第5話 勇者、おつかいをする。


 ***



 その頃、魔王城――


 魔王ジュードは昼になっても寝室から出てこなかった。

 病気とかではない。

 単に惰眠を貪っているだけである。


「ちょちょ、魔王さま、魔王さま! お寝坊ですって!」


 無遠慮に寝室のドアが開け放たれ、男児ほどの背丈の小悪魔・シオンが布団にくるまった魔王の身体を揺さぶった。魔王はむにゃむにゃと目をこするだけで、全くまぶたを開こうとする意思を見せない。


「もうっ、早く起きてくださいよ! いつ勇者が攻めてきたっておかしくない状況なんですよ!?」

「んー……」

「んー、じゃないっ!」

「うるさいなぁ……。だってそれ言ってもう四ヶ月じゃん。いい加減待つのも飽きたし……」


 ジュードはシオンに背を向けるようにごろんと寝返りを打つ。


「ぬぬぬぬぬぬ……っ!」


 いい歳してぐうたらな上司。

 猫のように丸まった背中に闇魔法を放ちたくなるのをシオンは必死でこらえた。

 この男にはそれよりも良く効く方法がある。


「いよっ! 魔界一の色男!」


 ジュードの尖った耳がぴくりと動く。

 シオンはすかさずうちわを二枚取り出した。

 手作りのそのうちわには、ハートのシールのデコレーションと共に「こっち見て」「ジュード様しか勝たん」とでかでかと書かれている。


「魔王軍が誇る四人の幹部が勇者に敗れた今、か弱い魔族たちが頼れるのは魔王さまだけですからっ! ねっ! 早く起きないと! そのご尊顔を半日布団が独占していたなんて知れたら、あなたのファンがみんな布団になりたがってしまいますよっ!」


 するとジュードはおもむろに上体を起こし、顔にかかっていたサラサラの長い黒髪をかき上げた。先ほどまでの怠惰な子どものような態度はどこへやら、冷たさすら感じるキリリとした表情でベッドのそばにいるシオンを見下す。彫刻のように整った顔の輪郭に色白な肌。長いまつ毛の向こうに見える血のように赤い瞳。バスローブのはだけた胸元は無駄にセクシーで、同性のシオンであっても思わずぞくっとしてしまう。


「……で? 勇者の足取りは掴めたのか」


 突然入る魔王スイッチ。

 シオンは「しめた」と口角を吊り上げた。

 側近の間でしか知られていないが、この男、わりとちょろいのである。


「偵察隊に探らせたところ、どうも元来た道を引き返しているようで。現在はモルダーン王都内にいるとの情報を得ました」

「モルダーン王都? なぜだ……。数ヶ月前までは我が城のすぐそばまで来ていたはずだが」


 シオンはこくこくと頷く。

 ジュードはしばらく腕を組んで考え込んでいたが、急にハッとした表情になった。


「シオン。確かドラゴフィールド卿がモルダーン王都へ向かうと言っていたよな……?」

「はっ。戦闘とは別の用であったと記憶しておりますが」


 竜騎士ドラゴフィールド卿。彼は魔王軍幹部の一人。

 今は訳あって前線を退いているが、まもなく復帰する予定であった。

 ジュードはギリと奥歯を噛み締める。


「まさか、勘づかれたか……!? 魔王軍幹部がもう一人いることに……!」


 この状況でドラゴフィールド卿まで失っては、いよいよ魔王軍の戦力は壊滅的となる。


「シオン! 急ぎ側近たちを集めよ! 緊急会議だ」

「はっ、ただちに……と言いたいところですが、魔王さまがなかなか起きていらっしゃらないので、側近たちは姫君と領内のお散歩に」

「む……では彼らが戻ってからだな」

「ちなみに、姫君はおやつにいちごプリンをご所望でしたので、食料庫に入っていたものをお出ししました」

「それ! 私が大事にとっておいたやつ!!」


 姫君とは城内で捕らえているモルダーン王国の姫のことである。

 名目上「人質」ではあるが、彼女は魔王との「とある契約」のためにここにいるので扱いは客人のそれだ。

 そして彼女は思いのほかやり手だった。

 魔王の側近たちを上手いこと懐柔し、衣食住をどんどん理想のものに変更させているし、先日は彼らを伴って客室外を出歩く許可を得るために直談判してきた。

 以前は「魔王さま魔王さま」と慕ってきた者たちが、ここのところはことあるごとに「姫君姫君」と口にする。はなはだ気に食わない。この城の主はこの私だというのに。


(勇者のやつ……さっさと姫を迎えに来ないかな……)


 魔王ジュードは窓の外で優雅にお散歩している姫たちの姿を見つめ、人知れず深いため息を吐くのであった。




 ***




 勇者ラカンは暇を持て余していた。

 聖スピカ教会にセリアの妊娠を報告して早ひと月。未だに代わりの聖女は見つからない。

 というのも、そもそも魔王討伐なんて危険のある仕事を引き受けられる勇気と実力を備えた人材がそう簡単に見つからないのと、力のある聖女ほど僻地巡礼に行っていることが多く、連絡を取ったり呼び戻したりするのに時間がかかるからだ。


「はい、おばあちゃん。頼まれてた薬草をとってきたよ」

「おおありがとう。助かるねえ」


 そういうわけで、王都に滞在しながら住民たちからの依頼クエストをこなして日銭を稼ぐ日々を過ごしている。


 緊急性・重要度の高いクエストは魔王討伐に出る前にほとんど済ませてしまったので、残っているのはこういった雑用おつかいのような依頼ばかりであるが、そろそろ宿代で底をつきそうな懐事情、少しでも金を稼げるのはありがたい。

 子が生まれたらセリアは今住んでいる教会の寮を出なければならないので、いい加減新居をどうするかも決めなければ。

 元は魔王討伐の報奨金で王都の一等地に家を買おうと目論んでいたが、この状況ではその収入はしばらく先になりそうである。

 王都の土地代は異様に高い。クエストで稼げる程度の金ではとても買えない金額だ。

 中心地から離れるとともに安くなっていくが、セリアは貴族の家柄の出らしいので貧相な家に住まわせるのはやや忍びない。

 そんなことを悶々と考えていると、いつの間にか茶菓子を出してくれていた依頼人の老婆が「そういえば聞きましたかえ?」と話しかけてきた。


「兵士さんたちが騒いどったんだけども、魔王軍の幹部のねえ、紋章が入った耳飾りピアスが王都内で見つかったんだそうじゃ」

「魔王軍の幹部の……!?」


 魔王軍の四人の幹部は、それぞれ決まった紋章を持っていた。たとえば最後に戦った死霊術師ネクロ・リソマは分かりやすく髑髏の紋章で、居城のあちこちで見かけたのを覚えている。


「それ、どんな紋章が知ってますか?」

「さあねえ、わしが直接見たわけじゃないからねえ。兵士さんたちはその魔族の名前を、なんじゃっけ、もう何年か前から音沙汰がないっていうあの……」

「あの?」

「どら……どら……」


 老婆は必死に思い出そうとしている。


「どら……ああそうじゃ!」

「おお!?」

「どら焼きみたいな名前の魔族じゃと、言っておった!」


 なんだかとても弱そうである。


「情報ありがとう、おばあさん。詳しくは兵士たちに聞いてみるよ」

「ああそれがええ、それがええ。いやはや、勇者様が王都にいらっしゃれば何があっても安心じゃな」


 ラカンは茶菓子の礼を言って、老婆の家を後にした。

 改めて彼女の話を思い返してみるも、「どら」がつく魔王軍幹部に心当たりはない。そもそも四人ともラカンがこの手で倒しているのである。その彼らが突然王都に攻め込んでくるとは考えにくい。


(まあきっと見間違えただけだろう。耳飾りなんて色んな種類のものが売ってるしな)


 以前、キャリィが蚊の形をした耳飾りをつけていて、本物と間違えて叩きそうになったことがある。天才のファッションセンスはいまいち理解不能だが、様々な人種の集まる王都にはそういう奇抜なファッションアイテムを売る店もあるらしい。


 もしこの話を聞いたのがセリアだったなら、本当に魔王幹部がいないか念のため王都内をしらみ潰しに探そうとするかもしれない。彼女は大の心配性なのだ。

 昨日なんて身重のくせにずっしりとした箱を抱えていたから、何かと思えば役所から取り寄せた王都内の保育園ナーサリーの案内書が大量に入っていた。まだ生まれてもいないのにそんな先のことまで考えなくても、とややげんなりしてしまったのは彼女には内緒だ。


(……おっと、タイムリーな)


 街中に立てられたクエスト掲示板。そこに貼られた一枚の依頼書がふと目に留まる。


【求ム! 保育園見学会の覆面警護】


 保育園に、覆面警護。なんともミスマッチな字面である。

 ラカンは依頼書を手に取ってみた。


 この保育園では種族問わず様々な子どもを受け入れが可能だが、中には仲の悪い種族同士が鉢合わせることもあり、特に多数の親が参加する見学会では念のため参加者に紛れて警護を担当するスタッフを募集しているようだ。

 条件は子どもがいてもおかしくない年齢の成人男性、腕が立つこと、育児に関する話題を振られても多少応答できること。

 ラカンにはぴったりの仕事であった。


(保育園がどんなものかも把握できそうだし、やってみるか)


 ラカンは依頼書を持ってその保育園を訪ねる。

 勇者という肩書きもあって即日採用であった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る