第18話 勇者、育休を申請する。(ラウンド②)


「セ、セリアの代わりの聖女ですか……! それは良うございますね」


 引き攣った笑みを浮かべながらラカンは応える。

 良くない。ちっとも良くない。

 代わりの人員を探すことになって二ヶ月半、まるで進展がなかったのですっかり油断していた。セリアにも聖スピカ教会内の動きを見てもらっていたが、教会内の公募ではなかなか手を挙げる聖女が見つからず、辺境へ巡礼に行っている腕のある聖女からも返答は来ていない状況のはずだった。


「待たせて悪かったな、ラカン。やはりセリアは優秀でそう簡単には代わりは見つからなかったのだよ。だからわしも腹を括った! そなたたちのパーティーには、王室担当の熟練の聖女をつけることにしたのだ」


 そう来たか……!

 ラカンは愕然とする。確かに王室担当の聖女であれば実力は十分である。

 以前セリアに聞いた話によると、現在の王室担当の聖女はセリアの修行時代の師匠にあたる人らしい。であれば文句のつけようがない。


「しかし、王室担当の方となると、万が一陛下や王妃様がご病気になられた時に困りませんか」

「なに、心配には及ばぬ。主治医がいない不安はあるが、万が一の時は王都にセリアがおるではないか。そもそも、わしはここ一年風邪ひとつ引いておらぬでな」


 ローガ王はガハハと豪快に笑ってみせる。

 そうなのだ。ローガ王は年中働きづめのくせにやや太り過ぎと高血圧である以外に持病がなく、体調不良で公務を休むことも滅多にない。

 もしも体力を数値化することができるなら、下手をすると二十代のラカン以上にステータスが高い可能性もある。


 ラカンは胸を押さえて乱れかけた呼吸を整える。

 落ち着け、落ち着くんだラカン。

 代わりの聖女が見つかったからと言って、すぐに魔王討伐に行けるわけではない。

 そう――ロックライン大橋だ。

 あの橋の修復が終わるのはラカンが手伝ったとしても半年後。

 橋が直るまでは魔界へ攻め込むことはできない、はずだった。


「それで、肝心の魔界への足がかりだが」


 ラカンの考えを見透かしているかのように、王は口角を吊り上げる。


「北の国オッサムの国王と先日会食を行ってだな、オッサムと魔界との境界線となっている霊峰コゴールを経由すれば陸路で魔界に入れることが分かったのだ」

「れ、霊峰コゴールでございますか……!」


 ラカンは頭の中で地図を思い浮かべる。

 確かにオッサム国内の霊峰コゴールはロックライン川の水源地より北側にあり、遠回りではあるが確かに魔界とは地続きである。

 しかしあの山は標高八千メートルを超える大陸最高峰であり、麓から年中雪に閉ざされている極寒の地だ。険しい道のりになることは間違いない。おまけに……。


「ダルトンに聞いた話によると、寒冷地では魔工具発動時の熱が外気で奪われるため、寒冷地適応仕様に改造する必要があるといいます。キャリィの魔工具は彼女自身がすぐに改造できるでしょうが、勇者の剣は古の魔工具です。そもそも改造が可能かどうか……」

「心配いらん。コゴールではあまりの寒さで魔族が発見されたことはないらしい。戦闘になる可能性は低いと見て良いだろう」

「でっ、では、帰路についてはいかがでしょうか! 姫様をお連れしてそのような場所を通るのは難しいのではと」

「魔王城を制圧し、そこで橋が直るまで滞在すれば問題なかろう? 魔王軍幹部が一人、ネクロ・リソマとの戦いでもあのアンデッド兵たちを居城もろとも全員討伐したそなたたちではないか! なにも懸念はあるまい」


 ぐぬぬぬぬぬぬ。

 ラカンは奥歯を噛み締める。

 完全に王の手のひらの上。何を言ってもどじょうのようにぬるりとかわし、かつこちらの足をじわじわと絡め取ってくる。そうして気づかぬうちに思う壺へと引き摺り込むつもりだろう。


 しかしここで折れては負けだ。

 ラカンはダルトンの言葉を思い出す。


 ――周りがどう言ってこようと、決めたなら迷うな。アホづらしてでもお前の正解を貫けよ。


 そうだ、迷わない。


 ラカンは音もなく立ち上がると、両手を水平に広げ……

 パァンッ!

 力強く柏手を鳴らした。

 乾いた音が謁見の間全体に響き渡る。

 ラカンの不意の行動に、その場にいる全員の視線が集まるのを感じる。

 ……よし。

 ラカンはそのまま立て続けに大きな音で拍手を送った。

 誰に? もちろん王にである。


「いやあ、さすが陛下! 聡明であらせられる! オレの頭じゃ何十年かかってもそんな策思いつきもしなかったでしょう」


 満面の笑みで相手を称賛する。

 王のことを尊敬しているのは別に嘘ではない。だからやや誇張はしているものの本心からの言葉だった。

 ゆえに王は一瞬虚をつかれたような顔を浮かべたものの、ラカンの言葉に偽りがないのを見抜き、すぐさま満足げな表情に切り替えた。勝ちを確信したのだ。


「では、早速であるが北に向かう支度を――」


 ……それが、ラカンの誘った油断であるとも気づかずに。


「あ、ちょっと待ってください」


 ラカンはハッとしたように口元を覆ってみせる。

 わざとらしいのは百も承知だが、ここは強引にでも話の流れを変える必要がある。


「先ほどの話で一つ思い出したことがあります。実は先日、王都内で魔族と遭遇しまして」

「魔族? 正規の入国手続きを行い、魔力無効の腕輪をしている者ならば何人も王都にいると思うが」

「ええ。ただ彼は……オレの見立てでは、只者じゃないと思います」

「それは、どういうことだ」


 ラカンは片手の人差し指をこめかみに当て、眉間に皺を寄せながらその魔族の特徴の記憶を呼び起こしていく。


「金色の瞳に、緑の鱗の浮いた皮膚」

「ふむ」

「つねるだけでも大の男が悲鳴をあげ」

「む……」

「しゃっくり一つでその場にいる者たち全員を魅了する力を持ち」

「なんと……」

「魔力が暴走すると竜の姿へと変わるという」


 ローガ王は思わず玉座から立ち上がった。

 先程まで勝ち誇っていたその顔からは血の気が引いている。


「ま、まさか……! 例の第五の魔王軍幹部、〈竜騎士〉か……!?」

「可能性はあるかと」


 あくまで可能性の話だ。

 ラカンはナイジェルにあらぬ疑いをかけることを申し訳なく思ったが、本人たちはすでにモルダーン王国領を出ているし、ここからの話は彼らにとっても利のある話なのでどうか大目に見てもらいたい。


「幸い、オレは勇者であることを隠して彼に接触することに成功しました」


 娘にはバレているが。


「そして、魔王を倒すための新たな手段を聞き出すことができたのです」

「新たな手段だと……!?」


 王の姿勢が前のめりになってきた。

 そう、魔王を倒して姫が戻ってくるならば手段は問わないはずだ。

 ラカンはつかつかともったいぶるように王の側へ歩み寄り、その耳元へ囁いた。


「それは――保活です」


 ローガ王の瞳から光が消えた。

 頬に「は?」って書いてあるのが見える。

 いやいや落ち着いて聞いてほしい、これは真面目な話なのだ。


「彼が言うには、魔界は子育てに関する支援が全く充実していないそうなんです。仕事に復帰したくてもなかなか保育園に入れない状況なので、モルダーンの保育園に入れるならこちらへ移住して魔界を見限っても良いと」


 王の瞳に再び光が戻ってきた。


「なるほど。確かにここ最近魔族の移住者が年々増えているのは知っておったが、そういう背景だったとは」


 ラカンは頷く。


「モルダーン王都での保育環境をより充実させれば、魔界から子育て世帯がどんどん移住してきます。そうすれば魔王軍は自然と内側から弱体化していき、いずれモルダーン王国軍の敵ではなくなるのではないかと」


 王はあご髭を撫でながら「一理ある」と呟いた。

 場の空気は再びラカンに傾いている。

 好機だ。

 ラカンは急ぎ元の位置へ戻ると、ひざまずいて言った。


「ですから陛下! どうかモルダーンが育児支援に積極的である姿勢を示すためにも、オレに育休を」


 ぶえーーーーーーーーーっくしょんっっっっ!!

 ローガ王の放った特大くしゃみにより、ラカンの言葉は途中でかき消されてしまった。


「おおすまんすまん、今日はなんだか鼻の調子が悪くてな」


 嘘こけ、直前で髭を鼻に突っ込んでいたのがちらっと見えたぞ。

 なんと老獪な。いや老害!

 ラカンはツッコみたくなるのをなんとかこらえながら話の続きをしようとする。

 しかしローガ王のずずずずずずずという白々しい鼻すすり音で再びかき消されてしまった。


「ラカン、そなたの言う策はそう一朝一夕にいくものではないぞ」

「う……。それは……」


 確かにその通りだ。

 新たな保育園の創設、保育士の募集、保育園申込制度の調整、魔界からの移住者の受け入れ体制の整備、とやることは山ほどあって時間がかかる。無理に急いで進めればかえってトラブルを生む可能性すらあるだろう。


 今度は王の方が玉座から降りてラカンの方へと近づいてきた。

 彼は憐れむような表情を浮かべると、ひざまずくラカンの肩を優しく叩く。


「ラカンよ。わしはな、そなたのことを実の息子のように可愛く思っておる」


 ローガ王の声音が変わる。

 為政者の仮面を脱ぎ、一人の男、一人の親としての、どこか頼りなげな面を見せてくる。


「だからわしとて心苦しいよ。そなたに大変な役目を押し付けなければならないのは、我が身が引きちぎられるのと同じ思いだ。だがな、そなたしかおらん。この国の王はわしの他におらんように、この国を救えるのもそなたしかおらんのだ。わかっておくれ、ラカン。そなたの愛する者たち……セリアや我が子、そしてお母上を守るための選択ではないか」


 ……ぐっ。

 情に訴えてくるつもりか。

 ラカンはなるべく王と目を合わせないように努めた。目を見たらいよいよ丸め込まれてしまいそうである。


 ラカンの持つ切り札は残り一枚。

 これを失えばいよいよ説得の目はついえる。

 今か? 今しかないのか……。

 もう少し慎重に切り出したかったが、この窮地を脱するには他にない。

 

「その、『オレしかいない』って話についてですが」


 王の目を見ないようにしているラカンには、相手の表情がわからない。


「実はキャリィから連絡があったんです。勇者の剣に代わる新型魔工兵器が、あと少しで設計できそうだと」


 しかし次の瞬間、ラカンは「終わった」と思った。

 ローガ王が高らかに笑ったのである。

 彼が懐からおもむろに取り出したのは、キャリィがラカンに見せてくれたのと同じ作り途中の設計図。


「魔法工学院の研究費はどこから出ていると思っておる。わしが望めば研究者は必ず成果を報告する義務があるのだよ」


 そう言ってローガ王は指先でゆっくりと設計図を下の方へとなぞっていく。

 そこに書かれているのは、キャリィが結論づけた新型魔工兵器開発のために必要な最後の一片ピース


「『勇者の剣のように莫大な魔力の出力を実現するには、西の大国の魔石機関車の機構を参照する必要があり、研究のために魔石機関車一台買い取りたい』……だそうだな」


 ラカンは全身に嫌な汗がじっとりと滲むのを感じた。

 キャリィの結論をラカンは「希望」だと思っていた。

 だが王のこの余裕、この話ぶり……もしかして「絶望」なのか。


「ラカンよ。西の国の敵情視察ではここまで把握できなかったかもしれぬが」


 ローガ王はそう前置くと、ため息と共に告げた。


「へ……?」

「魔石燃焼機構の搭載された車両一台の相場が三億。それを敵国である我が国に売るのならば、さらに吹っかけられるであろうな」

「そ、そんな……」

「ちなみに、当然そんな予算は確保しておらん。ゆえにそう簡単に買い取れるものではない、というのが実情だ」


 ラカンは崩れ落ち、床に手をついた。

 そんなに高額なものだとは思っても見なかった。

 なんとかして反論をしようと頭を必死に動かそうとするも、絶望感が立ち塞がってくる。


 だめなのか。

 勇者は、やはり育休を取れない運命なのか。


 ラカンはぎゅっと目をつぶる。

 思い浮かんだのはセリアの顔だ。

 今日も心配そうに城へ向かうラカンを見送ってくれた。

 彼女に言って安心させたかった。育休取れたぞって。一緒に子育て頑張ろうって。

 だけど、無理なのか……?


 その時。

 ラカンのはるか後方、閉ざされていたはずの謁見の間の扉が重々しく開く音がした。


「誰だ――」


 ローガ王が言いかけて、ハッと息を呑む。

 構わずカツカツと迫り来る、大理石を闊歩する足音。

 ラカンは顔を上げ、気配がする方を振り返った。


 現れたのは、燃えるような赤い髪をまとめ上げた高貴な女性。

 絹織りのベルベットのローブをなびかせながら、颯爽と歩く姿は問答無用でその場にいる者たちの視界を釘付けにしていた。


「ココット」


 ローガ王のこぼした名前は、彼の妻――モルダーン国王妃の御名である。

 王妃はローガ王に向き合う形で立ち止まると、ばさりと扇を取り出して口元を覆い隠す。そして目力の強い灰色の瞳をわずかに細めると、ラカンとローガ王にしか聞こえないくらいの小さな声でぼそりと言った。


「三億といえば……あなたの年間の会食費が予算を超えてそれくらいになると聞きましたが?」



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