第20話 姫、駆け引きをする。



 その頃、魔界・ドラゴフィールド領――


 険しい山々がそびえ、凶暴な竜の魔族たちが跋扈ばっこするその土地を、あるじの住まう塔を目指して歩く若い旅装の女が一人。

 時折吹く突風は容易に彼女の真紅の長い髪をさらっていくが、やや吊り目がちの意思の強い灰色の瞳は揺らぐことなく、まっすぐと目的地を見据えたまま。


「ま、待ってくださいよう、姫さまぁ……」


 ぜえぜえと息を切らしながらその後を追う小柄な小悪魔。魔王の側近・シオンである。


「体力ないのね。だったら無理についてこなくて良かったのに」


 姫は呆れたように言いつつも、シオンに向かって手を差し伸べる。

 そう、彼女こそが魔王に囚われし(?)姫君、シータである。


「そっ、そういうわけにはいきませんっ! いくら幹部の元に向かうとはいえ、魔王領外に出るのであれば見張りの目は必要ですから!」

「ええ、ですから私は他に体力のある者をつけてくださいと申したのですけれど」

「彼らはもう、魔王さまというより姫さまの手下ですから! グルになって姫が逃げ出す手助けをするかもしれないと、魔王さまはもっとも信頼を置かれるおいらにこのお役目を命じられたのですよっ!」


 鼻高々に語るシオン。姫が向ける哀れみの目には気づいていない。

 魔王がシオンを同行させたのは姫の見張りのためじゃない。

 だ。

 シオンは魔王の身の回りの世話や、時に彼のモチベーション管理を担う側近である。怠惰な性格の魔王にとってはそれが鬱陶しく思うこともあるのだろう。シオンに同行を命じた後のこと、こっそり女淫魔たちを呼び出していたのをシータは目撃していた。


(……本当に、呆れた男)


 魔王城に滞在して早半年。

 分かったことは、魔王ジュードが本来人の上に立つ器ではないということだ。


 圧倒的魔力の高さと、男女問わず魅惑する美貌。

 確かにそれは混沌たる魔界を牛耳る上では不可欠のカリスマ性だったようだが、残念ながらそれ以外のものを彼は持ち合わせていない。

 本質は怠け者で、他者に奮い立たせてもらわなければ動かない男である。

 魔王になった経緯というのも、もともと本人は乗り気でなかったようだが、周囲の者たちに乗せられて先代魔王を倒してしまったことがきっかけだったらしい。


 魔王城に勤める魔族たちは口々に言う。「先代の頃の方が良かった」と。

 話を聞くと、先代は老いぼれて魔力こそ衰えてはいたが、仁義に厚い王だったようだ。魔王軍に貢献する強い魔族たちを評価する一方で、弱い魔族――特に女・子どもには優しくしろというのが方針で、彼らに手を出した魔族がいれば、たとえそれが能力の高い配下の者だったとしても手厳しい罰を与えたという。


 それに比べ、ジュードは。

 自分に貢ぎ物をする者、陶酔する者ばかりを身近に置き、都合の悪い話は耳に入れようともしない。たとえ目の前でいじめが起きていようと自分に関係なければ動きはしない。唯一興味があるのは軍事のみ。勇者を倒し、モルダーン王国を手に入れれば万事上手くいくと信じている。そういうわけで軍事以外はすべて後回しにしているが……姫に言わせればそれは優先度の問題でなく彼自身に考える能がないだけだ。

 ジュードはまだ気づいていない。膠着状態にある人間との戦争より、深刻な問題がじわじわと魔界を蝕んでいることを。


 そう、それは――少子化問題である。


 現在魔界では年々出生数が減少しており、昨年の調査ではついに出生率が一パーセントを切ってしまっている。魔王城にいた何人かの女性魔族たちに意見を聞いてみたところ、彼女たちは口を揃えて「魔界は今、とても子どもを育てやすい環境とは思えない」と言う。

 その言葉の意味するところとはなんなのか。

 それを知るために、シータは魔界ではとても珍しい男性育休取得中のドラゴフィールド卿を訪ねてみることにしたのだ。

 なお、出生数に関する調査資料は魔王が目を通した形跡はなく、城内の書庫に放置された状態だった。魔王に内容を伝えてみたが、「子どもが減ったからなんだというのだ。あいつらはうるさいから嫌いだ。減ることの何が悪い」という返答で、シータはそれ以上話を続ける気はなくなってしまった。本当にどうしようもない男である。


 ドラゴフィールド卿の住まう塔の門扉を叩き、待つこと数分。

 青白い肌に水かきのような耳をした男が赤ちゃんを片手に抱きながら出迎えた。

 彼はぺこぺこと申し訳なさそうに何度も頭を下げる。


「お待たせしてすみません。ちょうどミルクの時間だったもので……」


 すると赤ちゃんは満足そうにげっぷをひとつ。

 ぷくぷくと膨らんだほっぺに、脂肪を蓄えたむちむちの腕と足。魔族であっても赤ちゃんは皆かわいい。シータは思わず赤ちゃんと同じ目線になって表情を綻ばせた。きょとんとしながらまっすぐ見つめ返してくる金色の瞳は宝石のようである。


「こちらこそ申し訳ありません。お忙しいところにお邪魔してしまって」

「いえいえ、お気になさらず。ずっと子どもと一緒だと気が滅入ることもありますから、こうして会いに来ていただけるのはありがたいことなのです。みなさん気を遣ってか、なかなか声をかけてくれないのですが」


 彼は寂しそうに頬を掻いた後、シータに向かってぺこりと恭しくお辞儀をした。


「改めまして……我が領地へようこそ、シータ姫。僕は魔王軍幹部が一人、〈竜騎士〉ナイジェル・ドラゴフィールドです。今は、育休中の身ですが」


 姫は表向きには魔王の捕虜であるにもかかわらず、紳士的な応対をするナイジェル。噂に聞いた通りの好青年だ。シータも礼儀をもって挨拶を返すと、ナイジェルの案内で塔の中へと足を踏み入れるのであった。





 シータはまず、産後に魔力バランスの不調で竜化してしまったという彼の妻の部屋に案内してもらった。しばらくは暴走状態で鎖に繋いでいないといけないほどだったらしいが、今は魔力抑制剤が効いて人型を取り戻しているという。

 部屋に入ると、彼女はベッドの上で眠っているところであった。人型といってもまだ四肢は完全に元の姿に戻っていないらしく、鱗にびっしりと覆われ、鋭い鉤爪の生えた手足はベッドの上には収まらないほど巨大な状態のままというアンバランスな姿である。


「お辛いでしょうね、我が子を抱くことすらできないなんて……」 


 シータはベッドの傍らに膝をつき、彼女の腕をそっと撫でる。鱗に覆われていない肘の内側には点滴の針が挿してあった。ここから常時魔力抑制剤を投与しているのである。


「これでもうちの妻はまだましな方なんですよ」

「え?」


 ナイジェルはやや表情を険しくし、部屋の隅に積まれた薬の入った木箱を見やる。


「魔力抑制剤は魔石を原料に作られますから、最近は流通量が減って値段が高騰しているのです。貧しい魔族だと、魔力抑制剤が手に入らず理性を失った母親が育児放棄してしまうこともあるとか」


 シータは絶句した。

 魔族の出産の仕組みに関しては魔王城の書庫で事前に調べていた。

 魔族の母親は子を産むときに膨大な魔力を消費する。そうして枯渇した魔力を補うのに一番有効なのは休養だ。じゅうぶんに休み、食事をしっかり摂れていれば産後数週間で失った魔力が徐々に回復してくる。

 だが、その大事な期間に無理をしてしまうと体内で魔力の出力をコントロールする器官に支障をきたし、身体が回復を焦るあまり魔力が必要以上に分泌されてしまって暴走状態になるのだ。

 以前は治療手段がない病だったそうだが、今は魔力抑制剤が開発されて治る病になったと書物には書かれていた。

 しかしそれが手に入らないのでは意味がないではないか。


「しかも、薬師が言うには最近同じ症状に陥る人が増えているそうなのです」

「それは……まさか、魔王が代替わりして以降のことですか」


 ナイジェルは頷いた。


「先代の頃は育休という制度はありませんでしたが、子が生まれるとなると大いに祝い、女にはゆっくり休むよう伝え、男は妻のために休んでやれという風潮があったそうです。しかしそれは先代の人柄あってのもの。ジュード様に代わってからというもの、女ですら育休とるなら仕事を辞めろという雰囲気に変わってきています。男の育休なんてもってのほか。……ゆえに、男女ともに産後の大切な期間に休むのが難しい者が増えているのではないかなと」


 上司の悪口を言われてシオンは何か言いたげな顔をしていたが、シータは睨みをきかせて黙らせた。先代魔王のことは詳しく知らないので、ジュードと先代を比較するつもりはない。だが、彼がもたらした罪は罪としてこの小悪魔にも認識させる必要がある。


「あの、込み入った質問になるかもしれないのですが……赤ちゃんが生まれた時の卵はどうされたのでしょうか」


 シータは尋ねる。

 卵――そう、魔族は人と形は似ているものの、子の産み方が大きく異なる。

 魔族の子どもは卵の状態で生まれてくる。

 その卵を形成するのに莫大な魔力を必要とするのだ。


「博識ですね。シータ姫は魔族のしきたりをご存知で?」


 ナイジェルはやや目を丸くして驚いた様子で言った。


「え、ええ。魔法工学院でそういったことを研究している者がおりましてね」

「なるほど。さすがモルダーンの王都。あの学院で行われているのは魔工具の研究だけではないのですね」


 感心したようにそう言うと、彼は妻の眠るベッドの下から鉄でできた頑丈な箱を取り出した。蓋にはドラゴフィールド家の紋章であろう、竜の紋章の豪奢な彫刻が施されている。

 ナイジェルが丁寧にその蓋を取ると、中に入っていたのは黄金の卵の殻であった。二つに割れた殻の縁は尖っておらず、少し溶け出したような形になっている。


「本来はしきたりに従って近隣の山に奉納に行かねばならないのですが……妻がこの状態なので、ここで保管しているのです」


 魔族たちの伝統では、子が孵化した後の卵は母と子で共に近くの山の頂に埋めに行く風習がある。子が山より高く元気に育つようにという祈願を意味するのだそうだ。しかし卵殻は魔力の結晶であるため、時間が経つと目の前のもののように空気中に魔力が溶け出して形を失ってしまう。


「見せていただいてありがとうございます。早くお参りに行けると良いですね」


 シータははやる鼓動を抑えながら、なるべく平静を装って言った。


 彼女の胸の内に隠されたとある学者が導いた研究内容。

 それによると、この卵こそが魔石の原料だという。

 しきたりによって山に埋められた卵は、長い年月をかけて魔界の土に含まれる成分と結合し結晶へと姿を変える。それが魔石なのだ。


 初めに聞いた時はにわかには信じ難い話であったが、研究者たちと共に旧魔石採掘場へ赴いた際、たまたま卵を奉納しにきた魔族の母子と出くわした。

 そこで仮説は確信へと変わる。

 研究者たちは魔族たちを捕らえて卵の成分を解析しようとしたが、姫の頭には別の考えがよぎった。

 魔石の採掘量が減っているのは、このしきたりがなんらかの原因で行われにくくなっているのではないか……。

 ゆえにその場で魔族の母親と交渉し、彼女たちを見逃す代わりに自分を魔王の元へと連れていってほしいと頼んだ。そして魔王の元に案内された姫は、彼と一つの契約を結んだのだ。


 勇者が迎えに来るまで自分を魔界に置いてほしい、そうすればその時に魔石の正体を教えると。


 四人の幹部を倒され、不利な状況に陥っていた魔王にとっては願ってもない話だった。姫が魔界にいることを発表すれば、少なくともモルダーン王国軍の侵攻を止めることができる。おまけに魔石の正体まで知ることができれば、この戦争は勝ったも同然。

 ……ただひとつ魔王にとって誤算だったのは、姫に魅了魔法が効かなかったことである。

 姫を惚れさせ、勇者が来る前に魔石の正体を吐かせてしまえば彼女との契約など途中で破棄できると考えていた。だが、何度試しても姫が魔王に惚れることはなくその企みは失敗に終わり、おまけに勇者もいつまで経っても迎えに来ないので、結局ずるずると今に至る。


「……しかし噂には聞いていましたが、姫様はすごい方ですね」


 突然ナイジェルから褒められ、シータははっと我に返る。


「噂とは、どのような?」

「モルダーンの一の姫は魔法工学院の優等生たちをも凌ぐ聡明な頭と、聖女たちをも驚かせるほどの慈悲の心を持ち、勇者にもまさる大胆不敵な行動力をお持ちだと。そのうえ、我がドラゴフィールド領を自らの足で歩いて来られるとは……戦士顔負けの体力もおありのようだ」

「大袈裟な。それほどでもありませんよ」


 姫は少し顔を赤らめ、肩をすくめる。

 しかしナイジェルはからかってはいるわけではないようだった。

 シオンがお手洗いに行くといってその場を外した隙を見て、彼はそっとシータに耳打ちをする。


「実は、僕らはもう魔界を見限ってモルダーンに移住しようと考えていたのです」

「えっ。それはまたどうして……」

「姫様もお気づきでしょう。魔界は子育てをするにはあまりにも環境が悪い。魔族に対して強硬的なローガ王のもとへ行くのはやや不安ではありましたが……今日、姫様にお会いして確信しました。あなた様のような方がいらっしゃるなら、の国は安泰だと」

「そう言っていただけるのは光栄ですが……父が引退するのはおそらくしばらく先ですよ」

「良いのです。大切なのは、子どもたちが大きくなった時の情勢がどうかですから」


 ナイジェルこそなんと立派な父親なのだろう。

 シータは感心した。

 ただでさえ妻が病に臥して一人で子どもたちの面倒を見なければならないのに、今のことだけでなく将来を見据えた準備をしているなんて。

 彼の力になってやりたい。シータは純粋にそう思った。


「ナイジェルさん。何か私にできることはありますでしょうか」

「そ、そんなとんでもない。わざわざここにご足労いただいただけでも恐れ多いのに……!」


 その時、閉ざされていた部屋の扉がそーっと開く音がした。

 隙間からおそるおそるこちらの様子を窺う金色の瞳の少女。

 ナイジェルの上の娘のようだ。


「あれ、ばあばと遊んでたんじゃなかったの」

「ばあば、じょうずじゃないもん。パパにえほんよんでほしい」


 彼女は片手に絵本を持ってむすっと頬を膨らませている。


「うーん、でもパパ今お客さんが来てるから……」

「構いませんよ。なんなら私が絵本を読みましょうか?」


 シータがそう言うと、女の子は首を傾げた。


「おねえちゃん、だれ?」

「話しただろう。モルダーンの国の姫様だよ」

「おひめさま!?」


 丸い瞳が星のように輝いた。

 彼女はたたたたっと駆け寄ってくると、先ほどまでの警戒心はどこへやら、自らすとんとシータの膝の上に座る。

 ナイジェルは慌てて引き剥がそうとしたが、シータは「大丈夫」と微笑む。

 女の子は嬉々として本を差し出してきた。

 その本はシータもよく知る絵本『ゆうしゃのでんせつ』。


「まあ、懐かしい。私も大好きな絵本ですよ」

「そうなんだ!? ゆうしゃさん、よね!」

「はい、とっても」


 シータは力強く頷く。

 この絵本はいわゆる王道な勧善懲悪のお話だ。

 悪い魔王にさらわれた姫を、勇者が助け出す。

 姫と勇者は結婚し、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。


「サラちゃんね、おひめさまになりたいの。そしたらゆうしゃさんとケッコンできるでしょ」

「奇遇ですね。私もですよ」

「え?」

「……え?」


 一瞬の沈黙。のち、女の子が怪訝そうな顔で見上げてきて、シータは思わず口を滑らせたことに気づいた。色白な彼女の肌は、みるみるうちに赤に染まる。


「あ、あのっ! 今のは決して私が勇者殿と結婚したいということではなくっ! 勇者殿とお会いしたのは社交パーティーでたった一度きりですから、そんな、一目惚れとかいうこともなくですねっ! その後ほとんど接点もないですしっ! 絵本と同じシチュエーションであればお近づきになれるだなんて、そんなこと微塵も考えてはおりませんからっ! ねっ、ねっ……?」


 息つぐ間も無くシータは弁明をしたつもりだったが、かえって墓穴を掘ったということには無自覚である。

 そう彼女――完全無欠のモルダーン王国の姫君は、恋愛に関してだけは不得手であった。


「あのね、おひめさま。ゆうしゃさんにはこんど、あかちゃんが」


 そして無邪気に事実を教えようとした娘の口をナイジェルはとっさに塞いだ。

 娘の言う勇者とは王都で出会ったラカンという気のいい青年のことだ。あんな時期に王都にいたのだから彼が勇者のはずがない……とは思うのだが、なぜだか余計なトラブルが起きそうな、嫌な予感がしたのであった。



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