第9話 勇者、母に叱られる。



 勇者ラカンにはどう戦っても勝てない相手が一人いる。

 それは……実の母親マーレであった。


「っとに、あっきれたがよ! 籍も入れてねえお相手を妊娠させたあげく、そん人が苦しんどる時にそばにいてやらんとは!」

「マ、マーレさん、落ち着いてください。今日のことは私が黙っていただけで、ラカンは何も悪くないので……」


 ラカンはヒリヒリと痛む頬をさすりながら、頭の中で状況を整理する。

 どういうわけか辺境の村で暮らしているはずの母が突然上京してきて、どういうわけかセリアと共に『赤錆び亭』に現れ、どういうわけか顔を合わせるなりビンタを二発かましてきた。

 弱い魔族の攻撃ならばノーダメージで見切れるくらいの反射神経を持つラカンだが、母の攻撃をかわせたことは人生で一度もない。息子の気の緩みを的確に突いてくるのか、あるいは殺気ではなく愛情をまとった攻撃だから察知できないのか、とかく「母は強し」である。

 だが、さりとてラカンも良い大人、やられっぱなしで黙っているわけではない。


「来るなら事前に連絡せえよ! 実家ん時も言っとっただろ、部屋に入る前はノックせえって!」

「事前に言うったって、手紙が届くのに一ヶ月かかる言われちゃ待っとれんだろが! ほんだら自分の足で来た方が早え!」

「にしても無謀すぎるわ! せめて魔導話器でんわの一本くらい――」

「してられっか! 息子の一大事に、そんなちんたら考えとる余裕なんかあるわきゃねえだろに!」


 バン、と母が両手で机を叩く。

 土作業の名残が残ったままのむくんだ手。化粧一つしていない日に焼けた肌。とりあえず後ろで束ねただけの白髪混じりの髪。五年くらい買い替えていない、やや時代遅れの他所行きの服。


〈母さんな、いつかお金貯めてな、ラカンと一緒に王都に旅行に行きたい思っとるんよ。そんときゃとびきりおめかしして行こな! どっかの貴族の親子か思われるくらいに!〉


 ふと、幼い頃に母が語ってくれた夢が蘇る。

 目の前の母は、貴族にはどう転んでも見間違えられないであろうありのままの姿。

 一ヶ月前にラカンが送った、子ができたことを報告する手紙を読んでそのまま飛び出してきたに違いない。


「……ごめん、母さん」


 ラカンは萎れた一輪花のように俯いた。

 その項垂うなだれた頭を、たくましい両腕が包み込む。

 ふっと香る土の匂いは、懐かしい故郷の風の匂いだった。


「バカ息子。謝る相手が違うわ」


 母はそう言ってラカンの背中をドンと叩く。それからラカンに並び立ち、部屋の入り口でこれまでのやりとりを呆然と見つめていたセリアと向き合う形となった。

 彼女はわっしとラカンの後頭部を掴むと、床に向かって深々下げる。


「こんたびは息子が迷惑おかけして本ッッッ当に申し訳ねえ。責任はきーっちり取らせっから、なんでも望むこと言うとくれ。金だけはあんまり余裕はねんだけど、赤ちゃんとセリアさんが不自由せんくらいにはなんとかすっから……!」

「あ、頭をお上げください、マーレさん」


 床にひれ伏す親子に、セリアはあわあわと歩み寄って膝をつく。


「迷惑だなんて、一度も思ったことはありません。いろいろと急ではありましたけど、ラカンさんはいつも私の意思を確認してくれましたし、私も間違いを犯したつもりはありません。責任と言うならば私も背負うべきでしょう。だからどうか、ラカンさんを責めないであげてください」


 マーレはおそるおそる顔を上げる。

 そして、セリアを見つめ、眩しそうに目を細めた。


「ああ、なんてええ子だろか……! まるで聖女さまだわ」

「まるでっていうか、本物の聖女だよ。手紙でも書いただろ」


 ラカンの言葉にマーレはぱちくりと瞬きをする。


「本物ってあんた、聖女さまは勇者さまと一緒に魔王倒しに行っとるが」

「だから、オレがその勇者だってば」


 それも勇者の剣を抜いた後くらいに手紙で報告したはずだったが。

 マーレは目を丸くして、一言、


「あれ、本当だったん?」


 と呟いた。どうやら今の今まで嘘だと思われていたらしい。





 母曰く、ラカンの父はたいへん見栄っ張りな男であったという。

 畑が不作の時も「今年はあえて土地を休ませたのだ」と強がりを言い、組合の会合で夜遅くに帰ってきた時も単に酔い潰れていただけなのに「みんなに引き留められてしまって」とさぞ人望があるふりをする。

 彼はおそらく、狭い辺境の村のいち村人である自分が嫌いだったのだ。

 だから、先王が東部領域奪還作戦のための志願兵を募った時、いち早く手を挙げた。畑を荒らすイノシシとの戦闘経験しかないくせに、武功をあげて報奨金をもらうのだと息巻いて、まだ息子が生まれたばかりだというのに急ぎ足で戦場へ向かっていった。

 その後しばらくして、彼から手紙が届いた。敵の大将の懐まで攻め入り、すんでのところで討ち漏らしてしまったが、その勇気を讃えられてモルダーン王国軍正式登用のスカウトをもらったとあった。

 だがその数日後にまた別の手紙が届く。戦地とはほど遠い宿場町からであった。

 そこには本人の筆跡ではない字でこう書かれていた。

 長期滞在していたあなたの夫が、宿代をツケたまま土砂崩れに巻き込まれて亡くなった。宿代の支払いは大目に見るので遺体を回収しにきて欲しい――と。


 そういうことがあって、ラカンを王都へ行かせる時に薄々嫌な予感はしていた。

 一度華やかな王都を目にしてしまえば、村に戻る気がなくなってしまうかもしれないと。

 だからラカンが勇者になったという手紙を送ってきた時、「やっぱり」とさほど驚きはしなかった。きっと村に帰りたくないがための方便だろう。にしてももう少しまともな嘘をつけばいいのに。

 しかしそれを見逃してやるのが母としての寛大さであろうとマーレは思った。

 心配ではあるが、「かわいい子には旅をさせよ」という言葉もある。

 だからせめて、父親の二の舞にはならないよう身体には気をつけること、悪い人たちには近づかないこと、そして定期的に手紙をよこすことだけ伝える返事を送った。

 しばらくしたら王都での生活に疲れて田舎に帰ってくるだろう。

 競争の激しい都会こそ何者かになるのが難しいと聞く。

 「勇者」なんて夢物語に憧れている子が、そう簡単に何かを得られる場所ではない。

 マーレはつい最近までそうのんびり構えていたのである。


「いや、まさか本当だったとはなあ……。風の噂で勇者さまの活躍は聞けど、自分の息子のこととはこれっぽっちも思わんかったよ」


 部屋の隅に立てかけてある輝かしい勇者の剣をちらりと見やり、感嘆混じりのため息を漏らす。


「でも、なんでラカンかね? あたしもお父さんも先祖代々村の人間で、特別な血なんか一滴も流れちゃいねえけども」

「血は関係ないらしいんだよ。大昔の勇者様の魔力の型とオレの魔力の型がたまたま一緒だってだけで、偶然としか説明できないって魔法工学院の偉い人が言ってた」


 キャリィとも似たような話をしたことがある。

 勇者の剣は古代に作られた魔工具のプロトタイプのようなもの。まだ「魔工具」という概念すら生まれていない時代の遺物であるが、魔工技術の不足分を補うようにして現代では解明不能な「まじない」をかけられているという。使用者を特定の魔力の型を持つ者のみに限ることで、代わりに莫大な力を得るという「まじない」だ。

 同型の魔力の型を見つけるという作業は、自分と全く同じ顔貌かおかたちの人物を見つける作業に等しい。親子の顔が似ていても全く一緒ということはありえないように、遺伝で多少似通うことはあっても、完全一致することはない。

 キャリィはいずれこの「まじない」部分のトリックを解き明かし、勇者の剣に似た汎用型の魔工武器を作るのが夢だと語っていた。そのために旅の道中、ラカンは何度も彼女の研究に協力している。魔力計測に採血、食事の分析に寝相の観察まで……。


「あたしにゃ難しいことはよくわからねえけど、自分が思うより息子がえらい頑張っとったっちゅうのは、なんだか誇らしいわ」


 母にそう言われ、鼻高々になりかけるが、


「けんど、その大事なお役目の途中で何しとると?」


 と改めて睨まれ、しゅんと縮こまるラカンである。

 それを言われては何も言い返せない。


 マーレは呆れたというようにわざとらしく肩をすくめると、バックパックに刺さっていた立派な大根を一本引き抜きセリアに差し出した。


「セリアさん、お近づきの印に。うちの畑で獲れた、いっちばん立派なの持ってきたから。よく煮ると甘みが出るでねえ」

「まあ、ありがとうございます」

「そっから、臨月になる頃には遠慮なく呼び寄せとくれ。家事でもなんでも手伝っから」

「え? でも、そこまでしていただくには……」

「お産と育児、舐めちゃあいかん」


 マーレは眉間に皺を寄せてセリアにずいと迫る。


「お産で女の身体はひどく弱る。とこ上げって言葉があるくらいにな、ひと月は横になりっぱなしで回復に専念するつもりでないといかんのよ。そうは言っても、生まれたばかりの赤ちゃんは数時間おきに目ぇ覚ましてお乳を飲みたがるもんだから、その世話だけでもゆっくり寝てられんがね」


 ラカンはナイジェルのことを思い出す。

 子どもがやっと眠ったと思っても休む暇などなく、その間に次のミルクを準備したり保活の書類を整理したりと忙しそうであった。あれでも月齢三ヶ月で、最初の頃よりよく寝るようになった方だという。


「まあ、今どき都会じゃ男も育休取る人が増えとるって聞いたが……ラカン、あんたは育休取るんかいね?」

「えっと、それは……」


 またこの話だ。

 いや、母にとっては初めて尋ねる話ではあるものの、これから子どもが生まれる話をするたびに聞かれなきゃいけないのだろうか。そう思うと少し気が重くなる。

 そんなラカンの心中察してか、セリアが先に口を開いた。


「いいんです、マーレさん。ラカンさんにはラカンさんにしかできないことがあります。だから赤ちゃんについては私に任せて欲しいと、二人で話し合って決めました」

「セリア……」


 セリアの方を見ると、彼女は優しく微笑み返してくれた。

 そう、ちゃんと二人で決めたことじゃないか。

 どうして聞かれるたびに気まずい思いをするのだろうか。


 ラカンはその理由にまだ気づいていなかった。

 だが本人よりも先に、母はすでに見抜いていた。


「夫と父親だって、あんたにしかできないことだろ、ラカン」


 ぐさりと刺さる言葉。

 知っていた。

 父親がいない寂しさは誰よりも知っていたはずなのに、気づかないふりをしていた。

 それに気づいてしまったら、家族と使命しごとを天秤にかけた選択をしなければいけなくなるから。


 なぜ、のだろう。


 女性と同じく、身体に変化が生じて強制的に休まざるを得なくなる状況であればまだ悩まなくて済むのに。

 女性は女性で休まなければいけない辛さがあるのは分かっている。

 分かってはいるが……。


 選ぶ自由があることは確かに幸せなことである。

 だが、自由は必ずしも楽と同義ではない。

 自由だからこそ、選択に責任と苦労、時に痛みが伴うこともある。


 ラカンは母の言葉に何も返すことができなかった。

 神妙な顔で黙り込む息子にさすがに申し訳なくなったのか、マーレは「夫婦のことに口だして悪かったよ」と謝ると、また来るわと言って自らの滞在先の宿へ向かっていった。


 いつの間にか外は日が暮れ、『赤錆び亭』の開店時間になったのか下の階が賑わいだす。夜が更けるとそのうち酔っ払いが暴れ出すこともある店だ。ラカンはハッとして立ち上がった。


「ごめんセリア、急に母さんが押しかけてきて今日は疲れただろ。教会寮まで送るよ」

「ありがとうございます。でも、疲れてなんていませんよ」


 夜風に当たらぬようショールをセリアの肩にかけてやると、彼女はくすりと笑って言った。


「とっても素敵なお母様でした。ラカンが愛されて育ってきたことがよく分かります」

「そう? そんな風に言ってもらえるとなんか嬉しいな」


 少しお節介なところが鬱陶しく感じる時もあるが、女手一つでここまで育ててくれたことには感謝している。今日は微妙な空気で別れてしまったが、また機を改めてゆっくり話したいものだ。


 『赤錆び亭』を出て、魔導灯に照らされる夜道を二人で歩きながら、ラカンはふと立ち止まる。


「というかオレ、今すごく大事なことに気づいちゃったんだけど……」

「なんでしょう?」


 セリアも立ち止まり、首を傾げた。


 これもまた、気づいたからには無視できない。

 そして遅ければ遅いほど手遅れになる。

 一体どうして今の今まで気づかなかったのか。

 色々と急だったとはいえ、もう少し早く気づいても良かったはずなのに。


 ラカンは顔じゅうからだらだらと冷や汗を垂らしながら、セリアに尋ねる。


「セリアのご両親への挨拶、まだだったよね……?」


 すると彼女はやや困ったようにハの字に眉を曲げて、「気づいちゃいましたか」と肩をすくめる。

 それはどこか真面目な彼女らしからぬ反応。

 もしかして、気づいていて言わずにいたのだろうか。

 例えるならばそう、隠しごとがバレてしまった時の少女のような反応であった。


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