⑨僕と推理
「篠田先生」
廊下を飛び出して先生を呼び止める。
予冷が鳴る。
「……逢沢くん、先生は昼休みにって言ったんだけどー? 四時間目始まるよ」
「先生は普段職員室じゃなくて数学準備室にいるんでしたっけ?」
僕が四時間目をサボるつもりだと理解した先生はため息をついた。
「そうね、先生は基本的にそこにいるよ」
「同僚に友達いないんですか?」
彼女は無言で数学準備室の扉を開けて僕を中へ誘導した。
数学準備室は教室の半分程度の広さだ。扉以外の三方向の壁を本棚が占拠していて、真ん中には大きなテーブルと椅子が三つ。
そのうちの一つに僕は腰かけた。
「わたしにも先生としての立場があるからさあ。サボってる生徒を容認するのはいかがなものかって感じなんだけど」
「だったらあんな言葉を残していかないでください」
「……それもそうだ。それでも普通は昼休みまで待つと思うんだけど、どうしてすぐに来たのかな」
先生は授業中のように優しく微笑みながら僕に問いかける。
「先生こそ、どうして僕を名指ししたんですか?」
「……」
先生は僕の瞳をじっと見つめて、諦めたようにため息をついた。
「逢沢くんは適当に誤魔化しても大人しく授業に戻るタイプではないかあ、仕方ない。生徒の話を聞くことも先生の仕事でしょう」
そう言って人差し指を立て、唇に当てる。艶めかしい唇が揺れた。
「君さ、如月くんが悲鳴をあげるより前に振り向いたよね。あれはどうして?」
「あ……」
「それに、あの鏡。明らかに自分を見るための置き方じゃなかったよね」
背筋が凍った。全部見られていたんだ。
「あんまり先生の目を侮らない方がいいかもね。それでさ、君が犯人?」
淡々と追い詰めるような口調だけれど、先生は決して微笑みを絶やさなかった。
それがとても怖い。でも僕が犯人ではないことは僕が一番知っているので、強気に言い返す。
「僕が犯人だとして、どうやって音もなく机の上にハサミを突き刺すことができるって言うんですか?」
「そうくるよねえ、これは放課後に話すべきことなんだけど、仕方ない。君には先に話そう」
そう言ってもう一度人差し指にキスをして、目を閉じる。
「さて、準備はいいかな?」
先生は妖艶にウインクをした。
これから責められる立場なのに、少しだけ見とれてしまう。
「この事件の謎はひとつだけ。どうして音が鳴らなかったのか」
「……それだけ、ですか? 犯人とか」
「実行犯は如月くん」
先生はそう断言した。
まあ、そうか。
先生は天曳の力を知らないんだから、その結論に至るに決まっていた。
「わかりました。じゃあ大貴が犯人なんだとして、いったいどうやって音もなくハサミを突き刺したんでしょう?」
「あれね、ハサミは刺さってないんだよ」
「刺さって、いない?」
「そう。そうだね……ホテルのフロントとかに置いてあるボールペン立てを想像してみて」
ボールペン立て。
皿状の底面から筒が伸びている形状のものを想像する。その筒にボールペンを刺して立てる使い方が一般的だ。
「あれと同じ要領で、ハサミを立たせる。あの時手紙は二つ折りにされていたでしょう? 紙の折り込みの部分に皿を入れて、紙の上側だけハサミを貫通させる。こうすればハサミの先端が見えずに屹立しているから、まるで机に突き刺さっているように見えるよね」
「……」
「あとは簡単。先生とか隣の席の子の目を盗んでそのオブジェを机の上に出現させて、わざとらしく悲鳴をあげる。みんなは机の上に突然ハサミが突き刺さったように感じるよね。手紙を抜くときに皿の部分を外してしまえばあの時と全く同じ状況が再現できる」
確かに、その方法で突き刺さったハサミは出現する。
それが真実ではないことを、僕は知っているけれど。
ただ、先生の推理で見過ごせない点がもうひとつあった。
「方法はそうだとしても、動機は?」
大貴が初瀬との別れを促すようなメッセージを送る意味がない。
だから大貴の自作自演という可能性は薄い。
そう思っていると、
「あれ? 逢沢くんって交際経験ないんだっけ」
明らかに教師としてのラインを越えた発言を浴びせられた。
「なっ、ないですけど!」
「あ、ごめんなさいね……でも大丈夫。これからよ」
よしよし、と彼女の手が伸びてきて僕の頭を撫でた。
ちょっと興奮するからやめてほしい。この場にさほりんがいなくてよかったあ。
「別れを切り出すのが難しいからわざと別れるきっかけを作る、なんてよくある話じゃない」
「そ、そうなんですか?」
未知の領域だった。
好きじゃなくなったら好きじゃないと告げればいいんじゃないの?
「馬鹿ね、たとえもう好きじゃなくなった人でも、面と向かって嫌いって言いにくいのよ。付き合うってそういうこと。嫌いって言うにはいい思い出が多すぎるんだ」
「……」
「だから今回もそうじゃないかな。如月くんは初瀬さんと別れたくなった。けど時期も時期だし自分からは切り出せない。だからああいう不可思議な現象のせいで怖くなって別れる、という選択肢をとった」
そう先生は断言し、ふ、と小さく息を吐いた。
わたしの話はこれでおしまい。
そう口に出したわけじゃないけど、僕にはそれが聞こえた。
「さて、そんなわけで唯一犯行可能な如月くんには動機もきっちりあるんだけど、わたしとしては君がクラスの誰よりも早く如月くんの方を見ていたのが気になるのよね」
「そ、れは」
「実行犯は如月くん。別れたいのも如月くん。でも、君もなにか関係してたんじゃない? だってだって一人だけずぅっと彼のことを気にしていたもん」
「……そう、ですね」
もちろん僕は何も関係していない。
僕が大貴の方を見ていたのは、時間停止の犯人を見つけるためである。しかしその真実は先生に伝えることができない。
だったら僕は詭弁を紡ぐ。
「これはあんまり口外したくなかったんですけど、昨日も似たような事件が起きたんですよ」
「昨日も?」
「昨日は今日ほど物騒ではなかったんですけどね。大貴の机にいつの間にか同じ旨の手紙が置かれていたんです。それでひと悶着あって。昨日は僕がなんとか場を収めたんですけど、真犯人が気になったので大貴のことをよく見ていたというわけです」
「ふうむ。なるほどね。じゃあ君は如月くんがハサミを置く瞬間を見ることができたの?」
「……いいえ、振りむいた時にはもうハサミは出現していました」
先生は僕の目をじっと見つめ、ふっと緊張を解いた。
「そういうことにしておいてあげる」
僕も体の力を抜いて、時計を見る。授業終了まであと三十分ほどあった、
「これから授業に戻る?」
「……いえ、途中から入るのも変ですし」
「そ、じゃあここにいていいよ。先生とお話ししましょう。昨日の話とか聞かせて?」
そう言って篠田先生は優しく笑って、コーヒーを用意しようとした。
僕はそれを制して、ちょっと一人で考えたいことがあるんです、と告げた。
「ふうん、真面目な悩み? 進路? 先生相談に乗るよ」
「急に現実に引き戻さないでください! 真面目な悩みですけど先生の力は借りられないですね」
そういうと、そっか、と少し残念そうな顔をした。
立ち上がって数学準備室の扉に手をかけた僕は、ふと思い至って振り返った。
「あ、そうだ、先生。もし先生が時間を止めることができる人間と戦うとしたら、どうやって戦いますか?」
先生は一瞬驚いた顔をして、からからと高い声で笑った。
「急に真面目な顔をしたと思ったら何の話だよー、そうだね。わたしなら時間を止められる前に一撃で叩く」
「先生らしいシンプルな解答だ、ありがとうございます」
僕は教室を出た。
さて、解答編だ。
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