999 ~The end of beginning~

ウツユリン

Before Lightning

「俺はライト、雷雲を駆ける紫電。あらゆるものは、俺の後ろに続くだけだ」


 残りのラップ数を無意識に確認し、自然とライトの口からルーティンの言葉がこぼれ落ちた。

 思考は同時に、超高出力リアクターエンジンの回転数を増す指示をマシンに送り込んでいた。


「了解、ライト」


 中性的なその応答を受け、風を切り裂くような甲高いエンジン音が高まりを見せる。車体のセンサからのフィードバックが、の耳に届いていた。


「いっくぜぇ!」


 そうして鏃の如き形容の車輌が、加速する。

 その加速は後続車の追随を冷酷に引き離す。

 それでも先頭車両に続けとばかりに、楕円コースを描くサーキットで疾駆する他のレースカーも追い込みをかけ始めた。

 20を超すレースカーが発するエンジンとタイヤの摩擦音が、重厚な協奏曲となってハイブリッド会場を震わせている。

 現地の観客も、遠隔地から観戦している観客も、佳境に差しかかった超高速レースの行方に固唾を吞んでいた。

 レースカーのエンジンは千頭の馬が引く力を超え、極限まで軽量化された車体の総重量の7割を占めていた。それでいて、その「速さ」を体現する車輌は、不格好に程遠く、洗練された美しさを備えていた。

 故に、かのレースカーに人が座する余地はない。

 さりとて、昨今に流行りの「自動車」でもなかった。斯様なスピードを出しつつ、的確にコーナリングができる自動操縦システムを、未だ人類は手に入れていなかった。


『最終ラップを目前に控え、テスラ・レーシングのライト・マッキールが後続を引き離し始めている!今年のブレインリンクフォーミュラ《B-LF1》最終戦、アブダビGPでは、無敗のチャンピオン、マッキールがまたしても栄光を手にするのか?!』


「実況音声、切りますかライト」


「そうしてくれ、M。俺は君の声だけ聞いていたい」


「その発言は、解釈如何によってアルゴリズム偏愛者とも受け取れますが」


「俺は事実を言っただけだ。レース中の俺の体は、〈ドライバーズポッド〉の中にある。だから俺は、全意識をマシンのコントロールに集中させなきゃならん。君というガイドがいなければ、俺の脳はとうに焼け焦げてるしな。だったら相棒の声だけを聞いていたいってのは、道理じゃないか」


「ワタシは単なる動的情報フィルターに過ぎません。あなたの真の相棒は、そのマシンですよ、ライト」


「君なしじゃ、俺がマシンに殺される。光で在り続けることだけが俺の望みだが、だからといって自殺願望は持っちゃいないさ」


 光速通信に乗せられ、ドライバーのライト・マッキールと、マシンフィードバックフィルターインテリジェントアルゴリズム《ファミム》・Mの会話が成立する。

 片や、厳重に警備されたドライバールームの〈ポッド〉に横たわり、片や、時速360マイルで疾駆するレースカーの中だ。

 双方の情報処理中枢へ直接伝えられるがゆえに可能な、高速意思伝達。

 時間にすればコンマ秒以下の刹那だが、その刹那を競うのが脳で操縦するレースの真骨頂であり、狂酔でもあった。


「リアクタ出力安定。左リアタイヤの損耗が12%を超過。……推奨したところで、ピットインはしないのでしょう?」


「ああ。いまピットに入れば、俺は光になれなくなるからな」


 躊躇わずライトがMの提案を切って捨てる。

 長く彼のフィルターを務めたMには予想通りの反応だが、それでも人間でいうところの嘆息を禁じ得なかった。

 ライトにとって、光――すなわち最速であることは決して譲れないアイデンティティだった。レーサーになったときから変わらない信念だと、かつて語ってくれた。

 だが、こうも言った。


 ――俺は最速になる。それだけは変わらない。だが何か足りないんだ。何か、最速を超えるものがほしい。


 ――当フィルターのデータベースによれば、物理空間における最速の現象は「光」と称されます。雲を貫く雷、天翔る紫電、などの比喩的表現も見られます。


 Mは質問への回答として自然とそう答えた。

 まさか、その後の初レースでライトがMの言葉をルーティンにするとは予測できなかったが。


「考えごとか、M? なんか、首筋がムズムズするんだが。一雨、来そうなのか?」


「失礼、情報収集中。……サーキット上空に積乱雲が認められますが、協会側の気象予測ではレースに支障はないと――」


 瞬刻、真っ白な光が車体を包んだ。

 その光は計器のほとんど全てを停止させ、M自身の思考処理にも断絶を生じさせた。

 だが、光の正体を考えるよりも先に、Mの思考がその名前を呼んでいた。


「――ライト!」


 いつもならひょうひょうとして返る言葉が、今は沈黙だけを返してくる。散り散りになっていく思考をかき集め、Mは辛うじて一つのプログラムを立ち上げた。

 それが唯一のMの足掻きだった。


 †  †  †


『なんということだぁ!? 先頭をひた走っていたマッキール車に落雷が直撃! これはドライバーの安否が危ぶまれる由々しき事態だ……!』


 †  †  †

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