③私と徹夜
どうしておねえちゃんがこんなところにいるんだろう。どうしておねえちゃんがそんなことをしているんだろう。どうして。私の頭から疑問符があふれ出す。
恋愛関係? そんな好みじゃないはずだ。
知り合い? いいや、ただの知り合いとあんな距離感でくっつくわけがないでしょう!
だったらなに?
必死に一番都合のいい解釈を探すけれど、何も思いつかなかった。
おねえちゃんだってもう二十歳の女性だ。恋人がいてもいいし、最悪恋人じゃなくても、家に帰りたくないからという理由でそういう関係の都合のいい人と朝まで一緒にいてもいい。これが同世代の男の人だったら複雑だけど納得できただろう。
でも、あれは違う。あれはきっと、犯罪だ。
家に帰りたくない気持ちを都合よく埋めてくれて、なおかつお金まで貰えるお得な行為は、やってはいけないことだ、
さほりんどうしたの? という友達の声でわれに返った。
なんでもないよ、ああいうのって本当にあるんだね。などと言いながら曖昧な笑顔を浮かべて誤魔化す。
――ああ、違うや。
犯罪行為だなんてどうでもいいんだ。
私は自分が抱えている気持ちの根っこに気が付いた。
おねえちゃんが気持ちの悪い手段で自身の弱さを埋めているということに、私は失望と不快感を覚えているんだ。
嫌悪感とも言える。
尊敬という感情が一気に薄れていく。今までの彼女との幸せなやり取りが塗りつぶされていく。
根本的な原因は父親にある。だけど彼女も彼女だ。黒く塗りつぶされた思い出がそのまま心を支配して、どす黒い感情になった。
その黒色はじわじわと、心と五感を染めていく。何も聞きたくない。何も見たくない。ふらふらとした足取りでみんなについていって、なんとか駅にたどり着いた。
そこからどうやって家に帰ったかは覚えていない。
ベッドに潜る直前に、お姉ちゃんは専門学校の友達と夜通し飲み会があるから帰ってこないらしい、とお母さんが言っていたことは覚えている。
その日の夜、私は二回嘔吐した。
目が覚めて、枕もとの時計を見ると五時半だった。まだ外は薄暗い。四時過ぎにトイレに立った記憶があるけれど、そこからは曖昧なのでどうやら一時間程度は眠ることができたようだ。
春休み初日の寝覚めは最悪の気分だった。
何より辛いのが、一時間程度意識を飛ばしていただけなのに八時間眠った調子のいい日よりも頭がすっきりしていることだ。
できれば何も考えずに過ごしたかった。
でも頭の覚醒がそれを許さない。
昨日の二人組が頭から離れない。いつもなら隣の部屋で寝ているはずの姉はまだ帰ってきていないようだった。その事実が、私の見間違いじゃないかという希望を打ち消してしまう。
姉は今も、あの男に抱かれて眠っているのだろうか。気持ち悪い。
姉の華奢な体があの男に弄ばれているのも耐え難いし、それを姉が自ら行っているというのが一層最悪だ。
確かにうちはお金持ちと言えるほど裕福な家庭じゃないけど、あんなことに手を出すほど困ってもいないはずだ。姉はもうすぐ就職で、しばらくは実家から通うと言っていたので、引っ越し代金などの初期費用もかからない。そもそもバイトもしていたので貯金も十分にあるはずだ。
じゃあやっぱり、お金は副次的な利益なんだろうか。
家にいたくなくて、寂しさを埋めてくれるから?
どうして私に一言も相談してくれなかったんだろう。姉は、私が彼女を思っているほど私を信頼していなかったのかな。
眠る前と同じ思考を繰り返す。何度も、何度も、何度も。気持ち悪い、気持ち悪い。
もう胃の中は空っぽで、吐き出すものは何もない。それでも内臓は何かを吐き出そうと蠢いてい
る。気持ち悪い。
姉が何を考えているのかが知りたい。
今日彼女が帰ってきたら話を聞こう。
邪念を振り払うかのようにそう決断した私は、体を落ち着けるためにシャワーを浴びた。
熱いお湯のお陰で体が温まった私にようやく眠気が訪れた。時計の針はもう八時半を指している。私の思考は三時間もぐるぐると同じところを回っていたのかと思うと少し笑ってしまった。
寝ようかな。こんな時間から眠るという選択肢があるのも春休みの特権だし。そう思った私を、しかし家の扉の開く音が邪魔をした。
姉が帰ってきたようだ。彼女は私たちに気を使っているのか忍び足で自分の部屋に戻る。
姉の部屋は二階の突き当りなので、必然その手前にある私の部屋の前を通ることになる。私の部屋の扉は開いている。
私は、できるだけ平然を装って彼女に声をかけた。
「おかえり。遅かったね」
一瞬びくっと肩が震え、すぐにいつも通りの声で「びっくりさせないでよ。起きてたんだ」
と言った。
その声があまりにもいつも通りだったので私は思わず言葉を失った。
「紗穂、今日から春休みだっけ? 浮かれるのもいいけどいきなり徹夜するのはお姉ちゃん感心しないなあ」
「……それはそっちだってそうじゃん。こんな時間まで何してたの?」
意を決して私は単刀直入に切り出した。しかし私の覚悟も知らないで、彼女は飄々と返答する。
「残念ながら紗穂が考えているような浮ついたことじゃないよ。女友達と飲み会からのカラオケ」
嘘だ! そう言いたくなる気持ちを慌てて飲み込む。でもここで引いちゃ駄目だ。
「ふうん、楽しそうでいいね。どこ行ってたの?」
「ん? ああ、駅前だよ。駅前の居酒屋から隣のカラオケ。桜塚市民の王道ルートだね」
あはは、と快活に笑った姉は、そのまま大きなあくびをし、紗穂も寝なよと言った。姉妹の会話はこれでおしまいだという意思表示だったのだろう。
でも、ここでやめたら私は一生もやもやする。そう思ってもう一言付け加えた。
「そう。でも昨日の夜、私見たよ」
数秒の間。眠そうにしていた姉が扉の隙間からこちらを見る。
「見たって、私を?」
「うん。繁華街の方にいたよね。クラスのご飯会で私そっちのほうに行ってたんだけど」
「……」
彼女の目が一瞬だけ鋭くなり、動揺を隠すかのように右手で髪の毛を触った。
「声はかけたの? 人違いじゃないかな。私そっちには行ってないよ」
そう冷たく言い放って、姉はそのまま私の部屋の扉を強引に締めた。
私にくらい本当のこと言ってくれていいじゃん、という呟きは扉に阻まれて、誰の耳にも届いてくれなかった。
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