前十両に後ろ三両
三鹿ショート
前十両に後ろ三両
対象が美醜のどちらであるのかという判断など、個人によって異なるものである。
大多数の人間が美しいと感じたとしても、数えるほどの人間にとってはその逆に感ずることがあるだろう。
だからこそ、普遍なる美しさなどというものは存在していないと考えていたが、どうやら私の考えは間違っていたらしい。
何故なら、最も美しいとされる顔面を、人々が揃って真似をし始めたからだ。
髪型や服装は多種多様ではあるが、その顔面は、統一されていた。
全員が同じ顔面をしていれば、確かに他者から顔面の美醜について馬鹿にされることもなくなるだろう。
だが、誰もが同じ顔面であるということは、気味が悪いにも程がある。
愛していた彼女もまた同じ顔面に変化した際には、私は逃げ出したくなった。
しかし、言動は愛していた彼女そのものであるために、目を瞑れば、これまでと変わることなく愛し続けることができた。
いっそのこと、自分で自分の両眼を潰せば、幸福な人生と化すのではないか。
そのように考えたことは一度だけではなく、何度刃物を手にしたのか、憶えていない。
私が実行しなかった理由は、単純な話である。
痛みを感ずることは、避けたかったからだ。
***
やがて、私と彼女の間に、子どもが誕生した。
生まれた我が子を見て、私は久方ぶりに安堵した。
その顔面が、統一されたものではなかったからだ。
だが、何時の日か、彼女は子どもの顔面に手を加えようとするだろう。
もしも彼女がそのようなことを言い出した場合、私は全力で止めるつもりだった。
***
子どもが成長していくにつれて、彼女は暴力を振るうようになった。
子どもの顔面を見ていると、自身の醜かった頃の姿を思い出してしまうことが理由らしかった。
私は彼女から子どもを守り続けたが、それにも限界が訪れた。
彼女が投擲した家具の打ち所が悪かったのか、私は何時の間にか病院に運ばれていたのである。
周囲に家族の姿が無かったために、居場所を訊ねると、私が入院したときに見ただけで、それ以来は姿を見たことがないという話だった。
私は、病院の人間たちによる制止を振り切り、自宅へと向かった。
しかし、自宅は無人であり、置き手紙には、私と離れて生活をするということが書かれていた。
子どもを守ることができなかったことを悔やみ、私は涙を流した。
***
それからの私が、新たな異性と交際することはなかった。
何故なら、彼女によって私の子どももまた同じ顔面に変えられていることを確信しており、交際を開始した人間が己の子どもであるという可能性が存在するからである。
子どもが私のことを憶えていれば、越えてはならない一線を越えることも無いだろうが、それでも私は、一歩を踏み出すことができなかった。
***
あれから、美しいとされる顔面が、何度変化したことだろうか。
私の足腰が弱るまで、両手足の指では足りないほどであることは確かだった。
その日もまた同じような顔面を眺めながらの仕事を終え、自宅に戻ると、其処には二人の女性が立っていた。
その顔面を見て、私は自身の足腰が弱っていることも忘れ、駆け出した。
何度も転倒しそうになりながらも、やがて二人の女性の下に辿り着く。
老いた私を見て、私の妻である彼女と、私の子どもが、同時に笑みを浮かべた。
彼女は私の手を握りながら、
「私が、間違っていました。私は私以外の存在と化すことはできないと気が付いたとき、顔面を変化させたことを悔いたのです。かつての姿と完全に同一ではありませんが、あなたと愛し合っていた頃のものに近付くことができるようにしたつもりです。懐かしいでしょう」
彼女の言葉通り、その顔面は、私が心を奪われたものだった。
幼少の時分に離ればなれとなってしまったために、成長した子どもの顔面を見て、確かに自分の子どもだと実感することはできなかったが、彼女が連れていることを思えば、私の子どもであることは間違いないのだろう。
我々は、空白の時間を埋めるかのように、語り続けた。
一日だけでは当然足りず、そのような生活は一週間以上続いたのだった。
***
家族との時間を再び持つことができるようになったある日、自宅に手紙が届いた。
中身を確認し始めた私は、首を傾げることになった。
其処には、彼女が最近になってこの世を去ったということが書かれており、それに加えて、差出人が私の子どもの名前だったからだ。
私の家族は、家の中で眠っているはずである。
何故、このような手紙が届けられたのだろうか。
何かの悪戯かと思い、私はその手紙を塵箱に捨て、家族のところへと向かった。
前十両に後ろ三両 三鹿ショート @mijikashort
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