第42話 エルの世界

エルの笑みが完全に消える。やはり目の前の平民は分不相応な大望を抱いていた。負ける気は毛頭なかったが、どんな手を使っても負けるわけにはいかない。ここで勢いを断つ。

(こうも俺の神経を逆なでしてくる人間がいるなんて世界は広いな。)

「では俺からも一つ決定事項を教えてやる。お前の願いは永遠に叶わない、身の丈に応じた生活をすることだ。」


今度はレースの顔が固まる。どうやらエルグランドはガチガチの保守派のようだ。そこらの貴族とは違うと思っていたが、むしろ逆。今までの生活をこれからも続けていくことに固執している。

(見立てが甘かったか。…結局、私たち平民が変えるしかないということか。上等だ!、世界をひっくり返してやる。)


「「ハッ」」


槍と剣が交差する。槍の方がリーチが長く、レースはなかなか距離を詰められない。それに加えて――

「素晴らしい技術だな! エルグランド、それは空の型だろう?」

「知っているのか? 博識だな。」

「もともと私は槍に興味があったのさ。もっとも適性はなかったけれども。」

「へー。俺は逆に剣の適性がなかったけどな。」

「それはまた珍しい。」


二人は戦闘中に何でもないかのように言葉を交わしているが、速度域は2倍の世界。常人では到達できない領域だ。

(ただ哀しいかな。肉の質の差が出ている。)

男と女、生物学上の身体の構造の差が浮かび上がる。同じ倍率の強化率なら、身体の素養が全てなのだ。

(さーて、どうやって倒すかな。…決めた、世界に入って倒そう。)

もしもレースが野心を実現しようとするなら、貴族と、王と、国そのものと戦っていなければならない。もはやそれは世界と戦うことに等しい。ならばその大きさを知っておかねばならないだろう。


「じゃあ、終わらすか。」

「ずいぶんと強気だな。」

「強気ではないさ。俺は本当に強いから。」


「トンッ」


エルの最後のセリフがとてもおぞましく聞こえ、レースはとっさに距離を取ってしまう。それでも身体が粟立つ感覚は消えず、むしろ脳の鳴らす警鐘が大きくなってくる。

(またこれかっ! ハインとパンサーを圧倒した不思議な力。)

しばらくじっとしてると、身体が何かに引っ張られる気がする。

(…何だこれは? この先に行くのは不味い気がするが…。私は世界を変えるのだ、これぐらいで臆していられるか。)

強力な理性を押さえつけ、身体に主導権を渡す。その瞬間、周りから音が、光が消える。気づくと――

(ここはどこだ?)

辺り一面何もない灰色の草原に居た。空には暗雲が広がっており、灰のような何かが降ってきている。見てるだけで寂寥感を覚えてしまう。こんな世界では到底生きていけないだろう。

(…なんて哀しいところだ。音も光もない、あるのは静寂のみ。)

そう思った瞬間、身体に巨大な負荷がのしかかる。先ほどから降っていた灰らしきものが突如として吹き荒れ、それと同時に凄まじい重さを帯び始めたのだ。

「クッ」

あっという間に立っていられなさそうになる。それでも立つ――そう思った時には現実へと帰ってきていた。

「ハァハァハァ。」

なぜか非常に息苦しい。何もしていないはずなのに疲労度が凄い。

(クッ、さっきのは何だったんだ? あれがエルグランドの秘密か?)


エルは一歩も動かずに灰色の瞳で息切れしているレースを見つめる。間違いない、彼女は真の意味で体験していた、己の世界を。かつて己があの男の世界を体験したように。そう理解した瞬間、恥ずかしさと嬉しさと哀しみが混ざった複雑な感情が生じる。

(…おそらくハインやパンサーはここまで踏み込んでいなかった。…ということはこいつは世界に至る素質があるといったところか。)

レースの目を見ても折れたような感じはしない。であるならば認めざるを得ないだろう、世界の反逆者として。

(まさかのこいつが最初の1人目とはな。…どうすべきか?)

エルは心の中でこれまでの人生でも数えるくらいしかない葛藤をしていた。レースはまだ仙人ではないが、いつか仙人に至って自分の敵となる可能性が高い。ならば、殺すとは言わないまでも事故のふりをして両目ぐらいは奪っておいた方がいいのではないか? おそらくシードは剥奪されるだろうが、それでもお釣りは帰ってくる。ただそれと同時に恐れもしていた。

(――おっさんによると仙人の寿命は…。)

やはり駄目だ。まだ手を出すべきではない。そもそも自分と彼女、どちらを選ぶのかはそれこそ世界が決めることではないだろうか? それに――

(どうでもいいか。生きるときは生き、死ぬときは死ぬ、それだけだ。)



「エルとレース、何かを話しているな。内容までは分からないが。」

「確かに。口元は動いてるんだけどなぁ、どっちも最小限しか動かしていない。」

ジムとノアが暢気に話している間、珍しくテオの顔から気怠さが取れていた。

(新世界? 何の話をしているんだろう? …まさか貴族を排して平民社会を作るとか?)

考えれば考えるほど悪い方向に想像が働く。なまじ彼女が強いだけあって、面倒ごとになる予感しかない。今ならまだ始末できるだろう。

(でもエルがそれを認めるとは思わない。彼は保守的だから。)


「何だ? どうしてあの女は急に息が切れてるんだ?」

「本当だ。さっきまでは涼しい顔だったのに。エルが何か魔法でもかけたか?」

ノアのそんな冗談交じりの言葉にテオは軽く同意してみせる。

「そうかもね。エルなら不思議じゃないよ。」

(…あの女、を視た? 感じるだけじゃ、ああはならない。)

「…テオが冗談を言うのは珍しいな。」

「明日は雪が降るかもしれんな。」

「二人ともひどぉ。」


レースはゆっくりと息を整えて、エルと向かい合う。

「…エルグランド・フォン・ハーブルルクス、さっきのは何だ?」

「何となく気づいているのだろう? 世界の反逆者よ。」

「…他ならぬ貴殿の口から聞きたいのさ。」

「俺の世界だ。」

レースはその返答に深く納得する。あれは世界そのものと言っても過言ではない雰囲気があった。そしてそんな世界を感じさせられるのはエルグランドぐらいしか思いつかない。

「なるほど。どうしてあんな世界なんだ?」

「この世は写し鏡、なら逆も然りということだ。」

「…。」

レースは絶句するほかなかった。エルグランドの言うことが正しいとするならば、彼は寂れた世界で生きているのと同義だ。そこはどれだけの絶望だろうか? ほんの一瞬ならまだいい、だが自分たちはまだ人生の半分も生きていないのだ。これからもそんな世界で生き続けていくのだとしたらどう考えても救いがなさすぎる。


「辛くはないのか?」

「何を言ってる? 辛いのが人生だろう? そこに疑問の余地はない。」

(どんなに幸せでもただの一過性だ。どこまで行っても幸せは不幸の中にしかない。しかも不幸はあっさりとその幸せを塗りつぶす。)

「…過去に何かあったのか?」

絞り出すようにしてレースは問いかける。原因が分かればどうにかなるかもしれない。今はただ彼を救いたかった。貴族は全員幸せだと思っていたが、その常識が崩れていく。

「何もない。強いて言うなら積み重ねか、それが俺の世界を形作った。」

確かに世界に至るきっかけは母だったが、それまでにもこの世に不信を抱くには十分な出来事は見聞きしている。希望は抱かない、代わりに絶望もしない。今では感情も切り捨てつつある。

(感情を捨てられれば、俺は無敵になれる。そうすれば揺らぐことはない完全なる灰色の世界だ。)


「…そうか。ならば、私はお前の世界を否定する。この世はもっと素晴らしい。確かに辛いこともある。だが、それと同等以上の良い事もある。お前だって辛い事しかなかったわけではないだろう?」

「…。」

(ああ、こいつとは分かり合えないな。何でなんだろうな? 生まれが違うからか?)

己と彼女は同じ世界に生きながら、違う世界に生きている。何となく彼女が仙人候補なのも理解できてしまった。世界に意思があるのだとしたら、きっと彼女は己に対するカウンターなのだろう。本当にこの世は理不尽だと思う。

(俺もそっち側が良かった……。)






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灰色の仙人 @sasuraibito

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