⑦僕とカップル

「格好よかったよ、逢沢くん。おつかれさま」

 授業終了直後、さほりんが可愛い笑顔で伝えてきた。

「あ、ありがとう」

 少し照れながらそう返す。勇気を出して立ち上がった甲斐があったな、と思っているとつかつかと初瀬が近寄ってきた。


「ななくん、ありがとう。わたしがキレたのは確かに早計だったし、仮に大貴の自作自演だったとしても、授業を妨害したことは愚かだったわ」

 真摯に頭を下げる初瀬を見て、僕は本当のことを伝えようかどうか迷った。

 彼女の中ではほとんど自作自演のセンで確定しているのかもしれない。しかし、犯人は大貴じゃない。この世界で僕だけが、それを知っている。

 時間を止める超能力者がいるんだと伝えてしまったほうが、みんなが楽なんじゃないか。

「……」

 さほりんを見る。

 さほりんは明後日の方向を見ている。


 僕が初瀬に天曳の力の概要を伝えたら、落ち着いている今の彼女になら信じてもらえるかもしれない。

 相手は人知を超越した存在だ。安全の面を考えても、本当のことを教えるべきだろう。

 けれど、それはさほりんの能力が露呈する可能性が高まるということ。


 ――それは、駄目だ。


 もちろん初瀬も大貴も友達だ。

 でも、大切にしたい人全員を守ることはできない。それを身にしみてわかっている僕は、せめて一番大切なものだけは見失わないようにしなくちゃいけない。

 八嶋紗穂。彼女の悲しんでいる顔は見たくない。


「最後に話したサンドウィッチ案は、さすがに無理があったけれどね」

「僕もそう思う。でも手段は置いておいてさ。もしあの手紙をとしたら、初瀬は誰か心当たり、ないかな?」

 動機の部分を知りたくて僕がそう問いかけると、彼女は少しだけ考え込んで言った。


「……ぱっとは思いつかないわ。そりゃわたしたちは確かに一緒にいすぎているから、受験勉強しているみんなの目障りな存在になっていたかもしれないわ。その意味で言えば、クラス全員、かしらね」

 初瀬は自嘲気味にそうつぶやいた。

 少し驚いた。初瀬、ちゃんと客観的に自分たちのこと見れていたんだ。

「……ななくんちょっと失礼なこと考えていないかしら?」

「いいえ?」

「まあいいわ。前の席の春樹君がクラスの誰かから頼まれて手紙を置いた可能性だってあるわけだしね。問題に集中していたら案外手紙に気が付かないものかも、とも思い始めたわ」


 人間は、大きすぎる違和感を逆に見落としてしまう瞬間がある。間違い探しをしていても一番単純な奴が最後の方で見つかったりすることはよくあるだろう。


 初瀬が顔を歪めながら小声で質問をしてきた。

「……ねえ、ななくん。あんな手紙が届いたってことは、相当顰蹙を買っているのだと思うわ。わたしさ……どうすればいいと思う?」

「どうすれば、っていうのは犯人をどうやってぶち殺すかの相談?」

「どんな物騒な女だと思っているのよ!」

「まあ女バスの元キャプテンだし……」

「女バスにどんなイメージを持っているのかしら」

「倒れるまで走らせたり、スリーポイントシュートを決めたり、複数人で生徒を一人囲って、ボールをぶつけたり」

「女子の腕力じゃスリーは入んないわ」

 いや他二つを否定してくれ!


「あんな文章が届いた手前、って思って」


 これまた意外な発言だった。

 初瀬まどかがあんな陰湿なメッセージに臆すなんて。

「別れなくていいと思うけど。その脅迫に屈する必要ある? 別に動画を撮られて強請られてるわけでもあるまいし」

「……逢沢くん、例えがいやらしい」

 さほりんが呆れたような口調で刺してくる。

「わたしたちそんなやらしいことは何もしていないから大丈夫よ」

「嘘だよ!」

「断定してきたわね」

「あんな幸せそうなカップルが何もしていないなんて嘘だよ」

「……いえ。せいぜい手を繋いでる程度だから健全な範囲よ」

 初瀬は数秒の間をおいて恥ずかしそうにぽつりと呟いた。

 それは嘘をついているようには見えず、僕たちは初瀬の真面目さに改めて驚いた。


「別れたいなら止めないけど、僕としては今別れられてクラスが変な空気になるのも困るなあ、という気持ちだよ」

「そうね、もうすぐ卒業だものね」

 そう言う初瀬の横顔は、すごく儚くて、寂しそうだった。

「卒業したら、僕たちやっぱり二度と集まらないのかなあ」

「悲しいこと言わないでよ。卒業してからも集まりましょう?」

「定期的に集まろうね、まどか」

「ね、クラス女子会開きましょう」

「えっ、この流れで男だけハブられることある?」


 ふと、今の話題が引っかかった。

 初瀬は卒業したくないと思っている。しかし、もしずっと高校生でいたいという願いで時を止める天曳の力を得ていたとしたら、卒業したくないという願いを失っているはずである。

 その流れで僕はもう一つ質問をぶつけてみた。

「受験はどう?」

「うーん。第一志望に行けるんじゃないかしら、とは思っているけど、もっと勉強して合格を確実にしたいという気持ちはあるわね」

 すごい自信だったけど、彼女の成績がいいことは知っているので僕は何も言わなかった。模試の成績が振るわない僕としては羨ましい限りだ。


 そして、受験が来てほしくないという願いを失っていないこともわかった。

 『高校三年生が時を止めたいと願う瞬間』でぱっと思いつくのは卒業と受験であり、そのどちらも失っていないということは初瀬が能力者である可能性は低い。

 そもそも初瀬が時間を止めて自分で脅迫状を置いたはずはないけれど、クラスメイト全員――下手したら学年全員に、こういう聞き込みをしていかなければならないだろう。

「……逢沢くん、探りの入れ方がやらしいね」

 さほりんの呟きは聴かなかったことにした。



「おーい。七斗、さっきはありがとうな。おかげでまどかも落ち着いたよ。まあ謎自体は解けてないんだけど、おれもだんだん突然現れたのは勘違いかな? って気がしてきた」

 放課後、大貴が駆け寄ってきた。

「いやいや、それより大貴、差出人に心当たりとかないの?」

「それが全くなくてさぁ。別に周りに迷惑かけた付き合い方をしているわけじゃないし、恨まれる覚えは全くないんだよな」

 心当たりはない、か。僕は適当に話を合わせる。

「まあ、そうだよね。ところさ、さっきの初瀬、大貴に結構な剣幕で噛みついてたじゃん。あの子があそこまで感情をむき出しにするのって珍しい気がしたんだけど。浮気でもして信頼値減らしてたの?」

「浮気なんてするか! 学年公認カップルの俺が浮気しようにも女の子が寄ってこないだろ」

「既婚者の方が燃えるってよく言うけど」

「ドラマの見過ぎだ。ただ心当たりは――ある」

 大貴は僕の耳元に顔を近づけてきた。


「昨日さ、初めてキスしたんだよね」


「……へ、へぇ。はちみつに含まれるボツリヌス菌って青酸カリよりも毒性強いんだ」

「何を言ってんだ?」

「え? 僕いまなんか言ってた?」

 あまりに馴染みのない行為が聞こえてきて少々トリップしていたぜ。

「そっか、昨日初ちゅーした高揚感で、大貴に対しての全てに敏感になっていた、みたいな感じか」

「初ちゅーってなんか気持ち悪いな」

 気持ちいいでしょ、知らないけど。

「やっぱレモンの味したの?」

「別に俺自身は初キスじゃねえよ。てか高三ならもっと先まで行っててもおかしくないだろ」

「僕の知らない世界なんだけど。元生徒会として取り締まるよ!」

「うるせえな」


 念のため、大貴にも卒業や受験についてどう思っているかを聞いてみたところ、大貴もその二つの願いを失っている様子はなかった。


 机から教科書を取り出す。

 あまりにもヒントがなさすぎて、捜査は難航しそうだった。もう少しヒントになる事件が起きてほしいとすら思った。


 しかし翌日、を見て、僕はその考えを後悔することとなる。

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