①僕とさほりん
高校三年生の十月は最悪の気分ではじまった。
「……はあ」
原因は、今日返却された校外模試の結果。
改めて成績シートを眺める。
当然、何度見ても結果は変わらない。D判定の文字がAやSに変わることはない。
きっと志望校が高すぎるんだよなあ。下げようかなあ。
模試が返却されてから数時間前、何度も何度も自問自答している言葉。
その時、隣の席から凛とした声が聞こえてきた。
「どうしたの、逢沢くん」
「え?」
「隣でそんなにため息つかれると気になるんだよ」
しかし表情には少しだけ影があり、幸の薄そうな雰囲気で満ちている。
この時期になるとほとんどの生徒が塾や図書館、自宅など自分の落ち着けるスペースで勉強するのにわざわざ教室に残っている稀有でモノ好きな生徒だ。
「それは逢沢くんもでしょ」
教室を見回すと、いつの間にか僕たち二人だけになっていた。さっきまでは数人残っていたけれど時刻は六時前。さすがにみんな帰ったのだろう。
「さほりんは帰んないの?」
「友だちが隣で憂鬱そうにため息ついているのに放って帰れないよ」
「そっか、それは、ありがとう。心配してくれてるんだ」
彼女はそのお礼を鬱陶しそうな顔で受け取り、僕の方に向き直った。
「模試の結果が悪かったのがそんなに気になる?」
「まあね。もう十月だよ。一次試験まで四か月もない。この時期になっても全然判定がよくないんじゃあさすがに気にする」
「でも逢沢くん、夏休みギリギリまで生徒会やってたし仕方なくない?」
「……それで試験日が待ってくれるならその言い訳に甘んじるけどさあ」
さほりんの言う通り、僕は七月末まで生徒会の書記をやっていて、夏休みに引き継ぎ業務を終えたばかりだった。
「生徒会、大変そうだったじゃん。色んな行事の運営とかさ」
文化祭、体育祭、その他色んな行事。先生のお手伝いや地域活動。
他にも迫りくる”悪”から学園を守っていたり。
「話を盛るな。なんだ迫りくる悪って」
僕の冗談には付き合いきれないと言った顔でさほりんはノートと参考書を鞄にしまいはじめた。
僕も帰り支度するかあ、と思ってノートを閉じる。
「まあ逢沢くんが模試の結果に一喜一憂しようがどうでもいいけど、その模試って二か月前のでしょ。ほんとに気にしない方がいいと思うよ」
「……ありがとう」
さほりんは性格上あまり他人を気にかけない。
だから僕は、珍しいものを見るような顔でお礼を言った。
「ほら、帰ろう」
鞄を持って扉の前に立ったさほりんが、教室の鍵を人差し指に引っ掛けてくるくると回しながら笑顔で振り返った。
うちのクラスは、最後に教室を出る人間が鍵を閉めて職員室に持っていくというルールがある。
「僕も職員室まで一緒に行くよ」
「ありがと」
二人並んで廊下を歩く。少しだけ無言の時間が続く。
「あは、いいよ。そんなに無理して話題探さなくても」
僕の心を見透かしたさほりんが笑った。
そうは言うものの、せっかく二人で歩いているんだ。無言というのも寂しい。
時事ネタでもなんでもいいから、と口を開こうとした瞬間。
「もしかして散々擦り倒されたぬいぐるみ時計の話するつもり?」
「……」
図星だった。
高校の最寄り駅である桜塚駅前には、高さ4メートルほどの時計台が立っている。細いポールの上に丸い文字盤が載っている一般的な時計台。
ある日、その文字盤の上にゴリラのぬいぐるみが置かれていた。
通行人はその可愛らしい光景に暖かい気持ちになったり、「なんでゴリラ?」と思ったりしていたが、誰かがふと気付いた。
――どうやって乗せたんだ?
時計台の高さは4メートル。簡単に手が届くはずもなく、誰かがよじ登っていたら駅員が止めているだろう。
その不思議なぬいぐるみはSNSで少しだけバズり、駅利用者を困惑させ、事件は日常に埋もれていった。
はずだった。
二週間後、次は時計台の上にシカのぬいぐるみが出現。
第一発見者によると、魔法のように瞬時に出現したらしい。まあそれはさすがに眉唾物だけれど。
「それで次は先週だっけ? サンヨウチュウのぬいぐるみが置かれていたのは」
「そうそう」
さらに二週間経って時計台の上にサンヨウチュウのぬいぐるみが出現した日、5リラ、4カ、3ヨウチュウと、ぬいぐるみがカウントダウンを刻んでいることが判明した。
どうやってぬいぐるみを置いたのか、そして、カウントダウンがゼロになった瞬間になにが起こるのか。
いつしか一連の出来事はぬいぐるみ時計と呼ばれるようになり、最近の桜塚北高校は、その話題で二つで持ち切りだった。
「で、逢沢くんはぬいぐるみ時計についてなにか一家言あるの? 謎が解けたとか」
「いや、ないけど」
「じゃあなんでその話振ったんだよ!」
時事ネタだからとりあえず振ってみたけど、正直僕自身はあまり興味のない話題だった。
「ほら、サンヨウチュウのぬいぐるみが可愛いなって」
「知らないけど。買えばいいじゃん」
「ぬいぐるみ買うのってなんか恥ずかしい」
「可愛いと思うなら躊躇せず買えばいいのに」
「そこは複雑な男心ってやつよ」
僕がそう言うと、さほりんはスンとした表情で吐き捨てるように言った。
「……人の心とか気持ちとか興味ないから」
職員室の扉をノックする。
冷たい言葉だったけれど、僕はさほりんのその言葉が大げさでも何でもないことを知っていたので深く追及はしない。
靴箱に着くと、校庭の奥の方に男女が座っているのが見えた。
「あれ、
「ほんとだ。相変わらず仲いいね。もう付き合って二ヶ月くらいじゃない?」
初瀬まどかは女子バスケットボール部のキャプテンを務めていた、明朗快活で格好いい女の子である。現役のころは短くしていた髪の毛も今は肩下まで伸びているのでだいぶ雰囲気も変わったが、それでも根強い後輩女子ファンは多い。
うちのクラス、三年七組の初瀬と大貴が付き合い始めたのは九月の頭のころである。部活を引退した夏休みに色々進展があったらしく、いつの間にか恋人になっていた。
勉強しろよ!
「ほらほら。嫉妬しないの」
「ベンキョウ・・・・・・ベンキョウ・・・・・・」
「壊れちゃった」
正直な話、大貴はまだしも、初瀬には毎日お昼を一緒に食べて一緒に下校するようなあまあま生活を送るようなイメージはなかったので、僕はかなり面食らった。
「私もそう思う」
「だよね」
さほりんは少しだけ間を開けた後、やや上目遣いに僕を見た。
「……二人が羨ましい?」
「――え」
心臓が大きく鳴った。
少しだけ潤んだ綺麗な瞳に吸い込まれそうになったので僕は慌てて目を逸らしながら、「そりゃ二人のことは羨ましいよ」などという。
僕も高校生活のうちに男女交際というものを体験したかったけれど、もうあと半年で卒業すると思うと難しいかもしれない。
「逢沢くん、顔は悪くないし彼女の一人や二人、簡単にできると思うけどな」
「女性の言う『すぐ彼女できると思うよ』は信用しちゃ駄目だってのが逢沢家に代々伝わる家訓なんだよね」
「君が末代になったほうがいいかも」
そんなくだらない会話をしながら、僕たちは校門を出た。ここから、バスに乗って駅へと向かうさほりんと、徒歩で家まで帰れる僕で道が別れる。
それを少し名残惜しく思いながらも、僕は彼女に手を振った。
世界中の動きが止まるのは、この翌日のことである。
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