第14話 勇者、根回しをする。



「ふおおおおおお〜〜〜〜っ! これ! 魔石機関車じゃないかっ!!」


 キャリィは興奮気味に黒塗りの機関車の模型レプリカを掲げる。

 ラカンが彼女に渡したばかりのお土産である。


「もしかして、西へ行ってきたのか!?」

「うん、ちょっと用事があってね……」


 帰ってきたのはつい昨日である。

 東へ西へと奔走してまだ疲れが取れないラカンの目の下には隈ができていた。

 思い返せば、なかなか大変な旅路だった。


 ダルトンからもらった切符は古かったらしく、機関車に乗る前からいきなり身分を疑われる羽目に。親から古い切符を譲り受けて旅行に来た田舎の青年を装って、なんとか乗せてもらえた。

 それから機関車に乗ること七時間。

 西の大国の首都はモルダーンの王都とは何もかも違う。魔工技術による昇降機で上下に移動することの多いモルダーン王都に対し、西の大国では人工的に作られた複雑な水路を渡って平面を移動する。

 大通りで売られている商品はモルダーン王都のものの方が質が良さそうであったが、人の賑わいは西の方が圧倒的だった。常に互いに押しつぶされるような状況で、足元なんかまともに見えはしない。ダルトンの言った通り、最近人口が増えているというのがよくわかる状況であった。

 ちなみに、商品の質が悪いとは言ったものの、海産物だけは別である。

 モルダーン王国領は海に面していないので、海産物はなかなか手に入らない。ラカンはこの旅行において、人生で初めて生魚を食べた。正直火を通した魚の方が味は好みだが、生で食べるというリスクを冒しているという事実がなぜか満足中枢を刺激することを知った。なかなか新鮮な体験であった。鮮魚だけに。


「うん、魚の話はどうでも良いんだけど、機関車に七時間も乗ったなんて羨ましいよ。ボクも西の移動技術は一度はこの目で見てみたいと思っていたんだ」

「キャリィから見ても凄い技術なのか?」

「んー、まあモルダーン人の倫理観じゃ真似はできないだろうね。正直なところ、好みかどうかで言ったらそうじゃない。馬力重視で効率なんか考えちゃいないし、環境への配慮も二の次だ。魔石機関車の排出液で土地がダメになった場所がいくつもあるって話も聞いたことがある……けど」


 キャリィはすりすりと模型に頬擦りをしながらうっとりと呟く。


「かっこいい。かっこいいは……悔しいけど正義だ」

「そういうものかぁ」


 ラカンにはあまり機関車の良さは分からなかったが、確かにこの模型を売っている土産物屋には子連れが殺到していたし、好きな人は好きなのだろう。


「……で、一人でいきなり西になんて、一体何の用だったのさ?」


 キャリィは模型を抱きしめたまま、訝しむような視線で問いかけてくる。西の大国とモルダーンが険悪な仲であることはもちろん彼女も知っている。何か争いの種があるのではないかと疑いたくなるのも仕方ない。


「実はオレ……育休を取ろうと思うんだ」

「へ?」

「けど、今のままじゃ陛下を説得できないから、西で色々情報収集してきたんだよ」


 西の大国の育児にまつわる制度は何もかもモルダーンと違っていた。制度だけでなく考え方の根本から違う。西の場合は、「一歳になるまでは原則自宅で子どもを育てろ」というスタンスだ。だからそもそもゼロ歳から預けられる保育園は存在せず、その代わり一歳になるまでは両親ともに休業することがほぼ義務となっており、そのうえで一年間の収入保障も整備されている。どうしても休めない仕事がある人にとってはやや融通の利かない制度かもしれない。ただ、全員が一律その制度の適用対象となるので、育児で休業することは当たり前の空気であり、休むか否かを職場で交渉したり、何日間取得するかで周囲の顔色を伺ったりする必要はないというわけだ。


「人が子を産んで育てるってのは世界中共通の営みなのに、制度は国によってけっこう違うもんなんだねえ」

「ああ。オレも驚いた。あと、なんとなくの感想だけど、西の方が意見をはっきり言う女性が多そうだな。旦那が家事育児サボったら面と向かって文句を言って、きっちり落とし前をつけさせるらしい。モルダーンだと一人で背負い込むタイプの女性の方が多いって聞いたことがあるけど、国民性の違いなのかな」

「それは人に依るだろうけど、伝統的な家で育った人ほどその傾向はあるんじゃない」


 伝統的な家、たとえば貴族とか。

 キャリィは明言しなかったが、セリアが責任感が強く一人で抱え込みがちなのは仲間内では周知の事実である。


「……で、それを確かめるためにわざわざ西へ?」

「ああ。途中刺客かどうか疑われて拘束されることもあったけど、なんとかなったな」


 武勇伝のように語るラカンを見て、キャリィはやれやれと肩をすくめ、ぽすんとソファに腰掛ける。


「育休なんて、労働者に等しく与えられた権利でしょ。その権利を主張するってだけで、どうしてそこまでしなきゃなんないのさ」

「ってことは、キャリィは別に反対しない……?」

「あったりまえだよ! ラカンもセリアも仲間である前に大事な友だちだ。その二人が安心して子育てできる状況が一番良いに決まってる」

「キャリィ……」


 普段魔工具のこと以外ずぼらなキャリィからそんな台詞が飛び出すとは思わず、ラカンは目頭が熱くなるのを感じた。

 仲間である前に大事な友だち。そんな風に思ってくれていたとは。


「こう見えて、ボクはけっこう感動したんだよ。君たちと一緒に赤ちゃんの心臓を見た時にさ、人ってこんなちっちゃいところから始まるんだっていう驚きと、これをお腹の中で育てて世に生み出す母親のクリエイティビティへの畏怖……ってとこかな」


 キャリィはうーんと背伸びをすると、作りかけの試作品プロトタイプを作業机の端に追いやり、代わりに机の奥に丸まっていた設計図らしきものをくるくると開いていく。


「……ラカンがその気なら、ボクもそろそろ本気にならなくちゃな」


 設計図の中央に描かれているのは剣だ。

 形はラカンの持つ勇者の剣によく似ている。

 彼女は袖をまくると、機関車の模型をその上にそっと置く。なかなか重量があるのでペーパーウエイトにするにはちょうど良さそうだった。


「ラカンが簡単に育休を取れない責任はボクにもある。だから、もう一度挑戦してみるよ。この難題に」


 天才魔工士キャリィをもってして、一度は挫折したという、世紀の発明。

 勇者の剣の仕組みの解明と、それを応用した新たな汎用魔工武器の開発だ。

 それが実現すれば、「勇者」は替えの効かない職業ではなくなる。


「ありがとう、キャリィ。僕にできそうなことがあればなんでも言ってくれ」

「うん。とりあえず作業に集中するからこの部屋を出てくれるかな。しばらくはこもりきりになるよ」

「そ、そうかい……」


 ペンを取ったキャリィはすでに設計図に線を引き始めていてラカンの方など目もくれない。こうなってしまうと声をかけるのも野暮である。ラカンはそっと音を立てないようにキャリィの工房アトリエを後にした。


 魔法工学院を出て、魔導灯の明かりを頼りに滞在先の『赤錆び亭』へと向かう。

 夜道を歩きながら、ラカンはふと立ち止まって後ろを振り返った。魔法工学院と並び立ち、王都内のどの建物よりも高くそびえるモルダーン城。城内ではまだ働いているものも多いのか、煌々と明かりがついている。働き者のローガ王もその一員だろうか。


 なにはともあれ、仲間二人に育休を取る意思を伝えることができた。

 あとは二人の助言をもとに、もう一度王に直談判するだけだ。


 一度は無抵抗に言いくるめられてしまったが、今は違う。

 なんとかなる。なんとかなる気がしている。


 ラカンはふんすと鼻から息を吐き出すと、城に背を向けて歩き出した。

 外の空気が冷え始め、季節の移ろいを感じる。

 それは同時に、自らの子の誕生が近づいている予兆だと、ラカンは思った。


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