第22話 勇者、お産に立ち会う。



 お産の始まり方、進み方というのは人によって千差万別。

 同じ母親でも兄弟で出産経験がまるで違うということもざらにある。

 だから事前に予測するなど至難のわざ

 たとえどれだけ計画性のある母親であっても、お産のことばかりはお腹の中にいる子の采配ひとつでころりとひっくり返るものである――


 さて、破水から始まったセリアのお産。

 そもそも破水とは赤ちゃんを包む卵膜の一部が破れ、羊水が外へ流れ出してくることをいう。卵膜のどこの部分が破れるかによって状況は異なるが、セリアの場合は卵膜の下部が破れた完全破水という状態で、こうなるとじっとしていてもとくとくと股の間から羊水が流れ出る。

 破水から始まるお産の場合、赤ちゃんがすでに産道を通して外界に触れる状態であるため、衛生に気をつけてすぐにお産の準備に入らなければならない……というのはセリアから事前に言い聞かされていた。


 ラカンは急ぎ家中の布という布をかき集め、彼女をくるむと両腕で抱きかかえて外へと飛び出す。

 かかりつけの産院までは歩いて十五分とさほど遠くはない。馬車や出張産婆を呼ぶよりこのまま連れて行ったほうが早いだろう。

 ラカンはなるべくセリアに衝撃が伝わらないよう配慮しつつ、急ぎ足で産院へと向かう。

 しかし重い。妊娠中のセリア身体は元の体重より十キロは増えたという。おまけに慌てていたラカンは勇者の剣を帯剣するのを忘れていた。つまり生身の腕力で支えていることになる。

 腕が痺れる。さらにセリアの陣痛が本格化してきたらしく、ラカンに強くしがみつきながら身悶えて暴れようとする。


「セリア、もう少しだ! すぐに着くから耐えてくれ……!」


 この腕にかかる二人分の命。

 絶対に離すものか。

 ラカンは自らを奮い立たせ、腕の筋の一本一本に力を込めた。


 セリアが通っていた産院は、聖スピカ教会の管轄の院である。助産師が主に出産の介助を担当するが、難産の際のトラブルに対応可能な薬師や聖女たちも常駐しており、どんなお産でも安心できるとして王都の中では人気の産院だ。

 今日も健診の妊婦やお産を終えて退院する新米母たちでごった返していたが、息を切らしてセリアと共に現れたラカンを見るなり近くにいた看護師が駆けつけてくれた。


「破水ですか?」

「はい、つい先ほど」

「痛みの間隔は」

「あああああああああッ」


 ラカンが答えるより早くセリアが叫ぶ。


「も、もう、ダメですっ! お尻の、あたりが――ああああああッ!」


 聞いたことのない悲痛な声。

 これ、まずいんじゃないか。

 ラカンの背筋に悪寒が走る。もしも、万が一、セリアの身に何かあったら……。


 しかし看護師はあろうことかニコリと微笑んでみせた。


「良いですね、順調ですよ!」

「じゅ、順調……?」

「はい。お尻の方に痛みがあるということは、赤ちゃんが下がってきている証拠です! でも今ここで産まれると危ないので、旦那さん、分娩室まで奥さんをお願いできますか?」

「は、はぁ……」


 そうこうしている間にセリアが再び呻き声をあげた。


「も、もう出ちゃ、出ちゃいま――うううううッ!」

「奥さん、まだ我慢ですよ! いきむのはもうちょっと待ってくださいね!」

「い、いいいい、どう、どうやって、止めたら、ああああああっ……」


 人はなぜ、子を生む痛みを片親だけに負担させる形に作られているのか。

 ラカンはそう思わずにはいられなかった。

 どうして彼女だけが苦しまなくてはならない。

 父親はオレだ。こうして目の前にいるのに、いることしかできない。

 ああどうか、彼女の痛みを少しでも代わってあげられたら……!


 分娩室に着いてすぐ、セリアは分娩椅子という股の部分が開いたU字形の椅子に座らされた。助産師たちが数人部屋に入ってきて、テキパキとエプロンを身につけ、お産の準備に取り掛かっている。


「ラカン……」


 か細い声で呼ばれ、ラカンはすぐさま彼女のそばに駆け寄った。

 額には汗がじっとりと滲み、痛みで泣き叫んだ目の周りは赤くやや腫れている。

 今は痛みの波が落ち着いているタイミングなので、息は荒いが会話はできる状態のようだ。


「ひとつ、お願いをしても良いですか」

「うん。なんでも言って」

「もし私の身に何かあれば、この子を頼みます」


 そう言って彼女はラカンの手を取り、お腹へと導いた。

 驚いた。

 石のように固くなっている。

 これはさぞ痛かろう。想像するだけでも頭から血の気が引いていく。


(オレは、なんてことを)


 今更、急に後悔が襲ってきた。

 これだけ魔工具による技術が発展したモルダーンの王都であっても、毎年お産が原因で亡くなる人は一定数存在する。

 妊娠・出産とはそれだけ女性にとってリスクある行為なのだ。

 愛する人との間に子が欲しい――それがたとえ人として純粋で善意からなる欲求だったとしても、その代償が時に人の命であり人生であるという事実を、こんな土壇場になって気づくだなんて。


 何事もなんとかなると思って生きてきた。

 だがもし彼女の言うように、彼女の身に何かあったら。あるいはお腹の中の子が無事に生まれてこれなかったら。

 考えるだけで目の前が真っ暗になりそうである。


「セリア、死ぬな」


 無意識のうちにラカンは泣いていた。


「オレには、それしか言えない。君が死んだら困る」


 ぼろぼろと涙がこぼれ落ちてくる。

 まるで駄々をこねる子どものようだ。情けないが止まらない。

 セリアもまさかラカンが泣くとは思ってもみなかったようで虚をつかれたような顔をしていたが、やがて再び訪れた陣痛の波にそれどころではなくなった。

 室内に響き渡るセリアの悲鳴。

 それが一層ラカンの胸を裂き、溢れる涙に拍車をかけた――が、しかし。


「旦那さん! 泣いてる暇があるなら手伝って!」


 ベテラン助産師がラカンの背をドンとどつく。そして半強制的に手のひらに収まるくらいのボールを摑まされた。球技で使われるやや硬いボールである。


「それを奥さんのお尻に当てるんだよ! ほらこんな風に!」


 普通だったら痛いんじゃないかくらいの強さで、助産師はセリアの尾骨あたりにボールをぐりぐりと押し付けた。しかし不思議とその間セリアの叫びが弱まり、落ち着いて呼吸ができているようである。

 ラカンも見よう見まねでやってみた。場所によって効かないところもあるようだが、少しでも彼女が楽になるのであればやるしかない。


「人にはね、役割ってもんがあるのよ」


 ベテラン助産師は言った。


「できないことを嘆いたって何にもならないよ。旦那さんには旦那さんの役割がある。そうだろ?」


 痛みに耐えるセリアが頷いたように見えた。

 役割――オレの、役割。


「赤ちゃんの頭が見えてきました!」

「ようし! 呼吸合わせるよ! 奥さん、せーのでいきむからね!」

「は、はいっ……!」

「今です! 波が来ました!」

「行くよ、せーのっ!」

「ううううううううッ!」

「いい感じ! まだ続くよ! 一旦息吸って!」


 その場にいる全員の呼吸が一つになる。

 ラカンはセリアの手を握り、誰よりも声を張り上げて言った。


「大丈夫だ、セリア! 絶対……絶対なんとかなる!!」


 たとえ無謀でも、そう叫び続けること。信じ続けること。無理矢理でも道を切り拓くこと。

 そう――それが勇者であり、セリアの夫であり、今から生まれようとしている子の父親である、ラカンという男の役割だった。


「もう一回行くよ! せーーーーーのっ!」

「うああああああああああああああッ!!!!」


 ……産声が上がった。


 騒々しかった部屋中の音が、たったひとつの眩い命の声に上書きされる。

 その名の通り身体中真っ赤になった二人の赤ちゃん。

 この子もまた、戦ったのだ。狭い産道を必死にくぐり抜け、温かい母の腹から厳しい外の世界へと飛び出した。

 そして今、一生懸命に泣いている。

 ここにいる。生まれたぞと、自らの存在を示すように。


 なんて、可愛いんだ。


 セリアと目が合う。

 彼女も同じことを思ったのだろう。

 もはや痛みによる苦悶の表情は消え去り、涙ぐみながら笑みを浮かべた。


 ありがとう、セリア。ありがとう……!

 何度も礼を言うラカンに、セリアだけでなくその場にいた者たちも思わず笑う。

 あれだけ大きな声で泣いていた赤ちゃんはやがて疲れたのか寝てしまい、白いおくるみに包まれながら、満足げな顔ですやすやと寝息を立て始めるのであった……。


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