第13話 勇者、実験台になる。
魔工士キャリィの一日は忙しい。
午前十一時、魔法工学院の
それからもう一度横になると、白衣のポケットに入れてある手帳を取り出して黙々と何かを書き留める。就寝時間は脳が前日に得た知識を整理する時間だ。そうして翌朝目覚めた時、昨日は何時間かけても思い浮かばなかったアイディアが急に降りて来ることがある。この目覚めの時間が天才魔工士にとっては何よりも貴重な時間であった。
一時間経過。メモを終えてようやくソファから起き上がる。
作業机の隅に置かれたパンを頬張りながら、作業開始。ちなみにこのパンはキャリィの助手を務める学生たちが差し入れてくれるものである。これがないと彼女は必然的に食事を摂らない。空腹で指が動かなくなるまでは食事を忘れてしまうのだ。
ちなみに今彼女が作ろうとしているのは、「メレンゲを早く泡立てる魔工具」の
「泡立て器を回転させる動作はアルキメデスの螺旋の原理を応用すれば効率化ができる……それをさらに魔導モーターで自動化して……いやでもモーターが熱を持ち過ぎたら菓子作りには使えない……ファンを取り付けることでモーターを冷ませば……」
ぶつぶつと呟きながら作業に没頭すること三時間。
ぐうと腹時計がおやつどきを告げて、彼女は強制的に作業を中断する。
「泡立て器のことばかり考えていたらケーキが食べたくなってきたぞ……」
キャリィはよろよろと作業机を離れると、工房の扉を開ける。
眩しい外の光に目を細める。そういえばカーテンを開けるのを忘れていた。
学内の食堂へ赴くと学生たちがおやつを持ち寄って勝手に集まってきて、最近の教授の様子がどうだの、恋愛がどうだの、流行りの音楽がどうだの、とりとめのない会話を延々と繰り広げていく。
意外ながら、キャリィはこの雑談の時間を愛していた。
自らが本来興味のない情報を一方的に提供されるというのは、多少苦痛はあるものの、自分一人では狭まりがちな視野を拡張するのに必要な作業だ。
先の泡立て器の件のように、新たな発明につながることも多々ある。
そのため、一日に一度は工房を出て学生たちの話を聞くのを日課にしているのだ。
「そういえばキャリィさん、あのウワサ聞きました?」
「んん」
一人の女学生から話を振られ、キャリィはケーキを頬張りながら応答する。
「姫様はさらわれたんじゃなくて、自らの意思で魔王のもとに行ったって話ですよ!」
「自分の意思で……? それはボクが知っている話と違うなあ」
王から魔王討伐および姫救出を依頼された際に説明された話を思い返してみる。
姫が魔族にさらわれたのはロックライン川源流近くにある、モルダーン王国領東北部の旧魔石採掘場である。彼女はそこへ魔法工学院の研究者たちに同行する形で視察に訪れていた。
ちなみに、その研究者たちは魔法工学院魔石研究科の者である。「魔石とはそもそもなんぞや」を研究する学科であるが、学院創設時からあるものの目立った研究成果は上げられておらず、学生たちの中でも「魔石研究科は変人しかいない」と共通認識があるくらい不人気な学科だ。
姫たちはそこで魔族に遭遇。姫の他の同行者はみな魔族に眠りの魔法をかけられ、姫だけがその場からいなくなってしまったのだとか。採掘場の外で見張っていた近衛兵が魔族の気配を察して様子を見にきたところ、事態が発覚したというわけだ。
「実は、あたしの友達の友達と同じ語学クラスの子が、その時助手として現場にいたらしくて」
「それってもはや他人じゃない?」
「べ、別にいいじゃないですか。で、その子、ずっと眠りっぱなしで休学してたんですが、最近になって魔法が解けて復学したみたいなんです」
「ふうん……?」
「その子の話によると、遭遇した魔族は気が立っていて、誰かをさらうどころかその場にいる全員殺すつもりだったそうですよ。姫さまのことも知らないようでした。でも、姫さまが魔族に何かを交渉すると言って、話を聞かれないように魔族に命じて他の人たちを眠らせたんですって!」
興奮気味に話す女学生に対し、キャリィはもぐもぐと口を動かしながら首を傾げた。
「それは、自分の意思というよりも、他の人たちを守るためだったんじゃないかな? 自分一人が人質になることで全滅を防げるって考えたんだろう」
「で、でも、だとしたらわざわざ眠らせる意味なくないですか? 他の人に聞かれたくないことがあったんじゃないかなーって」
キャリィは皿に付着した最後の生クリームをスプーンで掬い上げる。
「うん。興味深い話ではあったけれど、それ以上は残念ながら推測の域を出ないかな」
姫とその魔族が何を話したのか。なぜ周囲を眠らせたのか。
それは本人に聞かなければ分からないことだ。
ああだこうだ推測している時間があれば、とっとと救出に向かった方が早いだろう。といっても、今は勇者一行とロックライン大橋の状況ですぐにとはいかないが。
ただ、彼女の話がまったくの無駄だったかといえばそうでもない。
キャリィは思い出したのだ。
姫の話を聞いた時に、最初に沸いた疑問。
なぜ、魔石研究科の研究者と姫が共に行動していたのか――
先述のとおり、彼らは目立った研究成果を上げておらず、王家からも年々補助金を減らされている状況だ。なのになぜ、姫がわざわざ彼らに接触したのか。
気になっていたが、研究者たちがみなぐっすり眠ってなかなか目を覚まさないので確認するのを諦めていた。だが、同行者の一人が起きたというのなら、状況は変わる。
(今度その学生に話を聞いてみようか。まあ、学生助手じゃ大事な話は把握していない可能性もあるけれど)
キャリィはそんなことを考えながら再び工房に戻り、作業を再開する。糖分を補給したので集中力はばっちりだ。
午後六時――もう間も無くで「メレンゲを早く泡立てる魔工具」の試作品が完成しようという頃。
コンコンと工房の扉を叩く音があった。
「うん? 誰かな……」
この時間の訪問者は珍しい。ほとんどの学生たちは授業を終えて帰宅し、学内に残るのは事務作業の残る職員か、キャリィのように工房に引きこもって作業に明け暮れる魔工士くらいである。
キャリィは念のため作業机に置いてあった小型のナイフを手に取った。
工房にはしばしば盗人がやってくる。行き詰まってキャリィの発明を自分の手柄にしようとする同僚や、彼女の発明品を転売したり悪いことに活用しようとする輩である。
(まったく、毎度毎度命知らずだねえ〜)
キャリィはにやりと口角を吊り上げ、そっと扉に近づく。
これでも勇者一行の一人である。本来の得意分野は戦闘用魔工具の制作と操作。
彼女の工房に立ち入らんとする不届者は、たいてい新型魔工具の実験台になってもらうことにしている。
というかむしろ、実験台にするためにあえて警備を緩くしているまである。
ガチャリ。音がして扉がわずかに開く。
「あれ? 開いてる……」
開いてる、じゃない。開けているんだ、わざと。
鍵が空いている部屋に無遠慮に立ち入ろうとする輩かどうかを見極めるために。
なお、鍵のありかはキャリィ自身も知らない。
部屋のどこかにはあるだろう。そう思って二年くらいが過ぎている。
ぬっと人影が扉の隙間から差し込んでくる。
(クロだな!)
確信したキャリィは、姿勢を低くした状態で相手の懐に入り、小型ナイフの切っ先を腹部に突きつけた。
「いっでッッ!!」
命中した瞬間、バチンと激しい音が響き、相手の男はその場にうずくまった。
「さ、刺された……!?」
彼は狼狽えて自らの腹部をさする。しかし流血はない。
ナイフの切っ先をキャリィは自らの指で押してみる。実のところ刃はダミー。こうして何かに接触すると折りたたまれて柄の中に収納される仕組みだ。だが、手元のボタンを押せば轟音と雷魔法を発するようになっており、衝撃と形状のせいで相手は「刺された」と錯覚する。
だが、おかしい。
「雷魔法は気絶させられるくらいの出力にしておいたはずだけどな……?」
キャリィはしゃがんで相手の男の顔を確認し、ようやく気づいた。
先日会った時よりも少し日焼けしているが、人の良さそうな素朴な顔立ちに、濁りっ気のない褐色の瞳はよく知る人物のものである。
「ラカン! どうりで気絶しないわけだ!」
勇者の剣は持ち主の腕力脚力だけでなく防御力も大幅に向上させる。
「い、痛いよキャリィ……いきなり何するんだよ……」
よろよろと立ち上がるラカンを前に、キャリィは白衣に忍ばせていたメモに即座に「勇者相手では気絶しない」と実験結果を書き込んだ。
「ごめんごめん、泥棒かと勘違いしてさ。来るなら事前に連絡してくれれば良かったのに」
「いや、二週間くらい前に手紙を送ったけど……」
ラカンは床に雑多に積まれた書類の山をちらりと見て、苦笑いを浮かべた。どうやらその中には、彼が送った手紙が開封されないまましわくちゃになって挟まっているようであった。
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