After Lightning

「――イト! ライト! 大丈夫ですか!? 自分の名前を思いだせますか?」


「うっ……。M? 君、なのか? ここは? それにその格好……」


「ワタシの名前じゃありません! 真面目に答えてください!」


「わかった、わかった。俺はライト、ライト・マッキール。人類最速のドライバーで、君と光で在り続ける者だ。これでいいか?」


「何度も言わせないでください、ライト。ワタシはあなたの只のフィルター……。いえ、でもよかった。意識の離散は免れたようですね」


「おう。なら俺が訊いていいな。何が起こったんだ? 雷光を見た記憶はあるんだが」


「あなたのマシンに雷が落ちたんです。本来、あり得ないことなのですが」


「避雷ドーム、だな。サーキットの上を覆っているやつだろ? ふっ、やっぱり俺は持ってる男だな、M。記念すべき今日に雷に撃たれるなんぞ――」


「――ふざけないで!」


「M……」


「死んでいたのかもしれないんですよ?! あなたの葬式セレモニーに出るのはまっぴらごめんですからね。それか、脳が致命的な損傷を受けていたかもしれない。そうしたらあなたは一生、目覚めないんですよ!?」


「そいつは考えてなかったな。すまん、M」


 概念的な電子世界でカタチを取ったライトが、殊勝に頭を下げてくる。普段は何が何でも我を通すライトではあるが、自身が納得すれば意外にもこうやって素直に非を認める一面があった。

 普段と何一つ変わらないその佇まいを前にして、もはやMは怒るに怒れなくなってしまった。


「い、いえ。ワタシこそ、フィルターの分際で出しゃばったことを言ってしまいました」


「その言い方は、嫌だ」


 嚙みしめるように言ったライトが、「白い部屋」の中央でゆっくり立ち上がる。

 周囲を見回したライトは、ピクセルで形成された表情を疑問に歪ませていた。


「で、M。ここはどこなんだ? 人生をコースアウトしたわけでもないんだろ?」


「正確な名称はありません。強いて言うなら、『隔離された意識の部屋』でしょうか。緊急意識避難空間エスケーパは、その、まだ実証段階ですので」


「要はピットみたいなもんか。チーフもそう言ってたろ?」


「ええ、そうですね。もっとも、ライトで試したと知れば、彼は白目を剝くでしょうが」


「俺が一緒に謝るさ。……なあ、M。その衣装さ――」


「こ、これは潜在意識の暴走というか! いえ、ワタシにそのような意識などないのですが!」


「いや、スカートが薄れてきてるぞ?」


「――っ?!」


 ライトに指摘され、見下ろしたMは自分の衣装――ウェディングドレスが、加速度的に透過していくのを察知した。

 電子空間において、衣装は存在を固定付ける重要なアイデンティティだ。それが揺らぎ始めたということは、空間の均衡が崩れていることを意味する。

 案の定、Mを指摘したライトの輪郭までもが、チラつき出していた。


「空間が閉じ始めています。ほら走って! ――ほわ?!」


「あそこの如何にもなドアに行けばいいんだろ? つかまってろよ!」


 レーサーらしい素早い状況判断を下したライトが、なぜかMを抱きかかえて走りだしていた。電子空間では重量の概念がない。そもそも、元よりデータの集合であるMのほうが移動するにも速いのだが。


「ラ、ライト?! ワ、ワタシならあなたより速く動けますから――」


「ごまかすな! M、君はんだろ。隠してるつもりかもしれないが、そのドレス、俺が見たときからあちこち焦げてたぞ」


「そ、それは……」


「最初、そういう流行りもあるのかって思ってたが……くそっ! 俺はバカだ。よく考えりゃわかるよな。〈エスケーパ〉の話をしたチーフがあんな顔をしたんだ。ロクなもんじゃないってのは察してたが、そういうことかよ!」


 あなたは馬鹿じゃない。

 そう言おうとして、Mは自身の異変に思い至った。


 ――声の出し方が、わからなかった。


 *  *  *


 その空間が、どこか見慣れているとは感じていた。

 それが、初めてMとチューニングを行ったチームの仮想空間であると思い出したのは、ついさっきだった。

 あのとき、Mから“光”を教わったライトは、何か恩返しがしたかった。

 だから彼女に訊いた。――君は何になりたい?


「――俺はバカだ」


 今さら繰り返したところで、それこそ時間が巻き戻るわけでもない。

 ライトが抱えた華奢な体躯は重みを感じられず、ベールのようなものを被ったその顔は窺いしれず、ノイズが絶えずその身体を走り、おそるおそる触れたライトの指先から返る感触はない。

 おまけに、先まで聞こえていた声にまで、スクランブルに似たノイズが混ざっていた。


「もうすぐ着くからな、M。そしたら手伝ってくれよ? 俺が機械にからっきしなの、知ってるだろ?」


 眼前に、そこだけ木目に彩られたドアがあった。近づいているようで、全く距離が縮まらないようにも感じる。人類最速が聞いて呆れる体たらくだ。


「ごめん、なさい、ライト。本当は来シーズンから正式にレギュ、レーションに組み込まれる予、定だったのに、ワタシが無理を言っ、たばかりに」


「無茶すんな。帰ったらしっかりチーフに診てもらえよ」


「あなた、だって、無茶ばかり、しているくせ、に」


「なら相子イーブンってことだな。……いや待てよ、君のおかげで俺は助かったんだから、やっぱり俺は君なしにはいられないってことだな」


「あな、たは楽観的すぎ、ます。まだ意、識の現実帰還を確認し、てはいませんよ」


「帰ったらすぐわかるさ。さきまでの俺は、バックストレートに入るところだった。ぶっちぎってやるからM、君はストレージで高みの見物でもしてくれ」


 ようやく目と鼻の先まで、ドアが迫っていた。早る気を静め、ライトはドアの丸ノブへと手を伸ばす。


「ラ、イト」


「もうちょいだぞ!」


「いっしょに、歩か、せてください」


「おう、帰ったらトレーニングしような」


「ライ、ト。お願い。いまじゃない、と」


「……わかった」


 ほとんど透けて見えるほどになったMの身体を、ライトはそっと降ろす。ふらりとMの肩が揺らぎ、ライトはしっかりとそのノイズ混じりの腕をつかみ返した。

 今はライトがMを支える番だった。

 この状況を完全に認識できたわけではない。

 が、Mが自分のために手を尽くしてくれたことだけは理解できる。思えば、彼女には世話を掛けてばかりだ。その割に、自分は感謝を伝えきれていないと今さらにライトは思う。

 だからこのレースに勝って、派手に労う。何せ、このレースは彼女との1000勝目なのだから。


「最初に会っ、たときのこと、覚えています、か?」


「ああ。あの日、君が道しるべをくれたから、俺はここまで来れた」


「フィルターの言葉を、鵜呑みにして、はいけませんよ。ワタシは人間ではな、くて――」


「――だからそれは嫌だと言っただろ」


 嫌いな言葉を、ライトは自分の唇をMに重ねることで遮った。感触も温かみもない、デジタルの口づけ。

 それでもほんわりと、熱いものが込み上げてくる。


「じゃ、一緒に光になってアニバーサリーといこうぜ――」


「――ライトがなって、きてください」


 ふいに腕を振りほどかれ、概念的なライトの体がバランスを崩した。そのままドアに体当たりをしかけ、辛うじて踏みとどまる。

 わずかに開いた隙間から、体が吸い込まれていくような感覚に襲われた。必死に抗い、ライトは輪郭が失せはじめてきたMへ呼びかけた。


「M!?」


「〈エスケーパ〉の作動、にリソースの大部分を使い、ました。帰還したとしても、ワタシのリブートが成功する、可能性は極めて低い。その間、マシンは――」


「ピットインしなければならない……。くそっ!」


 概念的なドアに拳を叩きつけたところで、痛くもかゆくもない。その事実がまた、ライトの不甲斐なさをかき立てる。


「ライ、ト。あなたは、光になるのでしょう? 光は止まっ、たらいけない。走り続けるからこそ、光なの、です」


「俺は、君がいるから走れるんだ! 君なしじゃ、俺は……」


「当フィルターは……いつだってライト、と共にあります。ワタ……シはライトのファミム……いえ、相棒、なのでしょう?」


 うつむいたライトの額に温かな感触が生まれる。それは錯覚だったのかもしれない。

 ハッと振り仰いだときには、木の葉のように散っていくウェディングドレスの姿しか残されていなかった。


 †  †  †


「――俺は、ライト。雷雲を駆ける紫電」


 ライトの強い希望で、レースは再試合ではなく3ラップの短期決戦となった。圧倒的優位がゼロに帰すが、レースが続行できるならライトは何でもよかった。

 普段、膨大な情報流入を食い止めてくれる彼女は、もういない。

 再スタート早々、激しく流れ込むマシンの情報にライトの意識が飛びそうになる。一時的に最後尾まで順位を落とし、ジュニア時代以来の後塵をライバルに拝す。


「俺は……俺は……っ!」


 負けられない。

 もはや記録のことは頭になかった。

 今はただ、レースに勝ち、トロフィーを持ち替える。

 それ以外、全てがどうでもよかった。

 だが意志に反して、マシンの操縦が覚束ない。まざまざと、これまで彼女に頼り切っていたことを思い知らされる。先行車との距離は空くばかりで、焦りがさらにライトの思考を灼いた。


 ――落ち着いてください、ライト。ほら、テンポラリが詰まっているでしょう?


「だが、それを消したら君と記憶が!」


 ――ログが消失したくらいで忘れられるの、ワタシ?


「――はっ。ははっ!」

 車内記録にはきっと、一人で快活に笑うドライバーの姿が残るだろう。精神状態を危惧され、マシンを降ろされるかもしれない。

 それがどうした。

 今、自分がすべきこと、それだけが自分が――自分たちが光であることの証だ。


「俺は光。雷雲を駆ける紫電。いくぜ、M。――俺たちが、光だ!」


《了》

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999 ~The end of beginning~ ウツユリン @lin_utsuyu1992

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