⑥僕と詭弁

 僕が出しゃばって、誰かが時間を止めている間に手紙を置いたんだと力説しても信じてもらえるはずがない。初瀬は理系集団で理屈屋の多いうちのクラスでも特に現実主義者だ。


 天曳の力の証拠を見せようにも、僕の能力は力が使われたことを認識するだけ。完全な受け身の能力で効果は僕にしかわからない。

「僕が今から超能力を見せるよ」「見せてみて」「誰かが使ってくれたらね」

 とんちか?


 付け加えると、さほりんに頼み込んで彼女の天曳の力を公開する案はあり得ない。

 人間のプライバシーを消し去る彼女の能力を、クラスメイトのみんなが受け入れられるとは到底思えない。僕だって使用者がさほりんではなく他の誰かだったら嫌悪すら覚えるだろう。八嶋紗穂だから、許せるわけで……いや、こんなことを考えている場合じゃない!

 今さほりんに心を読まれていなくてよかった。


 ともかく、僕たちが天曳の力を公開して、時が止まっていたということを伝える作戦は不可能だ。


 それならどうする?


 初瀬の言う通り、現実的な解答を考えると、の線しかない。

 大貴と先生の二人が、誰も大貴の机に手紙を置いていないことを証言している。そりゃそうだ。犯人は時間が止まっている間にそれを置いたんだから。


 ……犯人。

 そもそも犯人はどうして初瀬と大貴を別れさせたいんだろう。

 確かに受験期にいちゃつくカップルを鬱陶しいと思う生徒がいても不思議ではないし、部活に打ち込んでいたころの格好いい初瀬まどかに憧れていた人は、いまの初瀬を好まない可能性もある。

 誰がどう思っているかわからない。

 今回の事件の犯人は、時間を止めたいと願ったことがあり、二人を別れさせたいと思っている人間だ。しかしそれは――


「――あまりに容疑者が多すぎる」


 心を読まれた感覚を覚えたと同時に、さほりんが小さく呟いた。

 僕は無言で彼女の目を見つめ、「勝手に人の言葉を引き取るな!」と伝えた。


「ねぇ、逢沢くん。プリント解き終わって暇だからさ、あれなんとかしてきて」

 さほりんが僕にしか聞こえないくらい小さな声で、初瀬を指差す。

「…………」

 それは、僕ならなんとでもできるという信頼の表れなのだろうか。小さくため息を付く。

「さほりんはいつも横暴なんだよね」

 まあ、さほりんがそう言うなら仕方がない。

 僕はゆっくりと立ち上がった。


「初瀬」

「は? なにかしら」

 ものすごい剣幕で睨みつけられる。

 怖っ!

 美人が台無しだよ。

 でも怒っている初瀬も誰かしらに需要はありそうだね。

 ――とか思っていると、さほりんが早くなんか言えよと小さく呟いた。ごめんなさい、と心で思う。


 この場に必要なのは真実ではない。

 目的は、初瀬を落ち着かせることだ。彼女を落ち着かせて、授業を再開させること。

 僕は右手で下唇を触った。

「可能性の話をするね」

 話しながら、頭の中でを構築する。

 ゆっくり、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 真実ではなく、詭弁を紡ぐ。


「授業中に席を立たずとも手紙を置けるのは、席が前後左右と斜めの八人、大貴本人、そして


 え? 僕? と言った顔で化学の山野先生がこっちを向いた。ごめん、先生。


「すみません、可能性の話です。それ以外の人間には物理的に手紙を置くことができません。次にここから候補を削っていく。さすがに斜め前や斜め後ろ、そして真後ろの席から手が伸びてきたら大貴も先生も絶対に気付くはず」

 後ろの席の翔がうんうんと頷く。

「山野先生はプリントを配って以降、教室の前で座っていて、大貴が声をあげたタイミングでは歩いていなかった。だから容疑者から外していいと思う」

 なるべくゆっくりとした口調で、理路整然と語ったことが功を奏し、少しずつ初瀬の興奮が収まっていく気配があった。

「そうね。なら候補はあと前、左右の三人と大貴の四人よ。でも山野先生の証言から、周りの席の人が紙を回した可能性は低いわ」

 僕はゆっくりと首を振った。

 できるだけ初瀬の気を引くよう、全身を使ってゆっくりと否定を表現する。

 必要なのは真実ではない。


 ――必要なのは、一瞬の納得感だ。


「いいや、初瀬はひとつだけ可能性を見落としているよ。ねえ、春樹」

 僕は、

 春樹は驚いたような顔をしてこちらを見る。

「俺? なんで俺? 前の席の人間が後ろを振り向いて手紙を置くって、絶対無理でしょ!」

「いいや」

 僕は冷たく首を振った。

「山野先生の証言通り、左右の人間が紙を置いた可能性は低い。でもね、春樹。君だけは、絶対にバレないタイミングで手紙を置けるタイミングがあるんだ」

「……ああ、そうだわ!」

 初瀬が両手を叩いた。思わず僕の頬が緩む。


「演習問題の瞬間」


「そう。春樹が演習プリントを回し、それを大貴が受け取って後ろの翔に手渡す。その瞬間だけは唯一誰にも気づかれることなく手紙を置くことができる」

 それを聞いてした初瀬は満足そうに頷き、ため息を一つついた。

 反面、犯人扱いをされた春樹は不満そうな顔で言った。

「確かに手紙を置くタイミングはあるかもしれないけど、俺はやってねえよ。そもそも七斗ななとの推理には穴がある。プリントを配ってからもう数分は経ってるぜ? 机の上に置かれた手紙を数分も気が付かないなんてあり得るか? それに、紙が突然現れただなんて思うか?」

「……」

「だいたいなんで俺が大貴と初瀬を別れさせなきゃならないんだよ」


 それを聞いた初瀬が、確かに……という顔をする。


 しかし、僕はもう半ば満足していた。

 なぜなら、僕の目的は推理をすることではないなら。

 僕の目的は、授業を再開させること。

 彼女は決して馬鹿ではない。今は恋愛絡みで少し変わってしまっているだけで根は真面目で素直な女の子だ。興奮状態を覚ますことができれば、今が授業中であることやクラス全員に迷惑をかけていることを把握し、自らを省みるはず。

 そうなれば、さほりんの願い通り初瀬は着席し、授業が再開する。

 だからここまではただの詭弁だ。あり得る可能性を提示し、考えさせるというプロセスを踏ませたかった。

 ゆっくりと考えさせて、納得感を与えることで、頭を冷やしてもらいたかった。


「逢沢くん、よくやったと思うよ」

 さほりんが小さく笑った。僕もつられて笑う。

「もちろん僕は春樹が犯人なんて思ってないさ」

 両の手をひらひらと振り、飄々とした口調で話を続ける。

「大貴が自作自演で置いた可能性、春樹が演習プリントと一緒に回した可能性。それにもう一つあるよ。例えばこうやって」

 僕はノートを一枚破り、教科書とタブレットの間に挟み込んだ。紙が具のサンドウィッチを作る。

「休み時間中に教科書とタブレットの間に手紙を挟んでおく。こうすれば、演習問題が解けなくて教科書を手に取った瞬間、時限爆弾のように手紙が出現する。こういう可能性だってあり得るくない?」


 ――まああり得ない。

 教科書を手に取った下から手紙が現れても、叫ぶほどの驚きはないだろう。初瀬でなくても一刀両断する程度の推理だ。

 でも今の彼女は落ち着いている。

 落ち着いている彼女は、きっとを求めているはず。

 僕の予想通り、初瀬は俯いて口を開いた。

「そうね。可能性はいくらでもあるわ。ごめんなさい、先生。ごめんなさいみんな。授業の邪魔をしました。大貴も疑ってごめん」


 そう言って頭を下げ、初瀬は気まずそうに着席した。

 山野先生がまとめるかのように「よし、じゃああと十分でプリントの答え合わせをしよう」と手を叩く。


 着席してシャーペンを持ったところで、机の上にノートの切れ端が置かれているのを見つけた。


 おつかれさま。


 親愛なる隣席から送られてきた一言だけのメッセージを見て、思わず口元が緩んだ。

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