第6話 勇者、保育園に潜入する。

 保育園見学会当日。


 その場に行ってみて、応募条件に「子どもがいてもおかしくない年齢の成人」と指定されていた理由がよく分かった。


 見学会というのは、基本的に「次の春から子どもを保育園に入園させたい親」が参加するものである。


 ゆえに女性の場合、これから子どもが生まれる妊娠中の女性か、すでに子どもを出産した子連れの女性の参加者であることが大半だった。

 まれにお腹も大きくなく、子どもも連れていない女性もいたが、そういう人はたいてい周囲の人に「冬生まれですか?」「今日お子さんはどうされたんですか?」「旦那さんが一人で面倒見てくれるなんて良いですね」と話しかけられる。別にただの世間話の感覚で深い意味はないのだろうが、あまりこういう場に慣れていないラカンからするとちょっとした違和感はあった。言葉の裏に「乳児の母親は子どもと常にセットであるべき」という暗黙のルールのようなものを感じるからだ。


 対して、男性の場合。話しかけられない。以上。

 こちらが説明しなくても、「妊娠中もしくは育児に追われる奥さんの代わりに来ているんだな」と勝手に察してくれる。「あまり話しかけられたくないかもしれない」と頼んでもいないのに気を遣ってくれる。他にも男性参加者はちらほらいたが、目が合っても無言で会釈するだけで、女性陣のようにすぐさま会話が始まるなんてことはない。

 話好きなラカンからするとやや寂しくはあるが、下手に口を開いてボロを出しては困る覆面警護という立場上、この状況はかなり気楽であった。


 ラカンが今いるのは保育園の敷地内にあるホールである。だいたい家族三十組くらいが集まってきて、本来園児たちの集会のために作られている室内はやや手狭かつ混沌としてきた。

 さまざまな種族、さまざまな年齢の子どもたちが自由気ままに泣いたり走り回ったりしており、親たちは彼らをなだめようと必死である。

 まもなく園についての最初の説明が始まる時間だが、到底それまでに静まることはなさそうな気配だ。

 ほとんどの親たちはすでに子どもの対応で両手の自由と神経を持っていかれているが、果たしてこんな状況で説明など聞けるのだろうか。メモを取るなどもってのほかだ。

 ラカンは昨日セリアに対して「気が早い」と思ったことを少し申し訳なく思った。ただの説明会も、子どもと一緒というだけでこんなにも難易度が上がる。


「いだだだだだだッ!」


 ラカンの席の真後ろから響く、男の悲鳴。

 まずい、油断した。

 カオスな状況にラカンもまた注意力を削がれていたのである。

 本来の仕事は、種族間の争いが起きないよう見張ることだったというのに。


 ラカンはすぐさま振り返る。


「大丈夫ですか――って、え!?」


 三歳くらいの、今日この場に来ている中ではわりと身体の大きな女の子が、父親の両耳を背後から引っ張っている。人の耳ではなく、水かきのような形の大きな耳だ。親子ともに肌はやや青白く、手の甲は硬そうな緑の鱗に覆われている。

 魔族? いやそれよりも……


「パパ、ゆうしゃごっこやって! やってよ! ねー、ねーってばっ」


 父親は「いだいいだいいだいっ」と叫んでいるも、女の子はそれが面白いのかけらけらと笑って手を離そうとしない。抵抗しようにも、彼の腕の中にはまだ首が据わったか据わってないかくらいのふやふやの赤ん坊がいた。その子も父親の叫び声でうたた寝から目が覚めたらしく、不機嫌そうに眉間に皺を寄せており、今にも泣き出す一秒前。


 地獄絵図。


 ラカンはとっさにこの父親を助けてやりたい衝動に駆られた。

 といっても、まだ子育てをしたことのない自分にできることは限られているが、それでも。


 すっと立ち上がり、並べてある椅子の上に片足を掛ける。

 それから丸めて棒状にした説明会の資料を腰の鞘から抜くような仕草で、ラカンは声を張り上げた。


「勇者参上! この伝説のつるぎが目に入らぬか!」


 天井に向かって高く掲げる即席の剣(紙製)。

 先ほどまでの喧騒が嘘のように静まる室内。

 そればかりか他の親子たちからも何事かという視線を一気に浴び、ラカンは顔がかーっと熱を帯びるのを感じた。

 真向かいの三対の金色の瞳がぽかんとラカンを見つめてくる。よく見るとさすが親子、やや垂れがちな目の形がそっくりであった。


 やりすぎたか? それか、滑った?

 何が子どもにウケるのか知らないラカンには、この場にいる人々が何を思ってこちらを見ているのか予想もつかない。


 そんな中、沈黙を破ったのは父親の腕の中の赤ちゃんであった。

 泣き顔から一変、きゃっきゃと笑ったかと思うと、「けぽ」と小さく愛らしいしゃっくりをひとつ。


(か、かわっ……!)


 規則的に何度も繰り返すその可愛らしい音に、周囲の大人たちの表情がみなふにゃふにゃに溶けていく。

 ラカンも自身の中にある庇護欲メーターがあっという間に天井突破するのを感じた。

 人生でしゃっくりに萌える瞬間が来るとは思ってもみなかった。

 後から知ったことだが、生まれたばかりの赤ちゃんは横隔膜が弱く、笑っただけでも刺激になってしゃっくりが出てしまうらしい。


 一方の女の子。彼女の小さな手はいつの間にか父親の耳ではなく、ラカンのシャツの裾を引っ張っていた。彼女はおそるおそるラカンを見上げ、小首を傾げる。何か言いたそうなので姿勢を低くしてやると、彼女はそっとラカンの耳に囁いた。


「おじちゃん、もしかしてほんとーのゆうしゃさん?」


 ぎくり。

 というかまだおじちゃんと言われる歳ではないので軽くショックである。


「ど、どうしてそう思ったのかな?」

「だって! えほんのゆうしゃさんみたいに、んだもん!」


 絵本の勇者。おそらくベストセラー『ゆうしゃのでんせつ』である。

 大昔に実在したとされる先代の勇者をモデルにした物語で、ラカンも子どもの頃に読んで憧れたものだ。まさか魔族の間にも流通しているとは思わなかったが。

 女の子はきらきらとした眼差しでラカンを見つめてくる。

 覆面警護、という言葉が頭をよぎったが、小さな星が瞬く素直な瞳に嘘はつけない。


「うん、本物だよ。でも、他の人には内緒にしてね」


 しー、っと口元に指を当てると、彼女はニッと微笑みラカンの真似で「シーッ」と返してきた。


 天使かな?

 ……いや、魔族だった。




 その後、入園説明会は何事もなく無事に終わった。


 子連れ親子への配慮だろう、説明は必要最低限でほとんどの時間は親からの質問に当てられ、その後はざっと園内を見て回るだけだった。

 保育園の事情をよく知らないラカンは良い雰囲気の場所だな〜とぼんやりとした感想を抱いただけであったが、園のスタッフがいない場所では参加者の女性陣が「交通の便がいい場所ではあるけど、今どき布おむつは……」とか「行事参加の量、どう思います?」「私が見に行った他の園より少ないけど、平日ってのはねえ」「ママ友の話だと年に数回保護者が強制ボランティアで……」などなどすかさず情報交換をしていて戦慄した。なるほど、そういうことを確認しなければいけない場だったのか。


 何はともあれ報酬はもらえたし(なんなら魔王討伐を終えたら保育士にならないかとスカウトまでされた)、保育園がどういうものなのかは多少知ることのできた一日だった。

 教会寮に立ち寄ってセリアに報告しよう……と、保育園から立ち去ろうとしたその時。誰かから「あの」と声をかけられ、ラカンは後ろを振り返る。


「いやあ、さっきはどうもありがとうございました」


 先ほどの魔族の親子である。赤ちゃんは抱っこ紐、女の子はかろうじて手を繋いでいるが疲れたのか立ちながらうとうとしていて今にも寝そうな雰囲気だ。

 父親は空いた片手で頬をかき、照れ臭そうに言った。


「もしお時間あれば、ちょっとお茶しませんか? 先ほどのお礼がしたくて」

「そんな、気にしないでください。大したことはしてませんから」


 女の子に本物の勇者と打ち明けてしまった手前、あまりこのお父さんと長く一緒にいたくないのが本音だった。

 彼がこれまで戦ってきたような敵対的な魔族でないことは分かっている。魔族が王都に立ち入るには事前に書面での申請が必要な上、魔力を無効化するための腕輪をしなければならないルールがある。彼はちゃんとルールに従っているようだし、何より二人の子の面倒を見るのに精一杯で人間に害をなす余裕があるようには見えない。

 だが、それでも万が一勇者がここにいると魔王に密告されてしまったら……。


 そんなラカンの心中を察してかはわからないが、父親はハッとした様子で言った。


「じゃあせめてこの場で。換金したらそれなりの額がつくと思うので」


 そう言って彼は自らの耳のあたりを探る。しかし、そこには何もない。


「あ、あれ? ない? おかしいな、昨日まではあったはずなんだけど……。ははは、すみません。最近子どもがアクセサリとかポケットの中のものとか勝手に引っ張り出すから、知らない間になくなってるものが多くて……」


 がっくりと肩を落とす彼の横で、女の子が大きなあくびをした。


「パパぁ〜……抱っこぉ……」

「ええ、ここで!? すぐ宿に着くからそこまで待ってよ」

「やだやだやだ! 抱っこ、抱っこぉ!!」


 眠気からの苛立ちか、彼女は駄々をこね始める。しかし彼の胸元にはすでに抱っこ紐で抱かれた下の子がいる。いくらまだ幼児とはいえ、二人同時に抱っこして移動するのは至難の業に違いない。


「えっと、オレで良ければ宿まで抱っこしましょうか?」

「い、いいんですか!? いや、でもそこまでやってもらうわけには……」

「じゃあ依頼クエストの形でどうですか? オレもちょうど、小銭が稼げる仕事を探してるとこだったんで」

「そうなんですか。じゃあ、お言葉に甘えて……」


 彼はぺこぺこと申し訳なさそうに頭を下げると、女の子をラカンに引き渡す。

 眠さの限界だったのか、女の子はすんなりラカンにしがみつくと、そのまますうすうと寝息を立て始めた。


「いやあほんと、あなたは僕らにとって救世主です」

「そんな大げさな」

「いやいや、大げさなんかじゃ! 今の時代の勇者ってのも、もしかしたらあなたみたいな人なのかなあ」

「ハハハ……どうですかね……?」


 どうか、どうかバレませんように。

 ラカンは苦笑いしながら彼の宿まで着いて行くのであった。


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