第10話 勇者、聖女の実家を訪問する。
以前も言ったとおり、ローガ・モルダーン王はそれなりに名君である。
彼は魔族との戦いで衰退した国を盛り返すため、これまでの旧態然とした王政では考えられない手段を取ることもあった。
その一つが、貴族階級への特権認可条件を厳しくしたことである。
先王の時代まで、貴族というのは王家への政治もしくは軍事での貢献によって取り立てられてきた身分の人々であった。一度貴族に認められると、国政への参加の権利、領地所有の権利、王国軍内の飛び級待遇、王立学校への推薦入学枠……など、様々な特権を無条件に得ることができ、おまけにそれらを世襲で引き継ぐことができる。だから貴族たちは王家に見放されない程度に適度にごまをすりつつ、特権を有効活用して私腹を肥やしてきていた。
だが、それが黙認されたのは平和な時代であったからである。
魔族との戦いで実際に軍が動くことになり、飛び級で指揮官になった多くの貴族軍人たちの無能っぷりが露見されることになった。
それだけではない。自身の領地の付近で戦争が行われると知り、戦うどころか国外へ逃亡するようにバカンスに行ったり、戦地に行かなくて済むよう医者を買収して持病をでっち上げたりと不正が横行。
もちろん必ずしもそういった貴族ばかりではなかったのだが、見かねたローガは貴族特権を認可するための条件を設定した。
簡単にいえば、「一年間で国に貢献する成果が上げられなければ寄付金を払え」という条件である。
当然これまで無条件に特権を享受していた貴族たちからは不満が出たが、それを見越してローガは事前に根回しを行っていた。魔族との戦いや王立学校で成果を上げた平民たちを積極的に表彰し、報奨金を与えて味方につけていったのだ。
平民たちの声が大きくなる時代。
元々平民たちからの不満を向けられがちであった貴族たちは、彼らに取って代わられることを恐れ、早急に新時代への適応を迫られることとなった。
中には上手いこと適応してさらに地位を盤石にしていった家もある。
元々貴族階級は魔力の高い血筋であり、「まともに働けば」成果を上げることは容易いはずなのだ。
一方で、時代に取り残されたままじわじわと没落への道を辿る者たちもいる。
さて、セリアの実家――アンシャーヌ家はどちらであろうか。
「セリア、大丈夫?」
ラカンは対面に座るセリアの顔を覗き込む。
王都から馬車に乗ること二時間。
出発前からどこか普段より口数の少ない彼女であったが、だんだんと実家に近づくにつれ青ざめているように感じる。
「大丈夫ですよ。揺れで少し酔ってしまったのかもしれません」
そう言って微笑んでみせる彼女であったが、調子が悪いのは明白である。回復魔法の得意な聖女は状態異常への耐性も高い。これまでの旅でも彼女が馬車に酔っている姿など見たことがなかった。
「無理しないほうがいい。少し休む?」
「いえ、けっこうです。もう着きますし、遅れないほうが良いでしょう。時間を気にする人たちですから」
セリアは窓のカーテンをめくり、アンシャーヌ領の緑豊かな景色を見つめて小さくため息を吐く。
なぜだか義両親の家へ初めて挨拶に行くラカンより、彼女の方が緊張しているように見える。
聞くと、セリアが実家に帰るのは五年ぶりなんだそうだ。
修道院での修行を終え、聖女として各地を巡礼することになったことの報告のために訪れて以来。それ以降は勇者の旅に同行することになった時の手紙のやりとりしかないらしい。魔王討伐激励のための薔薇の花束が贈られてきたことはラカンの記憶にも新しかった。よく手入れされた美しい薔薇が贅沢に使われており、それだけセリアを励ます気持ちの表れなのかと思ったものだったが……。
景色を眺めていたセリアが、ふと何かに気づいて窓を開けた。それから少し顔を外に出してきょろきょろと周囲を眺める。
「セリア、危ないよ」
「ええ……でも少し気になることが」
そこは小さな集落のようであった。よく耳をすましてみれば、カンカンと金属を打つような音が聞こえてくる。
白の頭巾からはみ出た金色の髪をなびかせながら、セリアは馬車を操る御者に向かって声を張り上げる。
「すみません。この辺りは以前、ぶどう畑ではありませんでしたか?」
すると御者はちらりと集落を一瞥し「ああ」と頷いた。
「数年ほど前まではそうだったがねえ、アンシャーヌ家が所領を売っちまってからは魔工武器の製作所ができたのさ。ここだけじゃねえ、あちらこちらにそういった事情で移り住んできた人らの新しい村があるよ。昔はここら一帯アンシャーヌ家の持ちモンって印象だったが、今じゃだいぶ変わったようだねえ」
「なるほど……そう、でしたか」
自らがそのアンシャーヌ家の出であることは御者には伝えていない。
セリアはそれ以降考え込むように口をつぐんでしまい、アンシャーヌ家の屋敷の門の前に着くまで二人はしばらく無言のままであった。
馬車を降りるなり、芳醇な薔薇の香りが鼻腔をくすぐった。
門をくぐればまず出迎える薔薇の庭園。華々しい庭の小道を歩いていくと、やがて前方に立派な白の屋敷が見えてくる。二階建てで土地を惜しむことなく使った横長の形の屋敷である。窓の数だけで二十はあるだろうか。一体何部屋あってどれだけの人が住んでいるのだろう。木造のほったて小屋で生まれ育ったラカンからしたら貴族の生活なんてまるで見当もつかない。
しかし屋敷の目の前まで来て、ラカンはいささか遠目で見た時とのギャップがあることに気づいた。くすんだままになっている壁、門や窓に使われている金具は古く、一部壊れているものもある。やたらと広いわりにあまりひと気がなく、しんと静かで閑静というよりやや不気味さを覚える雰囲気。ひょっとするとまだ死霊術師ネクロ・リソマの居城の方が賑やかだったかもしれない。いや、妻の実家に当てはめるべき表現でないのは分かってはいるのだが。
セリアが扉に取り付けられた獅子の顔の
するとしばらくして、執事らしき白髪の老紳士が扉を開けてくれた。
「お帰りなさいませ、セリアお嬢さま」
彼は恭しく頭を下げる。見惚れてしまいそうなほど洗練された所作である。
「久しぶりですね、じいや」
「はて、そうでしたかの。この老いぼれには以前お嬢さまにお会いしたのがつい昨日のことのようでして」
とぼける執事に、セリアはくすりと少しだけ笑みをこぼした。
「お父さまとお母さまは?」
「先ほど急な来客がありまして、少し時間がかかるようです。客間にておももてなしの品をご用意してありますので、そちらでしばしお待ちくだされ」
そう言って二人は執事の案内で一階の玄関入ってすぐにある客間に通された。そこには豪奢な調度品が揃っており、薔薇の刺繍が施された柔らかなソファにラカンは腰掛ける。座り心地は良いが、これもまたほのかに湿ったかびの臭いがした。
テーブルには焼き菓子と淹れられたばかりのローズティー。
長いこと馬車に乗って腹が減ったラカンは遠慮なくいただこうとするものの、セリアが全く手を伸ばさないのを見て自らの手を止めた。
「……食べないの?」
「あまり食欲がないので」
「昨日一緒に夕飯食べた時は、赤ちゃんがいるせいか普段の二倍くらい食欲があるって話してたじゃないか」
ぐう。セリアの代わりに彼女の腹から返答が聞こえる。
彼女は恥ずかしそうにお腹を押さえて俯いた。
また沈黙。この屋敷がまとう辛気臭さもあいまって、ラカンはだんだんむず痒さをこらえられなくなってきた。
一応、結婚と妊娠の報告という晴れの場のはずだというのに、なんなんだこの空気は。
「なあセリア、やっぱり様子がおかしいよ。調子が悪いなら、ご両親に言って日を改めてもらってもいいんじゃない?」
すると彼女はばっと顔をあげ、「それはできませんっ!」とやや声を荒げて言った。
「日を改めるなど……延期するなど……私の精神がもちそうにありません。できることなら早く済ませてしまいたいのです」
「精神がもたない……? それって、どういう……?」
ラカンが尋ねると、セリアは観念したように胸に溜め込んだ息を長くゆっくりと吐き出した。
「私は、両親に疎まれているのです。特に、母には強く」
……その理由は、セリアが女だったから。
彼女の告白にラカンは愕然とした。
生まれてくる子の性別なんて誰かが決められるものではない。
巷には「〇〇すると男が生まれやすい」だの様々な迷信はあるが、どれも根拠はないとされている。
だから、セリアの性別がどうであろうと誰かに非のある話ではない。
「されど、貴族の家には重要なことなのです」
彼女は客間の壁に並べられた肖像画を見やる。
歴代アンシャーヌ家の当主なのだろう。みなその時代の流行りの髪型をしていて、穏やかにこちらに微笑みかけてくる。よく見ると全員男性だ。
「アンシャーヌ家は大昔、武勲によって貴族となった家でして、その名残で当主は男性が継ぐという伝統があるのです。だから、母はどうしても男の子が欲しかった。でも、三人産んでもみんな女で……おまけに、私の時に難産だったせいで二度と子どもを望めない身体になってしまったのです」
「待ってくれよ。そんなのセリアのせいじゃ――」
セリアは「ありがとうございます」と自嘲気味に微笑む。
「けれど母はそうは思わなかったようです。私は母によく叱られました。外遊びをしたら『はしたない』と言われ、言葉遣いを一言一句注意され……。お気に入りの勇者の人形で遊んでいたら、無理やり奪われてお姫様の人形と交換されてしまったこともありました。明らかに他の姉たちよりも当たりが強かった記憶があります。そして五歳のとき」
彼女は膝の上で修道服をぎゅっと握る。
「珍しく母が一緒にお出かけしようと誘ってくれました。私は喜びました。かねてより行きたいとねだっていた、牧場へ連れて行ってくれるのかと思っていました。けれど……着いたのは聖スピカ教会の修道院だったのです」
そうしてセリアは修道院に預けられることとなった。
別れ際の母の顔は覚えていない。帰りたいと泣き喚くセリアから目を逸らし、あまりこちらを見てくれなかったから。
修道院の人々はセリアを温かく出迎えてくれた。その時の彼女はすでに回復魔法の才能を発揮していたし、後から知ったことだが、セリアを預けるにあたりアンシャーヌ家から聖スピカ教会へ多額の寄付があったそうだ。
だが、それ以上に母から見放されたという記憶は傷となって幼い少女の心に深く刻まれることとなった。
セリアのように貴族の家からやってきた修道女たちは休暇期間になると実家に戻る者が多かったが、セリアは一度も帰らなかった。最初の一年、二年は実家から「帰っておいで」という手紙が来ることを期待したものだが、やがて期待するだけ虚しいということを知った。
しばらくして、彼女は誰よりも熱心に聖女の修行に取り組むようになったという。先輩聖女からの助言がきっかけだった。何かに一生懸命になれば、辛い記憶に苛まれる時間が減る、と。
そして史上最年少で修行を終えて一人前の聖女になった時、彼女はふと実家へ帰ろうという気になった。自分でもなぜだか分からないが、両親にこのことを報告しなければならぬと、急に思い立ったのである。
きっと、ただ褒めてもらいたかっただけなのだ。
久々に両親と対面したセリアはようやく自身の思いを悟る。
なぜなら彼らは、セリアが欲しかった言葉をひとつたりともくれはしなかったから。
――聖女になると各地へ巡礼に赴くのだろう?
――くれぐれも「アンシャーヌ家」を名乗るんじゃないぞ。
――妙齢の娘が社交界にも出ず信仰に染まっていると知れたら、末代までの恥だ。
――ああ腹立たしい。こういう事態を避けるために、セリアには修行を厳しくするよう金を握らせておいたのに。
話の途中、ラカンは居てもたってもいられず、セリアの横に座って彼女の肩をそっと抱いた。
「……辛かったね、セリア」
彼女はふるふると首を横に振った。
できるだけ表情を変えぬよう努めているように見えたが、少しでも気持ちが揺らげばすぐに涙がこぼれてしまいそうなくらい瞳が潤んでいる。
「両親に会う前にこんな話をしてごめんなさい。でも、ラカンも覚悟しておいてください。あの人たちにとっては貴族の誇りを守ることが第一なのです。もしかしたらあなたにも酷いことを言うかも……」
「オレは大丈夫。何言われたってなんとかしてみせるさ。だからセリアも心配するな。……もう一人じゃない。オレも、この子もついている」
ラカンがセリアの腹を撫でると、呼応するように小さく「ぽこ」と反応が返ってきた。胎動だ。数日前から少しずつ中の子どもが動いているのが分かるようになってきた。
「……ふふ。なんと心強いのでしょう」
その後、老執事が呼びにきて二人はセリアの両親が待つ食堂へと案内されることになった。
思いを吐き出し、ラカンに励まされたセリアは少し肩の荷が降りたかに見えたが、両親との対面で再びその精神を大きく揺さぶられることになる。
なぜなら彼らは開口一番、こう言ったのだ。
「でかしたぞ、セリア」と。
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