⑧僕と先生
三日連続にして、三度目の時間停止の感覚の直後。
教室の後ろから上がった悲鳴を聞き、僕は自分の見通しの甘さを痛感した。
悲鳴の主、
騒然とする教室の中で、僕はさほりんと顔を見合わせた。自分のあまりの無能さに、机の上に置いてある鏡を叩き割りたくなる衝動に襲われる。
僕は状況を整理・伝達するために、さほりんの目を見ながら記憶を掘り返した。
きっかけは昨日の放課後。
「そういえばさ、時を止めている本人が歌いだしたら、逢沢くんに聞こえると思う?」
「音の振動すら止まる世界なんだから、当然聞こえないんじゃない?」
「そうかな? 本当に世界の全てが停止しているなら、
彼女の言う通り、もし犯人の能力が時間と一緒に自分も止まってしまう残念なものだったとしたら、大貴の机にプリントを置くことはできない。
さほりんは人差し指で鼻をぽんぽんと叩きながら考える。
「時間を止めている間って、犯人は呼吸できるのかな?」
「いや、僕に聞かれても……」
そもそも天曳の力を論理的に解析しようという方が無理な話だ。
正直能力の概要については全然興味がないのだけれど、がんばって今回の時間停止について少しだけ考えてみる。
さほりんは今、使用者と使用者が触れているものが対象なのでは、と言った。
しかしそれだとスカートはどうなる!
僕はスカートを履いたことがないのでよく構造を知らないけれど、腰の部分はワイシャツや下着と接しており、そのほかの部分はひらひらしているように見える。
つまりスカートは体と接していない。
……ということはあれ? 発動中の能力者ってもしかして全裸?
「ねえ、友達のえろい妄想を見てしまった私の話していい?」
「読んだ方が悪い!」
さほりんが気まずそうに目を伏せる。
「逢沢くんも男の子だもんね……仕方ないか」
少し顔を赤らめながら、呆れたような顔で呟いた。どうして女子はえろいことを考えている男子に対して上から目線なんだ。
「生産的な話をしましょう! 音情報は伝わらないとしてもさ、光情報は伝わる可能性はあるよね。だって逢沢くん、能力発動中も窓の外だとかプリントは見えているんでしょ?」
数少ない僕の証言から的確に状況を掴み、可能性を示唆するさほりんの思考回路には驚かされる。彼女の言う通り、音は完全に消えるけれど光は見えている。全てが止まるのなら光情報だってシャットアウトされ、見えなくなってもおかしくない。
さほりんが僕に鏡を手渡した。
「標的にされるとしたらまどかか如月くんだから、この鏡でどっちかの席が見えるようにしておきな。時間停止中でも光情報は伝わるのなら、犯人は鏡に映るはず」
翌日、つまり今日。ぼうっと鏡越しに大貴を見ているときに、時間が停止した。
もうこの感覚も三度目になるのでだいぶ慣れたなあ、などと思いながら鏡に意識を向ける。
体感で十秒ほど経っても何も映らなかった。当然物音も聞こえない。
何も起きていないか、光すら止まっているか。
しかし昨日の今日で、何も起きていないなんて有り得るだろうか。もし光すら止まっているのなら、時間停止中に犯人を特定するのは無理である。
「っと」
車の急ブレーキを踏んだ時のように、体がつんのめる。さて、なにか起きたかな、と思いながら大貴の方を振り返った。
――瞬間、教室の後ろの方から悲鳴が上がった。
如月大貴の悲鳴。
そしてその悲鳴が、伝播する。
如月大貴の机には、ハサミが突き立てられていた。
「な、なんで……え、いつの間に?」
ハサミは半分に折られた一枚の紙を貫通して机に突き刺さっている。
いくら鋭利な刃物と言えど、相当な力を込めないとこんな状況にはならい。
大貴は震えながらハサミをとり、挟まっていた紙を広げて読んだ。
――初瀬まどかと別れろ。
そこには、昨日と全く同じ文章が記されていた。
脅迫文。
教室中に疑問符と恐怖が広がっていく。
そして教室に恐怖が蔓延しきる瞬間。
鋭い声が教室に響いた。
「落ち着いて! 如月くん、一回座って」
声の主は、数学教師、
篠田先生は二十台中盤の若い女性の先生だ。
彼女のその一言で恐怖が霧散し、全員が先生の方を見る。
「一応聞くね。如月くんの周りで、何か物音を聞いた人」
状況を整理するために、篠田先生がみんなに問いかけた。しかし誰も手をあげず、静かに首を振るばかりだった。
それを見た先生は自分の鞄からハサミを取り出して、「ちょっとごめんね」と言ってからハサミを勢いよく教卓に振り下ろした。
ガン、と大きな音が響いて、ハサミが教卓に突き刺さる。しかしハサミは刺さり切らず、数秒後に大きくぐらついてぱたんと倒れた。
「ふうむ。今くらいの勢いで刺しても駄目、なのね。つまり、物音を立てずにハサミを突き刺すことは不可能」
顎に手を当てて篠田先生は目を伏せた。
そのあまりに優雅で美しい仕草に全員が目を奪われる。
数秒後、授業終了を告げるチャイムが鳴った。この授業は三時間目だったので、十分後には四時間目が始まってしまう。
篠田先生はゆっくりと首を振り、ノート類を抱えた。
「ごめんね、先生は次の授業がないけれど、四時間目の先生が来ちゃう。ということでみんなに提案があります」
――すごいなぁ、先生は。
僕は昨日、初瀬まどか一人を落ち着けるために五分もかかった。吹けば飛ぶような弱弱しい詭弁で時間を稼いで、ぎりぎり落ち着かせた。
しかしこの人は、昨日よりももっと異常な事態が起きている中、振舞いだけでクラスメイト全員を落ち着けてしまっている。
「突然音もなく突き刺さったハサミ、怖いよね。先生もびびったよ。でも、冷静に状況を俯瞰してみて。そしたらとても単純なトリックで実現可能だって気付ける。先生はもう何が起きたかわかっちゃった。まず、みんなに危険はないよ。そこは安心してほしい」
――なんだって?
「放課後にここにきて謎を解いてあげるから、時間のある人は残って。事を荒立てたくないからそれまで他クラスとか他の先生には内緒ね」
篠田先生は右手の人差し指を立て、唇に当てながら軽くウインクをした。
「じゃ、授業をおわります」
茫然とした副委員長の気の抜けた号令で授業が終了する。
僕も茫然としている。
これは天曳の力による事件だ。それを先生は簡単なトリックで実現可能だって言った。
「先生はどんなトリックを思いついたんだろうね」
さほりんが小さく聞いてきた。
トリックの内容には興味ないので曖昧にほほ笑んでいると、篠田先生がゆっくりと歩いてきて、僕の耳元で囁いた。
「逢沢くんは昼休み職員室に来ること」
勢いよく先生の方を振り返ったけれど、彼女はどこ吹く風で鼻歌を歌いながら教室を出て行った。
次の瞬間、疑問が浮かぶ。
どうして?
事件に関係があると思われたのだろうか。もしかして天曳の力について何か知っている? いいや、そんなはずはない。
昼休みまであと授業ひとつ。
先生は次の授業がないと言っていた。
大人しく授業を受けるなんて――できない。
「さほりん」
「いーよ、言っておいてあげる。行ってきな」
四時間目サボるから先生に伝えておいてほしい、ということを口で言う前に、さほりんは優しい目で微笑んだ。
可愛いなあ、本当に。
「……ばーか、早く行ってきて」
目を合わせていたせいで、心の声がばっちり伝わってしまっていた。
さほりんの少し照れたような顔を見ながら僕は教室を飛び出した。
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