⑤私と図書館

 春休み中、私は元クラスメイトの女友達と遊んだり、中学の友達と久しぶりに会ったりして、できるだけ家にいる時間を減らしていた。

 課題のほとんどは図書館で片づけた。本が好きなので、図書館という空間も当然好きだった。電子書籍は便利だと思うけど、やっぱりこの紙の匂いは何にも代えがたいと思う。

 だからか、もう課題は全部終わっているけれど今日も図書館に来ていた。

 いつものように日本の小説家、という棚を物色していると、ちょうど同い年くらいの男の子と目が合う。

 同い年くらいというか、同い年だった。


「あれ、逢沢あいざわくんだ」

 逢沢七斗ななとくん。二年生で生徒会に所属している有名な生徒だ。成績優秀で、運動神経もよく、なにより人柄がいいと評判で、彼の周りにはいつも人が集まっている印象がある。

 しかし、に何かあったのか二学期以降少し陰が見えるようになったともっぱらの噂だった。どうやら家族に何かがあったらしいという噂もある。

 確かにすぐ近くで見る逢沢くんの目はどこか濁っていて、疲れたような表情をしていた。


「奇遇だね、八嶋やじまさん」

「私の名前覚えてくれてたんだ」

 名前を呼ばれたことが少しだけ意外だったので思わず口に出すと、まあね、と曖昧な微笑み方をされた。

「八嶋さんはよく図書館に来るの?」

「そうだね。特に春休みは結構毎日来てるかも」

「へえ、本読むんだ」

「うん、最近の若者にしては読むと思うよ」

「なんだその言い回し。自分で言うことじゃないだろ」

 逢沢くんは声を押し殺して笑った。

 ふと、逢沢くんの手元を見ると、小説を一冊持っていた。

 その抱えているミステリ小説はわたしの好きな作家の本で、比較的新しいものだ。

「逢沢くんは、その作者よく読むの?」

 彼は首をひねった。

「いや、これは完全にタイトルで手に取ったかな。タイトルってすごい大切だと思うんだよね。作者が時間をかけて書いたその十何万文字を一行でまとめているわけじゃん? つまり一番作者のセンスが問われる部分ってこと。だからタイトルに惹きつけられた小説は外さない。これが僕の持論なんだ」

 楽しそうに言う。

「確かにそうかもね。文章の合う合わないが一番わかりやすいのってタイトルのセンスかもしれない」

「わかってくれる!?」

 逢沢くんの顔が輝いた。ああ、この人は本当に小説が好きなんだなと思わせるような笑顔だった。

「わかるわかる。もしその小説がおもしろかったら教えて? 私その作者が好きなの」

「へえ、それはもう仰せのままに。すぐ読んで教えるよ」

 彼はポケットからスマートフォンを取り出した。

「何かの縁だし、連絡先交換しよう」

 あまりにもスマートに連絡先を聞き出されてしまったので、私は笑ってしまった。

「逢沢くん、手馴れすぎ」

 せっかくなので彼のおすすめの小説を聞こうと思って、「ミステリが好きなの?」と聞いたらとても微妙な顔をされた。

「どうして?」

 手に持った小説を指差す。

「あれ、もしかしてこれミステリなの?」

「その作者だったら基本ミステリだと思うよ」

「ああ、そうなのか……」

 逢沢くんは天を仰いだ。

「ミステリ苦手?」

「いいや、昔は好きだったよ。でも色々あって最近はそこまでそそられない、かな。ホワイダニットは好きなんだけどね」

 ホワイダニットとは、動機当てのことである。どうして犯行に及んだのかという動機を推理するジャンルだ。

 ミステリ好きは動機当てよりも犯人当てや犯行方法当ての方が好きな印象があったので少し意外だった。

「そうなんだ。いいホワイダニットに出会えるといいね。でもそもそもホワイダニットをあんまり読んだことないかも」

「面白いのも多いよ。せっかくだし何冊か教えようか」

「いいの? ありがとう!」

 そのあとしばらく彼と一緒に本棚を回った。

 面白かった本、気になっている本を教え合って別々の席へ向かった。


 その時だけは、辛い現実を忘れて楽しく話すことができた。

 心なしか逢沢くんの表情も明るいように見えた。


 彼と喋って、少しだけほころんだ口元を隠しながら読書に浸っている最中、ふとスマートフォンを見るとお母さんからメッセージが届いていた。

「今日は晩御飯用意しています」

 ああ、先手を打たれた、と私はうなだれた。

 晩御飯いらないですという前にこれを言われてしまったらもう家に帰るしかない。逢沢くんと会話をして少しだけ上がっていたテンションが一気に下がる。

 仕方ない。扶養されるというのはこういうことなんだから。

 私はそのあと一時間ほど小説を読んで、夕方に図書館を出た。

 帰り際に逢沢くんを探したけれど、あまりにも真剣に小説を読んでいたので邪魔をせずに帰ることにした。


 夜にメッセージだけでも入れとこうかな、と思って図書館を出て、でも家に帰るころには忘れてしまっていた。


 食卓に向かうと、すでに家族が揃っていて、父は真面目そうな顔で座っていた。

 なんとなく、面倒なことになる予感があった。

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