⑩僕と真実

「話って、なにかしら?」

 昼休み。

 僕は中庭にさほりんと初瀬を呼び出した。


 中庭には相変わらず人気が無い。


「初瀬さ。大貴の身に起きている現象について、どう思ってる?」

「……怖いわ。あれが大貴の自作自演じゃないとしたら、突然机の上にハサミが突き刺さる――つまり突然ハサミが頭に突き刺さってもおかしくないもの。篠田先生が単純なトリックだって言ってくれたから私もクラスのみんなも落ち着いているけれど」

「……」

 まあ、その通りだろう。

 その通りなんだけど、僕はその発言を聞いて

「どうしたの、逢沢くん」

 さほりんが僕の顔を見ようとする。僕は彼女とは目を合わさないようにして、初瀬まどかの方を向いた。


「なあ、初瀬」

「なにかしら」

 彼女の両眼を見て、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


 詭弁ではなく、を、紡ぐ。


「こんな回りくどいやり方をする必要はないんじゃないかな」

 視界の隅にいるさほりんが驚いた顔をする。

 初瀬は戸惑いを浮かべながら僕を睨んだ。

「何が言いたいのかしら?」

って言ったんだよ」

「……ななくんは、私を犯人扱いしているの?」

 数秒かけて言葉を飲み込んだ彼女は、自分を律するかのようにゆっくりと息を吐く。

「証拠は? 犯行方法は? 動機は? どの側面から見ても私が犯人ではあり得ないと思うのだけれど。不愉快だわ、ななくんがそんな適当抜かす人間だと思ってなかった」

 そう言って彼女は乱暴にベンチから立ち上がり、校舎の方へ一歩踏み出した。

 僕は彼女の背中に向かって声を投げる。

「証拠はない。でも、犯行方法と動機はわかっているんだよ、初瀬」

「……わかるわけがないじゃない。適当に言わないで」


「初瀬がことはわかっているんだよ」


「なっ……んですって?」

 慌てて振り向いた彼女の表情には驚愕が浮かんでいた。

 その反応で、僕は自分の推理が当たっていることを確信する。


 やっぱり、初瀬まどかが今回の事件の犯人だったんだ。


 僕は立ちすくんでいる初瀬をもう一度着席させ、二人の前に立つ。

 僕は篠田先生に倣って、人差し指を唇に当てて、少しだけ微笑んだ。

「さて、準備はいいかな」


 

「初瀬まどか、君に突然目覚めたその力はね、天曳てんびきの力って言うんだ。そして僕とさほりんにも同じ力が備わっている」

「……二人にも?」

「そう。ただ僕の能力は残念なものでね、一定の範囲内で使用されている天曳の力を認識できる、という内容なんだ」

 口に出してみることでまたこの能力の残念さを感じてしまった。悲しい。

「初瀬が抱いている疑問の答えがこれ。この世界で唯一僕だけ、君が時間を止めたということを認識できる。もちろん認識できるだけだから動けないし、音も聞こえない。視界も時が止まった瞬間から動かないし、誰が使ったかもわからない。君の能力を把握しているのは僕とここにいるさほりんだけだから、まずは安心してほしい」

「……そうだったのね。だからななくんとさほりんはいつも一緒にいるんだ」

 そんなにいつも一緒にいるように見えているのか。少しだけ恥ずかしくなった。

「これが認識できれば犯行方法にたどり着くのは簡単だ。君は止まった時間の中で手紙を置いて、ハサミを振りかざした」

「――そうね。その通りだわ。私は何のトリックも使っていない」

 その言葉に僕は満足して頷いた。


「じゃあ次、動機の部分。さほりんも気になっているよね?」

「いや、まったく」

「……」

 そう言えばそうだった。

「初瀬。こんな風に、さほりんって人間に興味ないよね」

 だけど、今回はそのわかりやすさがありがたい。天曳の力の代償を説明するためには具体例が必要だった。

 初瀬が頷く。

「これ、実は天曳の力のせいなんだ」

「……天曳の力が原因?」

「初瀬は力を得た瞬間のことを覚えている?」

「いいえ、いつの間にか芽生えていたわ。あまりに自然に使い方まで理解していたから、生まれた時から持っていたのかと勘違いするほどだった」

「らしいね。ほとんどの人は芽生えた瞬間の前後が記憶が曖昧になって、いつの間にか力を得ている。でも僕は自分の能力のおかげで、この力を得た時のことを完全に覚えているし、だいたいのルールを知っているんだ」

 僕の脳裏に嫌な記憶が蘇る。自分が能力を得た時の、忌々しい記憶。

「あのね、初瀬。この異能は、君の願いを元に発現する。君はどこかで『時間を止めたい』と願ったんだ」

「……」

「でも、この能力には代償がある。その願いの根源を失ってしまうっていう大きすぎる代償が」


 僕は、知る能力を得た代償として、知りたいと思う気持ちを失った。

 さほりんは、人の気持ちが気になるという気持ちを失った。

 僕は少しだけ濁して続きを話す。

「天曳の力の代償として、僕は好奇心を、さほりんは他人への興味を失った」

「……それは…………重すぎる代償だわ」

 初瀬は膨大な情報量に頭を抱えながらも、呻くように言葉を吐いた。

 数秒考えて、僕の方を向く。

「ということは、わたしも何かを失ったってこと?」

 そう言ってから、彼女はハッとした表情をする。


 気付いたのだろう。自分が失ったものに。


 時間を止めたいと願う瞬間とはいつだろう。

 高校生活が終わってほしくない?

 受験が来てほしくない?

 きっと、それだけじゃない。

 もっと、もっと、ロマンチックな瞬間があるはずだ。



 その言葉にさほりんは息を呑んだ。

「さっき、篠田先生の推理を聞いたんだ。彼女曰く犯行可能なのは大貴しかいなくて、動機を聞いたら、もう好きじゃない相手と別れるきっかけを作ることは多々あるってさ。でも大貴と初瀬に関してはそんなことあるわけないと思ってたんだ」

 二人はいつも一緒にいるから。

 でも、二人と会話をしていて、一つだけ違和感があった。


「初瀬さ、大貴といやらしいことは何もしていないって言っていたよね? 手を繋いだ程度だって」

「ええ、言ったわ。それが何か?」

「大貴はさ、って言っていたんだ」

「……え? 嘘、でしょ。していないわよ」

 初瀬が動揺して唇を触る。その横でさほりんがため息をついた。

「天曳の力を得た瞬間の記憶の混濁、か」

 ――大正解。


「初めてキスをした初瀬は、きっと思ったんだよ。のにって」

 そして、能力が発現した。


「その結果、時間を止める力を得たかわりに、その願いの根源。大貴と一緒にいたいという想いを失った」

「……」

「中庭に来て最初、僕は怪奇現象について聞いたよね。初瀬は『怖い』と言った。でも普通はさ、もっと大貴の心配をすると思うんだ。クラスのみんなが篠田先生のおかげで落ち着いた? そんなことは二の次だよ。能力を得る前の初瀬なら」

 距離の近い自分を客観視していた初瀬と、できていなかった大貴。

 二人の温度差は性格でも性差でもない。

 ただ、初瀬が気持ちを失っただけなんだ。


「いつの間にか想いを失っていた初瀬は、学年公認カップルかつ受験直前という状況を前にして別れを切り出せなかった。でもこのまま付き合い続けるのは不可能だった。だから、自分の能力を使って別れるきっかけを作ったんだ。違うかな?」

 しゃべりきった僕は、大きく息を吐いた。

 あとは、初瀬まどかの反応を待つだけ。


「でもなんで今指摘したの? こんな昼休みに」

 俯いている初瀬を横目にさほりんが小声で聞いてきた。

「放課後になったら篠田先生が推理披露するでしょ。そうしたら怪奇現象が、大貴が起こしたいたずらってことになってしまう。それは初瀬としても複雑なんじゃないかって思ってさ」

 なるほどね、とさほりんは呟いて――泣きだした初瀬の頭を優しく抱きかかえた。

「怖かったよね、まどか。突然意味の分からない力を得てさ。突然如月くんのことを好きじゃなくなっている、というか好きっていう感覚すらわからなくなっている。わかるよ。でも大丈夫、私が一緒に抱えてあげるから」


 さほりんは人間の心に興味がないけれど、決して人間の心がわからないわけではない。興味はないけれど、理解はできる。だから優しくだってできる。

 ――僕は、そんなさほりんが大好きだった。


 数分経って泣き止んだ初瀬は、赤い目をこすりながら僕の方を見た。

「大貴にはわたしから全部話すことにするわ。時を止める力のことも。もちろんななくんとさほりんのことは言わない。それで信じてもらえるとは思っていないけれど、そうするわ」

「いいんじゃないかな、それで」

 そういうと彼女は笑って、僕に手を差し出してきた。僕はしっかりその手を握り返す。


「ありがとう。わたしを救ってくれて」

「救ったなんて、そんな」

「いいえ。ななとくんはわたしに全部を教えてくれたし、わたしに仲間がいることを教えてくれた。そしてなにより、わたしに反省するチャンスをくれたわ。だから、ありがとう。この借りは絶対返すから」

 一瞬強く手を握った後、彼女は微笑んで手を離した。

 そして教室へと帰っていく。

 僕たちはその背中を見送りながら、大きく息を吐きだした。


「これでよかったと思う?」

「……よかったって言ってほしいんでしょ、逢沢くんは。そういうの面倒だよ」

 いちいち辛辣な女だった。

「減点ポイントはないでしょう。まどかと如月くんの今後は心配だけれど、二人も馬鹿じゃないし、うまくやると思うよ」

「そうだといいけど」

 昼休み終了五分前を告げる予冷が鳴って、僕たちも教室へ歩き始めた。


「よくやったと思うよ、逢沢くん。おつかれさま」

 背中からそう言われて全力でにやけてしまったので、僕は彼女に表情を読まれないよう必死に前を向き続けた。

 後ろにいるのは表情どころか心まで読んでしまうということだけが問題だ。

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