第11話 勇者、義両親と対面する。



 広い屋敷の中でも最も大きな間取りで作られた食堂。

 十人は並んで座れそうな長いテーブルに並ぶ、シェフが腕によりをかけたフルコースの料理。

 対面には着飾ったセリアの両親。父親は恰幅がよく整えられた口ひげが特徴的で、セリアと同じ金色の髪をしていた。母親は背筋をピンと伸ばして座る細身の貴婦人で、藍色の瞳はセリアと同じ色ではあるもののやや吊りがちな目の形はあまり似ていない。


 旅の道中、ラカンとセリアの間に子ができたこと、そしてそれをきっかけに結婚することになったことは事前にセリアからの手紙で伝えてあった。

 それに対するセリアの父からの最初のひと言が「でかしたぞ」と。

 母親も隣でニコニコと微笑みながら同意を示すように頷いている。


 これはいったいどういうことだ。


 つい先ほどまで、セリアから両親に疎まれているという話を聞いたばかりだ。

 突然の妊娠に、結婚。

 伝統を重んじる貴族である二人からは小言の一つや二つ言われて当然だろうと身構えていた。

 なのに、まさかいきなり称賛されるとは。

 状況を飲み込めないラカンは左隣に座るセリアをちらりと見やる。

 彼女はラカン以上に混乱しているようだった。

 精一杯貼り付けていた社交的な仮面は早くも剥がれ落ち、引き攣った顔が露わになってしまっている。


「困惑するのも無理ないわね」


 アンシャーヌ夫人はハの字に眉を曲げながら、肩をすくめて言った。


「わたくしたち、セリアには少々厳しくしすぎましたの。すべてセリアが立派な淑女として育ってくれることを思ってのことでしたが……ねえ、あなた?」

「ああそうだとも。二人の姉とは違い、今の時代らしく自立した女性にな。それがまさか、聖女として功績を上げるだけでなく、勇者殿の伴侶に認められるに至るとは! いやあ、親としてこれほど名誉なことはあるまいっ!」


 ガッハッハ、オホホホ……二人の上機嫌に笑う声が食堂の広い空間に響く。

 ラカンはなんと返したら良いか分からず、とりあえず愛想笑いを浮かべるしかなかった。

 もしかして、セリアの話は彼女が膨らませた被害妄想だったのだろうか。

 一瞬そんな考えが頭をよぎったが、改めてセリアの方を見てすぐさま「やっぱり違う」と思い直した。

 セリアの持つワイングラスが震えている。中に入っているのはアルコールの入っていない葡萄ジュースだが、深いグラスの底から飛び出さんばかりにたぷたぷと揺らいでいた。


「ねえ、セリア」


 黙り込んでいる娘に母は語りかける。


「大切なのはこれからのことよ? 真面目なお前のことだから子育てを一人で背負おうなんて考えているんでしょうけど、遠慮なくわたくしたちを頼りなさい。出産のときには里帰りしたって良いのよ。家族みんなで全力でサポートするわ」


 それは確かに母親の眼差し。子をあやすような声。

 セリアはますます混乱する。

 両親に疎まれていた過去というのは被害妄想の産物じゃないかと、ラカン以上に疑っていたのはセリア自身であった。


「さ、里帰り、ですか……。考えてもみませんでした……」


 セリアは小さな声でぼそぼそと言った後に俯いてしまう。


「ぜひ、検討してみて。わたくしたちも早く孫の顔が見たいことだし。ねえ、あなた」


 アンシャーヌ公は「うむ」と頷くと、ラカンの空いたグラスにワインを注ごうとボトルを手に取った。ラカンは慌ててグラスを手に取り酌を受ける。


「ラカン殿はこれからどうするおつもりか」


 自分の話題に変わり、ラカンは正直ほっとした。

 これ以上セリアに話しかけられては彼女がパニックに陥るのではないかと不安だったからである。


「えっと、これからというのは育休についてでしょうか」

「育休? 違う違う」


 彼は大袈裟に首を横に振る。


「貴殿は勇者というかけがえのない存在ではないか。育児のことなど考えとる暇はないだろう。そんなことはセリアと我がアンシャーヌ家に任せてくれれば良い」


 これまで人と話すたびに育休どうするかという話になったラカンにとっては少々拍子抜けであった。育休取らないことを言及されるたびに胸の内が燻るような感覚があったが、取らない前提で話が進むのもそれはそれでなんだか引っかかるものである。相手に悪意がないことは分かってはいるのだが。


「私が訊きたかったのは『家』についての話だよ。失礼ながらラカン殿は東方の村の……ええと、なんという名前であったか」

「ナッシュ村です」

「おおそうだ、ナッシュ村だ。そちらの出身だと聞いたが、それはつまり爵位はお持ちでないであろう。先王までの時代であれば、勇者殿ほどの功績をあげれば爵位を授かるのが通例であったが、当のローガ王はなかなか貴族に風当たりが強くてだな……。勇者殿も報奨金は用意せど爵位の話はされていない、違うかね?」


 確かに爵位の話は聞いたことがない。

 ラカンが同意すると、「やはり!」とアンシャーヌ公は憤慨するように立ち上がり、すぐまたすとんと席について言った。


「そこでだ、貴公さえ良ければだが、結婚の折には婿養子として我がアンシャーヌ家に入らぬか」

「え?」

「そうすればラカン殿は爵位を獲得できるし、その、もしもだな、お腹の子が男児であったなら、そのままアンシャーヌ家を継がせれば良い! そうなれば我が家も安泰というもの。なあ、悪い話ではあるまい?」

「は、はあ……」


 ラカンは曖昧な返事をして誤魔化す。

 なるほど、見えてきた。

 彼らがこうも手厚く歓迎してくれる理由が。

 「でかした」というのは娘が子を授かり、結婚相手に巡り会えたことへの言葉ではない。

 彼女が都合の良い跡継ぎを連れてきたことへの称賛だったのだ。


 爵位への憧れがないと言ったら嘘になる。

 勇者や騎士、辺境の村で育ったラカンにとってはそれらの「肩書き」はいつだってキラキラと輝いて見えた。


 だが、実際目の当たりにしてみてどうであろう。

 「肩書き」は「呪い」だ。

 一度得てしまえば簡単には手放せない。

 縋りつくために、あらゆる手段を講じる。それが身の丈に合っていないものであっても、人としての道徳を踏みにじるものであっても。


 白い陶器に刻まれた深い染みが、部屋中に蓄積された埃っぽさが、質の悪い野菜のか細さが、急に目についてくる。

 セリアの両親のぎらついた瞳が、飢えた獣のもののように見えてくる。


 彼らは望んでいる。

 早く別の者に「肩書き」を受け渡し、「呪い」から解放されることを。

 自らの代で終わらせるという勇気はない。代々重ねてきた背伸びによって、それができるほどの器を備えた血筋はもう絶えてしまったのだろう。


 哀れだと思う。

 彼らの誘いに乗って、救いの手を差し伸べることが「勇者」としての優しさなのかもしれない。

 だが同時にラカンは気づいてしまった。

 自らも勇者という「肩書き」に縛られていることを。


 勇者ならどういう判断をするか。

 勇者ならどうすべきか。

 勇者ならどうあるべきか。


 だが思い出せ。

 あの日、生命の熱にあてられたままセリアと互いを求め合った日の夜のことを。

 あの時の二人は勇者と聖女ではなく、一人の男と女であった。

 余計なものを脱ぎ捨てて、お互いのありのままの生を確かめ合ったのだ。

 授かったのはそんな二人の子どもである。


 その子のことを、今更「肩書き」を気にして決めるべきか。

 ――否。


 考えるべきは、勇者ラカンとしてどうすべきかではなかった。

 ただの一人のラカンという男として、だ。


「ラカン……」


 不安げにこちらを見つめるセリア。

 彼女の冷えた手を、テーブルの下、両親には見えない場所で強く握った。


「お義父さん」


 ラカンはすうと息を吸い、腹を決める。

 今から選ぶ道は、魔王討伐以上に茨の道となるかもしれない。

 ……だが大丈夫、なんとかなるさ。

 その口癖は、勇者になる前からのラカンのものなのだから。


「たった今決めたんですけど、オレ、やっぱり育休取ります」

「……は?」


 だから、爵位も実家のサポートも必要ない。

 二人の子なのだから、二人で一緒に育てていく。

 大多数の誰かよりも先に、大切な妻と子どもを守れる場所にいる。

 それが、一人の父親として導いた結論だ。


 唖然とするアンシャーヌ公。ぱくぱくと口を開く夫人。

 そんな二人に構わず、ラカンはすっと席を立った。


「行こう、セリア」

「え……?」

「逃げるよ!」


 食事の途中ではあるが、ラカンはまだ事態を飲み込めていないセリアの手を無理やり引いて、食堂を飛び出した。妊娠中の彼女に気遣いながらも、急ぎ足で二階から一階へ降り、玄関へと真っ直ぐに向かう。


「お待ちなさい!」


 追いかけてきたのは夫人の方だった。

 二階の手すりを鷲掴みにし、すでに一階に降りたラカンたちを見下ろす。

 息を切らし、整髪料で固めていた髪はやや乱れている。


「後悔しても知りませんよ、セリア……! せっかくお前をこの家の子として認めてあげる機会をやったというのに……!」


 セリアはびくりと肩を震わせる。

 やはり取り繕っていただけだった。これが彼女の本性なのだ。

 「振り返らなくていい」とラカンは彼女を庇うように立ち、セリアを先に行かせた。

 こうなることを見越していたのかどうかは分からないが、玄関には最初に出迎えてくれた老執事が待機していた。彼にセリアを先に馬車へ乗せてもらうよう促し、ラカンも続いて玄関を出ようとする。


「セリアッ!」


 夫人が叫んだ。

 すでに馬車に乗り込もうとしていたセリアは足を止める。


「お嬢さま、構わず」老執事が背中を押す。

「でも――」


 振り向いたセリアに対し、夫人は階段を駆け下りながら勝ち誇ったような表情を浮かべた。


「ああなんてお前はわたくしにそっくりなのでしょう! せいぜい苦労をなさい! そしてこの母の痛みを、苦しみを知るがいいわッ……!」


 ついに一階に降り立った夫人であったが、絨毯にヒールを引っ掛け躓いた。

 ラカンは少し不憫に思いつつも、今の自分は「勇者」ではないと言い聞かせ、手を差し伸べることなく玄関扉を閉ざす。


 見送りは老執事一人。

 彼は最後に馬車の窓からセリアの手を取って、優しい声音で言った。


「どうか、お嬢さまはお嬢さまの幸せを大切になされませ」

「じいや……」

「お二人は焦っておいでなのです。お察しのとおり、アンシャーヌ家は近いうちに没落する運命でしょうから」


 老執事は手短かに語る。

 時代が変わっても旧態然とした考えのアンシャーヌ公からは続々と人もカネも離れていっていること。今は所領や財産を切り売りすることでなんとか凌いでいるが、いずれそれも底をつく。

 ちなみに、彼らが元々期待していた二人の姉は貴族のもとへと嫁いだものの、一番目の姉は高齢な夫に愛想を尽かして使用人と不貞を働き離婚騒動真っ只中、二番目の姉は嫁ぎ先で莫大な借金が発覚してお家取り潰し、自らも働きに出ることを余儀なくされ生活に余裕のない日々を送っているという。いずれも、とてもおめでた話が出るような状況ではない。

 そんな中、突然舞い込んできた三女セリアの懐妊話。

 夫妻は自分たちが彼女にしてきた仕打ちなどころりと忘れ、窮地を脱するために一縷の望みを託したのだ。


「お父さまたちも苦労されておいでなのですね……」


 セリアがそう言うと、老執事は首を横に振った。


「お嬢さまがお気になさることではありません。いずれはこうなる運命だった。その道を選んだのはお二人自身です。ですが」


 執事はセリアを見上げ、眩しそうに目を細めて言葉を続けた。


「セリアお嬢さま、あなたさまのことだけは……もしかすると奥様の無意識のうちの抵抗だったのかもしれませぬ。あくまでじいの、推測でしかありませぬが」

「どういうことですか……?」


 その時、玄関扉を内側から叩く音が響いた。夫人だ。

 ラカンが開かないように押さえているが、それもそろそろ限界のようである。


「とにかくお嬢さま、家のことはお気になさらぬよう。お二人には最後までこのじいがついておりますので」


 老執事がセリアの手を離す。

 それを合図にラカンは玄関から離れ、すでにゆるりと走り始めていた馬車に飛び乗った。


「セリアッ! セリアーーーーッ!」


 夫人の声が徐々に後ろへ遠くなっていく。

 それと同時に、ラカンの頭に昇っていた血もだんだんと平常運転を取り戻して、


「……やっちゃったな……」


 気が抜けてずるりと座席の背もたれから滑り落ちる。

 その手を対面に座るセリアが取ったかと思うと、その手の甲に触れるか触れないかくらいのささやかな口づけをした。


「ありがとう、ラカン。私……」


 彼女はややまつ毛を伏せ、それからぼそりと囁くような声で言った。


「あなたのことが、ますます好きになってしまいました」


 ああ、この言葉を聞くためにきっと今日があったのだ。

 みるみるうちに力を取り戻し、しゃきっと居直るラカン。

 恥ずかしそうに顔を背ける彼女を、唇で捕らえる。


「オレも好きだよ、セリア」


 初対面でいきなり義両親に喧嘩を売り、勢いのままに育休取る宣言をし……

 この先どうするのかなど今のところ全く策はありはしないが、とはいえそろそろ年貢の納め時。

 本当に育休を取るのだとしたら、それを阻害する問題と向き合わなければいけない。

 魔王討伐の使命、そしてローガ王の説得。

 ローガ王には一度言いくるめられてしまっている以上、何かしら説得材料を用意しなければ勝ち目はない。


(さて、どうするか……)


 ラカンの頭にふと勇者一行の仲間二人のことが浮かんだ。

 そういえば王都に戻ってからあまり話していなかったし、様子見がてら彼らに相談してみるのもいいかもしれない――


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