②僕と能力

 こんな勉強、将来何の役に立つんだよ。と思った事のない高校生は少数派だろう。

 それなりに真面目な僕でも、数学のベクトルや古文の授業が将来何の役に立つっていうんだと叫びたくなる瞬間は多い。将来ベクトルを使って点Pの存在範囲を求める機会なんて絶対来ないって!


 そんな受験科目の中でも、 現代社会という科目はずいぶんわかりやすく将来役に立ちそうである。

 どういう経緯で現代社会に至ったのかという簡単な歴史から、法律などの公民分野を中心に学んでいく科目であり、日本という国で生きていく上で必須の常識を身につけることができる。

 ただそれは客観的に見た話だ。

 僕たちのクラスは理系の大学に進む生徒がほとんどなので、文系科目は軽んじられる傾向にある。

 入試に直結する数学や物理と違って、授業が息抜きのような雰囲気になってしまうこともままあった。

 先生もそれを承知していて、露骨に内職などをしない限りは注意することもない。

 今日も僕は適当にシャーペンをくるくると回しながら窓の外を眺めていた。

 そんな日常の一コマ、あと十分ほどで授業が終了し、お昼休みにさしかかるというころで。


 ――それは、突然起こった。


 初めに感じたのは圧倒的な静寂だった。

 世界は音で満ちている。授業をする先生の声。黒板に板書する音。グラウンドから聞こえる体育の音。椅子を引く音。衣擦れ。呼吸。

 無意識のうちに耳が拾っていた様々な雑音が、全て止まった。

 何も聞こえない。完全な無音。


 ――圧倒的な孤独感。世界に自分だけしかいないような感覚。


 普段は意識すらしていなかった自分の呼吸や鼓動の音が恋しくなる。

 瞬時に脳がアラートを鳴らす。

 ヤバい。ヤバい、ヤバい!

 思わず立ち上がろうとして自分の体が動かせないことに気が付く。

 立ち上がれないだけじゃなく、首、指一本すら動かせない。

「――ッッ」

 叫ぼうとしたけれど、もちろん声も出ない。頬杖をついてペンを回そうとしている姿勢から微動だにできない。

 何が起きている?

 隣の席に座っているさほりんの方を向こうとして、すぐに体が動かないことを思い出す。視界に収まっている先生や生徒も微動だにしない。

 呼吸も出来ないが、苦しくはない。奇妙な感覚。

 僕は今分かることを頭の中に並べて、情報を整理する。

 世界がずっとこのままだったら?

 停止したとしか思えないこの状況が、ずっと続いてしまったら?


 そういう恐怖が頭に浮かんできた瞬間、世界に音が戻ってきた。まるで何もなかったかのように。体感で三分間くらいの静寂だった。

 世界は意外と騒音で溢れている。その意味のない音がこんなにも安心をくれるなんて。と思いながら、体も普通に動くことを確認する。

 先生やクラスメイトは、この数分間なにもなかったかのように授業を続けている。

 不可解な顔をしている人間は誰もいない。


 僕だけが、あの現象を体験していた。


 僕だけが、あの現象を認識していた。


 この現象を僕はよく知っている。人知を越えた超常現象。僕だけに認識できる不思議な現象。


 これは、天曳てんびきの力だ。



「さほりん、ちょっといい?」

「……なにかな」

 授業が終わって昼休み。友だちと仲良さそうにお弁当を食べているさほりんを呼ぶと、あからさまに不機嫌な顔で振り向いた。

 楽しいお昼を邪魔をするな、と思っているのが、読心術を心得ていない僕にも分かる。

 さほりんは本当に自分の気持ちを隠そうとしないなあ。

 その感情に正直な表情もさほりんの魅力ではあるのだけれど。

「あー、ご飯食べ終わったらでいいから、ちょっと相談」

 そう言うとさほりんは僕の顔をじっと見つめ、ため息をついた。

「ばか」

 そう悪態をついて、一緒にお弁当を広げていた友だちに向かって両手を合わせる。

「ごめん、ちょっと逢沢くんと食べてくるね」

「えー、ななくんとの話なんて食べ終わってからでいいじゃん」

「逢沢くん一回機嫌悪くなると面倒だからさ。じゃね」

 さほりんは食べかけのお弁当をしまい、「ほら、行くよ逢沢くん」と首をかしげた。


 ちなみにクラスメイトの大半は僕、逢沢七斗あいざわななとのことをななくんと呼ぶ。

 どうしてさほりんはいまだに逢沢くん呼びなんだ、と思わなくもない。


 少し歩いて僕たちは中庭のベンチに並んで腰掛けた。肌寒いためか、僕たち以外に人はいない。


「じゃ、あらためて聞きましょうか。逢沢くん、今回はどんな目にあったの?」

 さほりんの両目にまっすぐ射抜かれた僕は少したじろぎながらも答える。

「四時間目終了の直前かな、突然世界から音が消えたんだ」

「音が?」

「そう。一応聞くけどさほりんは感じなかったんだよね」

「ええ、何の話をされているのかわかんないな」

 僕は一つ頷いて、詳細を話す。

 だんだんと、さほりんの表情が険しいものになっていった。

「……ふむ。それは厄介な現象だね。とりあえず分かっていることを整理しようか」

 彼女はふー、と大きく息を吐いて、手首をくるくると回す。


「まず、逢沢くんにだけ認識できたということは、によるものだって理解で良いのかな?」

 僕は頷いた。

 天曳の力。

 それは、人知を越えた超能力である。およそ人間の手では出来ないと思われる現象を引き起こす力。とある条件を満たすと、人間誰しもに発現する可能性のある超常的な異能。

 僕とさほりんもこの天曳の力の能力者であり、能力が発現して以来、たびたびこの力が引き起こす事件に巻き込まれている。


「ってことはその現象は人為的に引き起こされているんだよね。能力の使用者はクラスメイト? 先生? 学校の人?」

「そこまではわからない」

「……逢沢くんの天曳の力ってさ」

「やめろ言わないでくれ」

「しょっぱいよね」

「言わないでって言ったよね!?」


 一年前、僕に発現した力は、【認識】。


 僕は、


「……逢沢くん、念のため確認するけど」

「なに?」

「たとえば今回、君は世界が停止したことを【認識】をしたわけでしょう?」

 頷く。

「その停止した世界の中で、君は何かできるの?」

 首を横に振る。

「できないよ。動けない。『あー、世界が停止しているなあ』って認識するだけ」

「……」

「…………」

「――逢沢くん」

「やめろ言わないでくれ」

「しょっぱいね」

「言うなばか!」

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