
「馬鹿にしているのか?」
「ごめんなさい……。八嶋っていう女子生徒です。下の名前はわかりません。専門学校に通っていてこの春就職だそうです」
「ああ、八嶋紗穂の姉か。わかるよ」
「わかるのかよ」
「名前は八嶋美紗。何を知りたいんだ? 口説くのか? 年上属性は私がいるんだからもう十分だろう」
「そういうのを口に出しちゃう時点で会長は対象外なんですよ。連絡先か、直接話す機会が欲しいです」
「……別にいいが、それは私ではなく八嶋紗穂に聞くべきでは?」
正論だった。けれど、今の八嶋さんはきっと素直に姉と対面できない。
僕がやろうとしていることは、今の八嶋さんの願いではない。
むしろ迷惑かもしれない。
ただの、僕のエゴだ。
「ふむ。よくわからんが、ななくんがやりたいと思ったことなら、私は協力しよう。三月中に何とか調整してみるからななくんはこの先の三月の予定全部キャンセルで」
その後すぐに、翌日の昼、八嶋さんの姉である八嶋美紗さんと直接話す機会がセッティングされた。
そして現在。
僕は駅前のカフェで八嶋美紗さんと相対している。
妹の紗穂とよく似た美人で、待ち合わせ場所で少し声をかけるか躊躇した。
お金とられたりしないよね。
僕はコーヒーを一口飲んで話を切り出した。
「あの、八嶋美紗さん」
「美紗でいいよ」
「……美紗さん」
「お義姉さんでもいいよ」
「…………お、おねえさん」
その緩いやり取りに僕は少したじろいだ。
今から切り出す話は、とても赤の他人が首を突っ込んでいい話じゃない。
やめておくか。
今ならまだ適当な詭弁で誤魔化せる。
と考えていると、彼女はいたずらっぽくニヤけて
「あなた、紗穂から何か聞いたのね。いいわよ、言葉選ばずに単刀直入に言って?」と言った。
僕は大人しく言葉に甘えることにする。
「……なんで、援助交際なんてしているんですか?」
「ふうむ」
言われたとおりに単刀直入に聞くと、おねえさんは少しだけ俯いて考えこんだ。
「イケメンの男子高校生に援助交際の理由を聞かれるの、興奮するかと思ったけどあんまりそうでもないわね」
「何を実験してんだ!」
「ああ、ごめんね。理由? お金。どこまで紗穂から聞いているかわかんないんだけど、お父さんが無職になっちゃって、八嶋家お金がないの。だから自分の趣味とか買い物を満喫するために手を出したってわけ」
「……」
この人は、この期に及んでそんな理屈が通ると思って言っているのだろうか。そう思った僕は少し
だけ笑ってしまった。
「なによ」
いえ、と僕は首を振り、唇をつまみながら息を吐いた。
「八嶋さんに……紗穂さんに、本当のことを話してあげてください。あの子は、おねえさんが思っているほど強くないです。でもきっと、おねえさんが思っているほど弱くないんです」
「本当のこと? 私がお金のために援助交際を――」
「おねえさんが何回援助交際をしたかは知らないですけど、相手は一人ですよね。あなたはずっと同じ人と寝ている。違いますか?」
「違うね」
僕の推論は一言で切り落とされた。
言葉に詰まる。ここが違ったら、根本的に僕の考えは間違っていたということになる。
「ちなみに君は何を思ってそう言ったの?」
「……紗穂さんの父親の再就職が決まったタイミングが良すぎるんです」
「うん?」
「無職になったのは年明け頃って聞きました。そこから娘をイビりながら就活ができるのか。たまたま見つかった職場がおねえさんの新しい勤務先のすぐ傍なんてあり得るのか。突然一緒に暮らすことにして、家も見つかるだなんて、運命としか言えないでしょう」
「なら運命だったんじゃないかな」
「運命っていうのは往々にして誰かが仕組んだものなんですよ」
「格好いいこと言うね。そういう年頃だもんね」
おねえさんが僕の頭に手を伸ばしてきてよしよしと撫でる。やめてくれ!
「本音を話していいですか」
「うん、いいよ」
「紗穂さんはあなたが援助交際をするような人間だと思っていなかった。数秒言葉を交わしただけの僕から見てもそうだ。だからこれは、推論でも何でもなくて、願いなんですよ。僕は、あなたの行動に何か意図を見出したいんです」
「それは紗穂の彼氏として?」
「いえ、僕個人のエゴです」
おねえさんはにやりと笑って「いいね、気に入った」と言った。
「お義姉さんは君が気に入ったから本当のことを教えてあげる」
「
「ん?」
「紗穂の彼氏でも君でもなくて、僕は逢沢七斗です。親しい人は僕のことをななくんと呼びます」
あははとおねえさんは吹き出した。
「オーケイ、ななくん。だいたい君の推察通りだ。私は、隣の県の施設に志願すると同時に、近隣の企業を調べた。私が父親の代理就活をはじめたんだ。そしてなんとか近隣の企業の役員と知り合って、事情を話した。その時点でお父さんには全部話していたの。知り合いのツテで面談してもらえることになった。隣の県になるからもし就職が決まったら一緒に暮らそうって」
「……もしかしてその時点で二人暮らし用の賃貸を借りたんですか?」
「そうだね。正直お父さんの合格は約束されていたから、私はそもそも一人暮らし用のアパートを借りていない。だからなな君風に言うと、この運命を仕組んだのは私ってことになる」
「……じゃあ最初の、僕の質問に対して違うと答えたのは何だったんですか?」
「寝てないんだよ」
「え?」
「私、別に寝てないんだよ。潔白、純潔。いや純潔ではないんだけどさ」
「……」
「別にお小遣いももらってない。ご飯代とかは出してもらったこともあるけど、君が想像しているような行為は一切ないよ」
それは嬉しい誤算だった。
「ああ、でも紗穂は私のこと見たんだっけね。そりゃ勘違いもするか。残念ながら、私には体を売るつもりがあった。どんな手を使ってでも代理就活を成功させたかったから、そういうアプローチも仕掛けた」
なるほど、と僕は頷いた。
体を売る意志はあったが、それをせずとも父親の就職先が決まったんだ。
「貯金がたくさんあったのは?」
「それは……なんていうんだろう。紗穂の社会経験がないだけだね。あれくらいならわりとすぐに貯まる程度の金額だよ。私使う充てなかったからほぼ全額貯金してたし」
確かに口座を見た両親がそこまで深く追求しなかったということは、それくらいの額だったのかもしれない。
ここまでは納得だ。
僕は核心に切り込む。
「おねえさん、どうして隣の県に行くことにしたんですか?」
ここまでの情報を整理する。
おねえさんは隣の県の施設に合格し、近くの会社の役員に父親を売り込んだ。予定通り二人ともが合格して、二人用のアパートに住むことになった。
「そんなの決まってるじゃない」
おねえさんはきょとんとした顔で、どうしてそんなこともわからないのかという顔で僕を見る。
「就職した程度で、父が紗穂にした仕打ちは消えない。紗穂は父をすぐには好きになれない。そんな人間と一緒に暮らして、受験勉強に集中できるわけないでしょ」
「……」
「私の目的は、紗穂が受験に集中するために、お父さんを最低一年間家から追い出すこと。そのために面談とか全部セッティングして、ダメ押しに二人暮らしの提案までした。ここまでやったらお父さんも、娘にそこまでやられたんだからってなるかなって思って」
――こんなこと、紗穂に言ったら気を使わせちゃうでしょう?
そうおねえさんは締めくくった。
僕は少しだけ泣きそうになってしまった。
おねえさんの愛に感動したし、そのすれ違いに悲しくもなった。
だけど僕が泣くより前に、後ろの席からすすり泣く声が聞こえてきた。
このカフェは基本ボックス席だ。
近くに誰が座っていても、気付くことはない。
僕が今日アポを取ったのは、八嶋美紗だけではなかった。
八嶋姉妹両方をこのカフェに呼び出したんだった。
「……ねえ、ななくん。これはなにかな?」
「これは、そうですね。僕個人の、エゴです」
僕は最初に言った言葉を、もう一度繰り返した。
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