第3話 勇者、結婚の決意をする。
翌日。
勇者たちは魔王領に向かう前に最後に立ち寄った人の集落、ストーンウォールまで戻ってきた。
ここはかつて魔石の採掘で栄えた街である。
魔石とは、全ての魔工具の原動力。自動で魔法を発動できる魔工具は都市部の生活では必要不可欠なものであり、人類の文明が発展するにつれ魔石の需要も膨れ上がっていった。
魔石の鉱脈を見つけたものは莫大な富を得られる――誰しもがそんな夢を抱き、ツルハシを振るった時代が確かにあった。
だが、魔石を求めたのは人間だけではなかった。
魔石は、体内に高い魔力を保持している魔族たちにとっては栄養価の高い食糧でもあったのだ。
より良い鉱脈を巡り、人と魔族との争いが起きるのに、そう長い時間はかからなかった。
このストーンウォールの街は、人類史上初めて魔族に奪われた鉱脈であり、つい先日まで魔王軍の支配が及んでいた土地である。
何十年も前に魔石はほとんど採り尽くしたにも関わらず、魔族たちは住民をこき使って無理やり採掘を行わせていたが、立ち寄った勇者一行がこれを討伐。
住民たちは解放され、今は魔王領に最も近い人の街となっている。
「セリアの具合はどうでしょうか?」
ラカンはおそるおそる
彼はちらりと背後の白い天幕を見やる。あの向こうには安静が必要な患者のためのベッドが並べられており、セリアと付き添いのキャリィも中にいる。
「やはり妊娠しておられるかと。吐き気のせいであまりものを食べていないとのことだったので、簡単なお粥とトマトをお出ししてみました。少しは喉を通ったようで、今は落ち着いて眠っておられますよ」
「そうですか。それなら良かった」
ラカンはほっと胸を撫で下ろす。
薬師曰く、吐き気があってもお腹の子のためには水分や栄養は摂ったほうがいいのだとか。また、見た目は普段と変わらないように見えても、妊娠初期はちょっとしたことで赤子が流れてしまうことも多いという。
「なるべく安静にされてください。一応言っておきますけど、戦闘に出るなどもってのほかですよ」
「う……そりゃそうですよね」
つい昨日まで魔王との戦いに挑もうとしていたことを見透かされているようで、ラカンは気まずかった。
「それから、セリア様から一つ質問があったのですが……」
薬師はそう言いかけて、途中で口をつぐんだ。
「いえ、やはり私からお話しするのはやめておきましょう。セリア様が目覚めたら、お二人でよく話し合われてください」
一体なんのことだろうか。要領を得なかったが、ラカンはとりあえず「わかりました」と言って医院の外に出た。
街は以前ここを訪れた時よりも活気があった。
魔族たちに支配されていた頃は皆虚ろな目つきでボロボロの作業服をまとい、老若男女問わず鉱山で働かされていたが、今は人々が思い思いの生活を取り戻している。街の中央の広場にはさまざまな品を扱った露店が並び、子どもたちが駆け回っていた。鉱脈の枯れた坑道での採掘をやめ、暗がりと湿気を好む魔王領の野菜を栽培することにしたのだそうだ。それが案外と評判が良く、都市部との間の行商人の行き来も再開し始めているらしい。
ラカンの足は街の一角にある酒場に向かう。
まだ真っ昼間で扉には「閉店」の看板がかかっていたが、三度ノックし名乗ると扉が開いた。頬のこけた店主が「どうぞ」と陰気な様子で手招きをする。彼は酒場の店主であり、魔族たちの事情に通じた情報屋でもあった。
中に入ると、ダルトンがすでにカウンターで一杯やっているのが見えた。
「おい、まだ昼間だぞ」
「別にいいだろ。今後はセリアの前じゃ飲みづらくなるんだからな」
「もともとセリアは酒を飲まないよ」
「ん、そうだったけか。まあラカンも一杯」
「オレは遠慮しとく」
つまらんな、と肩をすくめるダルトンの横の椅子に腰掛けると、カウンター越しに店主が何かを寄越してきた。グラス、ではなく、魔王領を記した一枚の地図である。
「状況は?」
ラカンが尋ねると、店主は首を横に振った。
「たいした動きはありませんねェ。相変わらずモルダーン王国の姫君は魔王城内に囚われたままと聞いております」
「姫様……」
現在、勇者一行に課せられている使命は「魔王の討伐および囚われの姫の救出」である。
人間と魔王の戦いは勇者の登場によって人間側に傾きかけていた。難攻不落であった魔王軍の四人の幹部を倒し、瞬く間に奪われていた土地を取り戻したのだ。残すところ魔王のみ、モルダーン王国軍は勇者を筆頭に一気に魔王領へと攻め込む予定だった。
だがひと月前、姫が魔王に攫われてしまったことで状況が一変する。
彼女が人質となり、モルダーン王国は表立って軍を動かすことができなくなった。
せっかくの好機だというのに、攻め込むことは叶わず、こうしている間にも魔族たちは着々と再び戦力を整えていく。
そこで少数精鋭が
「ただ、姫君のご様子について、新たな情報がありまして」
ラカンはごくりと唾を飲み込む。
温室育ちの姫だ、陰気な魔族の居城に囚われ辛い思いはしていないか、酷い目に遭わされていないか、それは常に気掛かりであった。こうしている間にも姫の精神は刻一刻と蝕まれているかもしれないのだ。
店主はおもむろに口を開く。
「姫君が囚われているのは地下の牢獄……ではなく」
「ではなく?」
「来客用の一室だそうで」
「あ、そうなの?」
「調度品は魔王領一のものが用意されており、ふかふかのベッドに三食プラスおやつ付き、ドレスもお好みに合うよう多数ご用意されているとか。身の回りの世話を担当する魔族曰く、姫君はこもりきりの生活で体重が増えたことを気にされており、城内の散歩の許可を魔王に直談判する予定だとか」
「そ、そうなんだ……」
なんだか思ったよりも元気そうである。
ひとまず安心、していいのか分からないが、急を要する状況ではなさそうだ。
「魔族もコンプライアンスを気にする時代なのかもしれませんねェ」
店主はくっくと笑うと、今度は世界地図を取り出した。
「姫君が囚われて以降、モルダーン王国軍に動きがないのはご存知かと思いますが、魔王軍も今のところさほど動きはないようですな。勇者様が取り戻した領地に再度攻め込んでくる様子もなさそうです。まだ立て直しに時間がかかると見て良いでしょう」
「そうか……」
ラカンはほっと息をつく。
姫には申し訳ないが、今の状況ではすぐに魔王城に向かうことはできない。
セリアはパーティーの回復の要だ。彼女がいてこそ無茶が効くというもの。代わりのメンバーが見つかるまで魔王領に攻め入るのは難しい。
とはいえ、彼女の代わりはそう簡単に見つかるものではない。そもそも、傷や体力を癒す奇跡の
セリアの次に魔力が高い人物を推薦してもらうには、一度教会の総本山があるモルダーン王国領まで戻らなければいけない。
ラカンのその考えにダルトンも異論はないようだった。
「そうするしかないだろうな。王様にも状況報告する必要があるし」
「やっぱ必要かな?」
「そりゃ要るだろ。俺たちの
「だよなあ……」
ラカンは頭を抱えた。
大抵のことはなんとかなるだろうと考える彼でも、今回ばかりはさすがに気が重い。
わしの大事な姫が囚われているという状況で、お前たち何をやっとるんだ――と言われたら平身低頭謝るほかない。
「まあ、他に手段がないこともないが――」
ダルトンは酒を煽りながら、ちらりと横目でラカンを見やる。
「俺から言うことでもない。状況整理はやっておくから、セリアの顔を見てきたらどうだ」
彼が何を言いかけたのかは気になるが、セリアが心配でそわそわしていたのは本当だ。ラカンは頷き、店を後にした。
再び医院に戻ると、天幕の向こうに通された。
目が覚めたのか、セリアは半身を起こしている。
彼女はベッドの脇に置いてある花瓶をじっと見ていて、ラカンがやってきたことに気づいていなかった。そこに挿してある枝には橙色の提灯のような形の実がいくつもなっている。
ベッドの傍らの椅子に座り、何やら工具を使って作業していたキャリィが先に気づいた。ラカンに向かって手を振ると、工具を持ってすっと立ち上がる。
「ボクは外で作業してるよ。終わったらまた戻ってくるね〜」
彼女なりに気を遣ってくれたのだろう。
他のベッドは使われておらず、部屋の中はラカンとセリアの二人きりになった。
「身体はどう?」
「おかげさまで、だいぶ落ち着きました」
確かにセリアの顔色は良くなったように思う。だが、あまり元気はなさそうだった。ラカンの方を見ず、相変わらず花瓶に視線を向けている。
「それ、どうしたの?」
「薬師さんにお願いしていただいたのです。ホオズキという植物ですよ」
「へえ。オレの地元じゃ聞いたことないな」
「……そう、ですか」
彼女は唇を結び俯いた。
一体どうしたというのだろう。事情が分からないラカンには沈黙がやけに重苦しく感じる。彼は気を紛らわすために「そういえば」と口を開いた。
「情報屋に聞いたんだけど、姫様って思いのほかもてなされてるみたいなんだ。人質という立場ではあるけど、そこまで不自由な状況ではないらしい。魔王軍にも目立った動きはないし、セリアの体調が落ち着いたら一度モルダーン王国領に戻ろうかと――」
ラカン、とセリアがその名を小さく呼ぶ。
ようやく合わさった瞳。よく見るとその周囲は赤く腫れていた。
「冷静に考えてください。勇者一行として、他の選択もあるはずです」
そう言って彼女はラカンの手にホオズキの花瓶を渡してきた。
「あなたが望むなら、私……たとえ神に背くことになろうと、後悔はしません」
思い詰めたような顔でずいと迫ってくる。
「ま、待ってくれセリア。話が見えないよ」
「遠慮は無用です! 私はもう、覚悟を決めましたから……!」
その時、バサッと天幕が開く音がしてキャリィが戻ってきた。
距離の近い二人を見て、彼女はぱちくりとまばたきする。
ラカンに迫っていたセリアは慌てて姿勢を戻した。
「あー、えっと、口づけでもするところだったかな?」
「い、いや、そういうわけじゃない。入っていいよ、キャリィ」
「なら遠慮なく〜。できたてほやほや、早く見せたくてさ」
じゃじゃーん、と彼女は何かを掲げてみせた。
手のひらから少しはみ出るくらいの短いステッキの、先端には丸く研磨された透明な魔石が取り付けられている。その反対側には魔導ケーブルが取り付けられており、キャリィが脇に抱える黒い板のようなもの――映写型魔石に繋がっていた。
「その名も、即席☆魔力波検査器だよ〜!」
「魔力波検査器……?」
聞き慣れない単語にラカンもセリアもきょとんとする他なかった。
そんな二人を見て、キャリィは「ふっふっふ」と鼻を鳴らしながら説明する。
「これはねえ、探知魔法を応用した魔工具なんだ。先端の魔石から魔力波を発するだろ、この出力は最低限まで抑えてあるから、魔力を持つものと跳ね返されて戻ってくる。その反射された魔力の波形を読み取ってぶつかったものとの距離を計算し、それを映像データに置き換えてこの映写型魔石に投影するのさ」
「えっと……それは、つまり?」
キャリィは飛び級でモルダーン王国の魔法工学院を卒業した天才である。
そのため、仲間であっても時折何を言っているかは理解するのは難しい。
キャリィはうーんと首をひねると、何か思いついたのかポンと手を叩いた。
「生き物なら誰しも体内に魔力を保有しているのは知ってるでしょ? それがたとえ赤ちゃんだとしても」
「ああ、うん。それは聞いたことがあるな」
「つまりさ、この魔工具は
そう言うと、キャリィは魔工具を持ってセリアのベッドの横に立つ。
彼女が魔工具を軽く握ると、先端の魔石に青白い光が灯った。
「じゃセリア、ちょっと失礼するよ〜」
修道服のスリットから魔工具を忍ばせ、彼女の下腹部に魔石を直接当てる。
すると、映写型魔石の方に白黒の渦のような絵が現れた。
「うーんと、この辺かなあ?」
キャリィが魔工具を動かすと同時に、映写型魔石の絵が動いていく。
やがて黒い空洞が画面中央に映し出されたところで彼女は手を止めた。
丸い空洞の中に、蛹のように白い小さなものが張り付いているのが見える。
「これ、もしかして……」
「うん。二人の赤ちゃんだ」
まだ人の形を成していない、小さな存在。
その真ん中あたりをよく見ると、ぴくぴくと規則的に動いているのが分かった。
「たぶん、心臓かな? すごいね、こんなに小さいのに一生懸命動いてるや」
キャリィの言葉で、ラカンは自身の内側にぶわっと新たな感情が芽吹くのを感じた。
あの夜、二人生きていることを確かめ合った時に似た感動。
生命の躍動に触れた時の、本能的な喜び。
そして湧き出てくる……この子を、この子の母となる彼女を守らなければならないという使命感。
それができるのは、自分のほかにいない。
「セリア、結婚しよう」
自然と言葉が口をついて出る。
「王都に戻ってオレたち二人、この子を育てるんだ」
セリアの瞳の端から涙がこぼれると同時、手に持っていた花瓶が床に滑り落ちた。
ガシャンと音を立てて割れる花瓶。
床に散乱するホオズキ。
だが彼女の視線はもうそちらではなく、ラカンの瞳に向けられていた。
「良いのですか……?」
「もちろん!」
「でも、勇者一行の使命は……」
「今はなんとも言えない。けど、なんとかする。なんとかしてみせる!」
セリアの両手を強く握る。
すると彼女は幼い子どものように涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、
「ううっ、ラカン……! あなたという人は……!」
ラカンの胸にその顔をうずめてわんわんと泣いた。
セリアの身体はラカンより頭一つぶん小さい。
それでも彼女は今二人分の命を背負い、さらに勇者一行としての使命を背負い、思い詰めていたのだろう。
でもこれからはそうはさせない。
共に背負おう。
夫婦として……家族として。
ラカンは決意を込めてセリアの身体をしかと抱きしめるのであった。
そうして勇者一行はセリアの容態を見ながら王都モルダーンへと引き返す。
しかし彼らはまだ知らなかった。
王都では「育休」をめぐる戦いが待ち受けていることなど……。
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