第12話 勇者、赤字になる。



 モルダーン王国領は大陸のおよそ中央部を占めている。その東南端にラカンの故郷・ナッシュ村があり、東部から東北部にかけては「魔界」と呼ばれる魔族が支配する領域との境界線だ。どこが境目になるかはその時々の戦況によって変わるが、現在は大陸を南北に流れる大河・ロックライン川が境となっている。

 ロックライン川は海と見間違うくらい川幅が広く、底も深い。流れは穏やかではあるものの、泳いで渡るのは人でも魔族でも至難の業だ。かつて北部の鉱山から採掘した魔石を南部へと運搬するのに使われていた名残りで運搬中に落ちた魔石が川底に眠っており、その魔石を食べて異常に凶暴になった魚や水棲生物の巣窟となっている。


 そういうわけで、川を渡り対岸へ行くためロックライン大橋と呼ばれる巨大な橋を通る必要がある。つい最近まで魔族に占拠されていたのだが、魔界侵攻への足がかりとしてラカンたち勇者一行が奪還して現在はモルダーン王国の管理下となっている。そしてセリアの妊娠が発覚した時もこの橋を渡ってモルダーン王国領へと戻ってきたものだったが……。


 今、その橋は渡れなくなっている。

 真ん中あたりに巨大な穴が空き、壊れてしまっているのだ。

 大昔、建造の折に何千人もが犠牲になったという逸話のある頑丈な橋が、巨大な爪のようなもので抉るような形でぼろぼろに破壊されている。

 原因は調査中らしく、周囲を王国兵たちがせわしなく走り回っている。


「魔力の痕跡から、一般の魔族ではなく幹部級の魔族の仕業かと思われ……」

「やはり王都に潜入していたと見られる例の……!?」


 そういえば、先日保育園見学で知り合った魔族の父親・ナイジェルは、ひと通り目当ての保育園を調べ終えて最近魔界へ帰ったらしい。橋が壊れる前で幸いだった。ラカンの元に届いた手紙によると、道中子ども二人が癇癪を起こして収拾つかず大変だったという愚痴が書かれていたが……。いやいやまさか、まだあんなに幼い子どもたちである。いくら竜の血を引く魔族とはいえ、こんなに頑丈な橋を壊せるはずが……。


「おーい、ラカン! 次はこっちを頼む!」


 橋の傍らの作業場にいるダルトンに呼ばれ、ラカンはすぐに向かった。

 ラカンは今、王からの緊急要請でダルトンと共に橋の修復作業に参加している。

 再び魔王討伐に向かうにもこの橋がないことには始まらないからだ。


「よっと!」


 ラカンが一気に十個分の大きなレンガ――本来四十人がかりで運ぶのもやっとな量である――を持ち上げると、周囲の作業員たちから野太い歓声が巻き起こった。

 これも勇者の剣の加護のおかげである。作業着に腰には勇者の剣というアンバランスな格好であるが、勇者の剣の恩恵を受けるには一定範囲内に剣がある必要があるので致し方なかった。


「さすがだな勇者様。お前がいると作業が捗る」


 そう言うダルトンも軽々と片腕でレンガ二個持ち上げてみせる。作業中暑くなったのか上着は脱いで腰に巻いており、真夏の入道雲のような隆々とそびえる筋肉と傭兵生活で刻まれた歴戦のあかしを惜しむことなく見せつけているので、これまた周囲の作業者たちから羨望の眼差しを集めていた。


「おふくろさんは?」

「無事村に送り届けてきたよ」

「そうか。そりゃ良かった。少しは実家でゆっくりできたか?」

「いや、すぐに出てきた。この依頼しごとのこともあるし、一回腰を落ち着けると次から次へと人が来るから……」

「ハハハ。わかるわかる。だから俺もなかなか地元には帰れん」


 ダルトンの出身地はモルダーン王国ではなく、王国領北部にある雪に閉ざされた小国・オッサムである。元々は国の兵士として勤めていたダルトンであったが、長年北国の人々の生活を脅かしていた雪狼の討伐を終えて仕事を失い、モルダーンに傭兵として出稼ぎに来ていた。そんな折、勇者のパーティーに加わる戦士の募集があり、ラカンと出会ったという経緯だ。


 レンガを橋の破損場所近くまで運んで下ろす。

 しかしまあ派手に壊れたものだ。損傷が激しい箇所では橋を支えていた柱が根元近くまで抉れて跡形も無くなっている。

 修復作業を指揮する現場監督の見積もりによると、ラカンが毎日手伝ったとしても修復が終わるのに最短で半年はかかるという。

 ちなみに、子どもの出産予定日まであと四ヶ月。

 よって子どもが生まれる前に魔王領に攻め込むという選択肢はついえた。

 まあそのぶん魔王軍が攻めてくることもしばらくないであろうから、強制的に休戦状態ということになる。


 囚われ続けている姫のことは心配ではあるが、情報屋に探らせてみたところ相変わらず不自由はしていないらしい。魔王城内を自由に出歩き、城で働く魔族たちからの不満を聞いてやり、彼らに代わって魔王に面と向かって陳情し、城内の働き方が改善されたこともあるとかなんとか。……あれ、心配する必要なくない?


 再び作業場まで戻り、ダルトンが「一旦休憩するか」と腰掛けて瓶に入った水を煽る。話すなら今だろう。ラカンも隣に座り、思い切って口を開いた。


「あのさ、ダルトン」

「うん?」

「オレ……育休取ろうかと思うんだ」


 ごふっ。飲んでいた水が変なところに入ったのかむせ返るダルトン。


「お、お前本気か!? 陛下には遠回しに休むなって言われたんじゃなかったか」

「うん。けど、考え直したんだ。陛下にももう一度申請してみようと思う」


 ダルトンは声にならない唸り声をあげて「マジか」と大きな両手で顔を覆う。


「魔王討伐はどうする?」

「橋だってこの状況だ、延期するか、あるいは橋が直り次第ほかの人に頼むか」

「勇者の代わりはお前の他にいないんだぞ!」

「父親と夫の代わりだってオレの他にいないだろ!」


 互いに額を突き合わせて睨み合う。

 右眉から頬にかけて縦に傷のあるダルトンの顔面は間近で見ると威圧感がすごいが、ラカンも退く気はなかった。

 やがてラカンが本気であることを理解したのか、ダルトンの方が折れる。

 溜め息と共に身を引くと、ヤケ酒を飲むかのように残っている水を煽った。


「……父親と夫の代わりはいない、か」


 ダルトンはぼそりと呟き、左手首につけているぼろぼろの組紐ミサンガをちらりと見やる。六色の糸で編まれたそれは、ダルトンが出稼ぎに出る際に妻と四人の子どもたちが彼の無事を祈るために作ってくれたものだという。


「そいつは確かにそうだ。誰かに取って代わられるもんじゃねえ。だが、それと育休取るかどうかはまたちょっと別の問題だ」

「別の問題?」

「まず、現実的に家計カネをどうするかってとこだな」


 家計。そういえばあまりちゃんと考えていなかった。

 そもそも同棲も始めていないので、ラカンとセリアは互いの貯金がどれくらいあるかを把握していない。


「まあセリアのことだ、きっと多少は蓄えがあるだろう。聖女の仕事も続ける気なんだったら、産休育休中は給付金がもらえるはずだ。元の給料の三分の二には減っちまうけどな」

「なるほど」

「なるほどー、じゃない。問題はお前だよ、ラカン」

「オレ?」


 きょとんと首を傾げるラカンにダルトンは呆れたように肩をすくめた。


「まず貯金は? 今どれくらいあるんだ」

「えっと……いくらだっけ」


 頭の中で計算してみる。

 モルダーン王都に戻ってきたばかりの頃は、魔界にいるあいだ使い道がなくて金が溜まっていたので、超高級な防具一式新調できるくらいの額があった。それが主に王都の滞在費・生活費でみるみるうちに減っていき……何度か依頼クエストを受けて小遣い程度の収入は得たものの、そろそろ大きな収入がないと子どもが産まれるまで王都に滞在できるかすら厳しいと思った記憶がある。つまり……


「四十万かな」

「少なっっっっ!」


 ダルトンの唾が飛んできてラカンは顔をしかめる。


「でも今回の仕事で多少まとまった金は入るし、生活できないほどじゃないはずだけど」

「独身ならな。言っとくが、四十万なんて出産費用だけで軽く飛ぶぜ」

「えっ……!?」

「まあそこら辺はこの国だとローガ王がやってきた改革で後から助成金をもらえるようになってっから、なんもトラブルがなきゃトントンになるみたいだけどな」

「なんだ、よかっ――」

「だが、ベビーベッドやら乳母車やら抱っこひもやら、その辺の赤ん坊が生まれた後の準備はもうしているか?」


 全然まだである。

 セリアが実家を訪問してから少し調子を崩してしまったので、この仕事が終わって彼女の体調が落ち着いてから新居を探したり買い出しに行ったりしようと思っていた。

 ダルトンはもはや憐れむような目でラカンを見つめ、ひとさし指を立てながら言った。


「十万だ」

「え?」

「出産費用のほかに、もろもろの道具を揃えたときにかかる金だよ」

「じゅ、十万……!?」

「それで終わりじゃない。赤ん坊が生まれたらミルクやオムツは当然消耗品として常に買い続けなきゃならん。だいたい月一万。それからあいつら平気で年に二十センチとか伸びるからな、あっちゅうまに服が合わなくなるんだ。汚すスピードも半端なくて一日に三回着替えは当たり前、となると洋服を買うのにもそれだけ金がかかる。おまけに離乳食だ。それが始まると食費はどんどんかさんでいく。子どもには良いもん食べさせてやりたいって親も気を遣うようになるから、そもそも安い食材をあまり使えないしな。よく食う子だと乳幼児にして大人一人分と同じ食費がかかるなんてウワサも」


 途中からラカンは思わず耳を塞ぎたくなった。

 育児、めちゃくちゃ金がかかる。

 しかもダルトンが話しているのはあくまで生活費の話だ。

 ここに保育園や学校に通い出したら教育費が乗ってくるわけで。

 モルダーン王都で暮らすなら家賃だけでも親一人分の給料のほとんどが持っていかれる。

 そうなると、子どもを養育するには親二人にある程度稼ぎがないとジリ貧になってしまう。


「ラカン。俺は今からお前が聞きたくなかった言葉を言うかもしれん」


 ダルトンは腕を組み、険しい顔でまぶたを閉じる。


「だが、仲間だからこそ……戦友ともだからこそ、お前の生活を案じて言わせてもらう」


 ラカンは覚悟を決め、ごくりと唾を飲み込んだ。

 ダルトンはカッと目を見開くと、真剣な眼差しでラカンに現実を突きつける。


「いいかラカン……! 勇者じえいぎょうは、この国じゃ育休手当が貰えないッ……!」

「ぐッ……!」

「それでも、育休を取る決意は変わらないのかッ……!?」


 そう。実を言うと王と勇者は正規の雇用関係ではないのである。勇者の剣を貸与してもらってはいるものの、あくまで魔王討伐という任務遂行のための単発契約であり、成果を上げなければ報酬は貰えない。

 モルダーン王国では雇われの人々であれば休業中も加入している保険から手当が出ることが多いのだが、一方で自営業の場合は自己責任という扱いになってしまう。

 風の噂で自営業の人々の社会保障の手薄さが問題になっているというのは聞いたことがあった。

 だが、まさかこうして自分の問題として直面する日が来ようとは。


「オレは……オレはッ……!!」


 ラカンは膝の上で強く拳を握り締める。

 もしもラカンが育休を取れば、セリアの貯金と育休手当を削りながら生活することになる。果たしてそれで足りるだろうか。将来のことを考えたら、育休取らずに働いた方が結果として家族のためになるのでは? 王からの信頼を得て王国軍に正規登用されれば収入も安定するじゃないか。

 だが――頭をよぎるのはナイジェルの言葉である。

 「育児は支える人が多いに越したことはない」……それもきっと真実だ。

 一体どちらを取るべきなのか。

 答えは――


「俺は、絶対の答えなんてないと思っている」

「え?」


 ラカンは顔を上げる。

 ダルトンはというと、ラカンから顔を背け、組紐ミサンガを見つめながらぽりぽりと居心地悪そうに頬をかいていた。


「追い詰めるようなことを言ってすまんな、ラカン。セリアにとってはそりゃお前が育休取ってくれた方が助かるに決まってる。だが、現実問題カネがなけりゃ生活は成り立たないし、仲間としてはお前ともっと働きたい気持ちはあるからな、少し、その……意地悪なことを言った」

「ダルトン……」


 彼は立ち上がると、うーんと背伸びをした。


「俺の時はな、選ぶ余地はなかったんだ。嫁さん、あんまり職場と仲良くなくて仕事辞めたがってたし、子どもに囲まれる生活が夢だったから主婦に専念したいって。だから俺の父親としての役割は、働いて、働いて……家族を養うカネを稼ぐことになった」

「そう、だったのか」

「地元で仕事がなくなって四人目の子の妊娠中に出稼ぎに来ちまったからな、生まれた時すら立ち会えてねえ。正直、思う時はあるよ。もっと家族のそばにいた方がいいんじゃねえかって。けどな、ウチの家族のことはウチの家族で決めたことが『正解』だ。世間から見て少しズレたところがあったとしても……自分たちで『正解』にするしかねえ」


 ダルトンは自分に言い聞かせるようにそう言うと、ようやくラカンの方を見て手を差し出してきた。周囲の作業員たちは休憩を終えて続々と作業に戻っている。少し休み過ぎたようだ。自分たちもそろそろ仕事に戻らなくては。


「ラカン。周りがどう言ってこようと、決めたなら迷うな。アホづらしてでもお前の正解を貫けよ。あのやり手の王様を説得するには……お前は少々人が良すぎる」


 彼の手を取りラカンも立ち上がる。


「ありがとう、ダルトン。忠告助かるよ。肝に銘じておく」

「ああ。……それから」


 ダルトンはポケットをごそごそと探り、一枚の小さな紙切れを取り出した。


「これは?」

「そいつぁ切符だ。西の大国出身の傭兵仲間が酒代の代わりにくれたもんだよ」


 西の大国といえば、モルダーン王国と仲の悪い、大陸第二の面積を誇る隣国である。

 魔工技術の発展度合いに関してはモルダーン王国より劣るが、代わりに移動技術については革命が進んでいるという。この切符は魔石機関車と呼ばれる巨大な鉄の車に乗るためのものらしい。


「西の大国は魔族との戦争で弱ったモルダーンを攻める機会を窺ってる。今は目立った動きはないが、将来的に兵力増強する目的なのか、人口を増やすために色々方策を練っているそうだ」

「きな臭いな……。確かに前に陛下からも聞いたことがある。魔族の次は西だって」


 ダルトンは頷く。


「だからこそだ。西へ行ってこい、ラカン」

「……は?」


 要領を得ないラカンの肩をダルトンはぽんと叩く。

 そして、周りに聞こえないように声を潜めて囁いた。

 「敵の敵は味方だろ」と。




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