⑦私と逢沢くん

「紗穂、もう夕方だけど明日学校でしょ〜。そんな生活リズムで大丈夫なの?」

 お母さんの声で目が覚めた。

 大きく寝返りを打って、「う〜ん」なんて返事を返したあとに飛び起きる。

 今、「もう夕方」って言った?

 慌てて時計を見ると十六時時前だった。

「昼前に一回起こしたんだけどね、本当に全く起きなかったから、ちょっと心配して脈測っちゃった」


 昨日は夜の九時過ぎに姉と話して、そこからの記憶がない。

 ……私二十時間近く寝ていたってこと?

 確かにお腹がすごくすいているしトイレにも行きたい。

 まじかーとか思いながら、昼ご飯として家族が食べていたらしい唐揚げの余りをつまむ。

「二人は?」

「家の内見」

「ふうん、決まるといいね」

「そうね。これでやっと八嶋家もうまく回り始めるわね。紗穂的には美紗と離ればなれになるから複雑な気持ちでしょうけど」

「……」

「夢を持つことも、それを追いかけることも、きっと多くの人にはできないことだから、お母さんすごく嬉しいけど、久しぶりにあの子が何考えてるかわからなくなったわ」

「あの人なりに色々考えたんでしょ」


 ので適当に相槌を打つ。

 私は受験勉強のことを一番に考えなければならないのだ。

「明日起きれるかなあ」

「今日は寝なくていいんじゃない?」


 でも日付が変わる頃、ばっちり眠気はやってきた。私は徹夜用に用意していた小説を閉じ、電気を消す。

 なんか今日はいつもより小説に集中できなかった。

 今読もうとしていたのは心理描写が丁寧なことで有名な作家の小説だ。でも全然キャラクタに興味が持てず、世界に入り込めなかった。この作者の本にこういう感想を抱いたのは初めてだったので少し驚いた。


 なんか忘れている気がする。

 眠りに落ちる間際、私は何かに引っかかった。小説関係で何かを忘れている気が……

「……ああ」

 結局逢沢くんにメッセージを返していないんだ。


 でも今からスマートフォンをつけて文章を考えるのは億劫だった。初メッセージを無視される逢沢くん、可哀相。そう思ったけどし、何より眠気には勝てない。

 ごめんね、と心の中で小さく詫びて私は意識を手放した。運がよかったら同じクラスになれるだろう。それは結構素晴らしいことだな、なんて思いながら。


 桜塚北さくらづかきた高校のクラス替え発表はアナログ形式で行われる。大きな教室に大きく印刷されたクラス名簿の紙が張り出されて、それを見に行くのだ。私は少し遅めの到着だったので、もう多くの生徒が新しい教室に向かっていた。


「あー、さほりんまた同じクラスだったよ!」

 なんてネタバレ挨拶を数人からされて、「そうなんだ、よろしく」なんて適当に相槌を打った。

 それを聞いた彼女たちはみな一様に首を傾げて、なんか印象変わった? などと言ってきた。そうだっけ。

 確かに二年生の時はもう少しこの子たちとも仲良くしようと努力していた気もする。仲良くしようと? ううん、違う。嫌われないように努力をしていた。


 なんで嫌われない努力なんてしていたんだっけ。


 そんなことを思いながら張り出されているクラス名簿を見ると、一番上に最近知り合った名前があった。

 逢沢七斗あいざわななと


 本当に同じクラスになるなんてびっくりした。

 メッセージを返していないのは普通に申し訳なかったので話しかけに行くことにする。

「あら、さほりん、おはよう」

 新しい教室、三年七組に向かっている最中に後ろから声をかけられた。

「まどか、おはよう」

 去年同じクラスだったバスケ部のエース、初瀬はつせまどかだった。

 まどかも同じクラスなんだっけ、と思いながら振り返る。


 彼女と目が合った瞬間――。



「……っ」

 突然頭にものすごい情報量が流れてきた。思わず頭を押さえて俯く。


「さほりん、どうしたの?」

「ん、いや、なんでもない。ちょっと立ち眩み」

「大丈夫? 春休みに生活リズム壊したのかしら?」

「それ正解」

 なんて軽口を叩きながら、私は考える。

 今のは何だったんだろう。

 ぐぐもった声が頭に直接響いてきたような感覚。ハンバーグっていうのが印象的で他の言葉をあんまり覚えていない。私が今の現象について思考していると、ふとまどかが「お腹すいたわね」と言った。

「え、朝だよ」

「朝練するとお腹空くのよ」

 真面目だなぁ。

 そこで私はふと、さっき聞こえた声もしきりにお腹が空いていたと言っていたことを思い出す。


「ねぇ、まどか」

 私は特に深く考えずに「ハンバーグが食べたいね」と言った。

 すると彼女は目を見開いて、なんでわかったの? と漏らした。

 ――え?


 もう一度、まどかと視線がバチっと噛み合う。

 再び頭に情報の塊が流れ込んできた。

 覗き込んだ瞬間、再びくぐもった声が頭に流れ込んできて、私は確信した。


 ――これは彼女の心の声だ。



「私もハンバーグ食べたい気分だったから」

 そう言い訳するとまどかはほっとしたような顔をした。


 教室の扉を開ける。

 冷静に振舞っているけれど、心の中はクエスチョンマークでいっぱいだった。

 

 なにこれ? いつから?


「八嶋さん」

 ぼうっとしながら歩いていたせいで、いつの間にか教室の窓際まで来ていた。

 窓際の一番前の席、出席番号一番の特等席。そこには逢沢くんが座っていた。

「どうしたの、ぼうっとして」

「あ、ううん。なんでもない」

 そう言ってからすぐに私がメッセージを無視していたことを思い出す。

「ごめん、ちょっと忙しくてメッセージ」

「いや、それは全然いいよ。ところで八嶋さん、ちょっと雰囲気かわった?」

「……」

 それは今朝の元クラスメイトにも言われた言葉だった。逢沢くんとはほとんど話したことがなかったのに、それでも感じるくらい大きな違和感があったのだろうか。

 私は、褒めてる? などと適当に言う。

「そうだね、目が変わったのかな。暗くなったというか、どんよりしている気がする。ちょっとこっち向いて」

「……いや、それは」


 一回否定しかけたものの、その真剣な声色に心を決めた。

 私は前髪を横に払って逢沢くんの目を覗きこむ。

 情報が流れてくる。


使


 しかしそのバラバラな情報の塊は、すぐに整理されて、ひとつにまとまった。



 逢沢くんは、にっこりとほほ笑んだ。

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