第17話 勇者、育休を申請する。(ラウンド①)



 モルダーン城、謁見の間。

 向かい合う勇者ラカンと国王ローガ。


 その対談の場に同席する近衛兵たちのうち、一体何人が「早く帰りたい」と願っていたことであろうか。

 ローガ王は明らかに機嫌が悪かった。それもだ。

 人心掌握を得意とする彼の表情作りは巧みである。武勲を立てた兵士に対してはあえて引き締まった表情で激励を送ったり、大嫌いな貴族の領主に対して満面の笑みでにこやかに対応することで油断させてボロを出させたり。たとえ内心怒っていても滅多に人前で素の感情を晒さない、それがローガ王のはずであった。

 だが今の彼は肘掛けに頬杖をつき、片膝をついてかしこまるラカンを濁った瞳で見下ろしている。片足はトントンとせわしなく動き、いつ爆発するか分からない爆弾が置かれているような、嫌な緊張感をその場に生み出していた。


「ラカンよ」


 立派なあご鬚をたくわえた口元が重々しく動く。


「わしがなぜ怒っているか、分かっているであろうな?」


 勇者ラカンが頭を上げる。

 改めて謁見を申し込んだ時、快く思われないであろうことは薄々分かっていた。

 まさか、ここまでとは。

 しかし怯むわけにはいかない。ラカンはつとめて冷静に答えてみせる。


「ロックライン大橋の修復作業を途中で抜けたことでしょうか」

しかり」


 ローガ王の低い声に何人かの近衛兵は身震いをした。

 王がこんなに怒っているのは姫が魔族に攫われたと知った時以来である。


「魔王討伐のためには、大橋の修復が最優先事項であることはそなたも当然知っているはずであろう。なのになぜ抜けた? 西の国を遊び歩いていたという報告も聞いておるが、それは真か」

「遊び歩いていたなんてとんでもない。西へ行ってきたのは……敵情視察です」


 ラカンは大嘘をついた。


「敵情視察とな?」


 王の片眉がぴくりと吊り上がる。

 怖い。超怖い。おそらく嘘であることはバレバレだ。

 本来根がまっすぐなラカンはそもそも嘘をつくことが得意ではない。

 だが、ローガ王に対して正面突破では簡単に言いくるめられてしまうことは前回学んでいる。だからこそ、遠回りしてまで色々と準備してきたのだ。

 王の放つプレッシャーで止まりかけていた呼吸を深呼吸で取り戻しながら、ラカンはあらかじめ用意した台本を脳内でなぞる。


「大橋の破損は我々にとって痛手ではありますが、同時に魔族からの侵攻も食い止めてくれています。だからこの機会に先々のことを見据えておこうと、修復作業はダルトンに頼んで西の国の視察に行って参ったのです」

「して、その成果は?」

の国は今――とても


 その場にいる全員の頭に「?」が浮かぶのが目に見えるようであった。しかめっ面であった王もラカンの予期せぬ回答に思わず表情筋を緩めてしまっている。

 ちなみに気候についてはモルダーンも西の国もさほど変わらない。


「それは一体……どういうことなのだ」

「陛下。どうか瞼を閉じて想像してみてください」


 渋々といった風にローガ王は瞼を閉じて玉座に背を預ける。

 ラカンは語った。

 魔石機関車の吐き出す蒸気。新たな線路レールを敷く煤だらけの労働者たち。魚市場で飛び交う競りの声。大勢の人で賑わう大通り。汗、砂塵、露店の料理、あらゆるものがごった煮になった独特の臭い。むせ返る熱気。安く大量に売られる質の悪い魔工具。店員に文句をつける人。あるいは必要以上に爆買いしていく人。混雑で泣き喚く子ども。薄暗い路地からこちらをじっと睨んでくる子ども。人にぶつかるのをものともせず全力で駆け回り鬼ごっこをする子どもたち。


「機関車が運ぶのは人や物……だけじゃない。『希望』なんです。あの国は今、これから国がより豊かにより良くなっていく希望に溢れてる。だから活気があって、勢いがあって、人も増えていく」

「なるほど。それがそなたの言うか」


 ラカンは頷く。


「陛下は、彼の国の人口が急増していることはご存知でしたか?」

「もちろん。隣国の状況は逐一探らせて把握しておる」

「では……彼の国の男性育休取得率はご存知でしょうか」


 王が何か口を開こうとする前に、ラカンは先手を打つ。


「七十五パーセント」


 その数字に王はまなこを見開いた。

 おそらく知らなかっただろう。西の国の視察中に王の側近の諜報員に会ったが、あまりに数値が大きすぎて信ぴょう性がないと判断して報告していなかったらしい。その後ラカンは西の国の要人たちや育休経験男性たちにもコンタクトを取ってヒアリングしてみたが、どうやらこの数字は本物のようだ。


 なお、モルダーン王国の男性育休取得率は年々上昇しつつあるものの、十五パーセントと低い。

 さらに言えば、モルダーン王国の公表している男性育休取得率は数字だ。どういうことかというと、無給の育児休業を長期間で取るのが難しい場合、短期間(数日間〜一ヶ月ほど)溜まった有給休暇を消化することで育休とした場合も含む、ということである。それ自体は決して悪いことではない。むしろ男性は育休を取らないのが当然であった数十年前に比べれば大いなる進歩だ。とはいえ、同じ時代に隣国とこれだけ差があるのもまた事実である。


 ラカンはローガ王の額に一筋の汗が伝うのを見た。

 ローガ王が西の国と張り合ってきたことは知っている。

 これだけ差をつけられているものがあると分かり、さぞ焦っているに違いない。

 今だ。今こそ畳み掛ける時。


「西の国では、人気の舞台俳優が育休を取ったことがきっかけで一気に取得率が上がったのだとか。我が国でももしかすると著名な人物が育休を取ることで取得率の改善が見込めるのではないでしょうか」


 著名な人物――そう、たとえば勇者とか。


 という話に繋げようとしてラカンが息を吸ったその刹那。


「おお、そうだそうだ! ラカンよ、先に大事な話をするのを忘れておった!」


 こりゃうっかり、とローガは大袈裟に自分の額をぺしりと叩いて大声で笑う。

 思わず釣られて笑う近衛兵たち。

 ……ああ、なんということだ。

 ラカンが丁寧に作り上げた説得の空気が、瞬時にして持って行かれる。

 慌てて話を戻そうとするも、もう遅い。

 すでに手番はローガ王のものへと移っていた。

 王は勝ち誇ったような笑みを浮かべると、嬉々としながらこう言った。


「ついに、セリアの代わりの聖女が見つかったぞ!」



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