4話 こうして、彼と彼女は顔見知りとなる

 食べ終えた弁当箱を風呂敷に包み鞄の中へ片づけた頃には、昼休みも終わりに差し掛かろうとしていた。慌ただしいやり取りは鳴りを潜めて、言葉を交わすこともなく時間だけが過ぎていく。秒針の音すらしない静謐せいひつな一時であっても、それほど居心地の悪さを感じることはなかった。


 それは目の前に座る夜宮さんも同じなのか、手持ち無沙汰な素振りを見せることもなく穏やかな表情のまま佇んでいる。まるで一枚の肖像画を眺めているかのようで、指一本でも触れてしまえば壊れてしまうのではないかと思わせる儚さを帯びていた。

 油断しているとその姿に思わず見とれてしまいそうで、意識的に直視することを避けてしまっている。


 彼女が今、何を考えているのか推し量ることなんてできはしないけれど、少なくとも後ろ向きなことではないだろう。


 ふと、このまま微睡むように耽るのもいいかもしれないだなんて考えそうになったが、流石にそれはやめておいた。いかに今日という一日が重荷でしかなくても、それだけで現実から目を背けられるほどの度量は持ち合わせていないのである。


 それに、こういう緩やかな時間ほど瞬く間に過ぎていくものなのだ。幕引きはいつだって、物足りないくらいがちょうどいい。


「俺はそろそろ行くけど、夜宮さんはどうする?」


 テーブルの上に乗せていた鞄を肩に掛けながら立ち上がる。夜宮さんはきょとんとした顔で首を傾げると、スカートのポケットから携帯端末を取り出す。そしてロック画面を目にした彼女は目に見えて嫌そうな顔をしていた。


「……もうこんな時間? 昼休みってこんなに短かったっけ。 ……午後の授業、自習になればいいのに」

「気持ちはわかるけど、そろそろ移動しないと遅刻は免れないぞ。サボりたいなら止めはしないけど」

「嫌な言い方ね、言われなくてもそうするつもり。……心底気乗りしないけど、このまま戻らない方がかえって面倒なことになりそうだし」

「そうか。 ……じゃ、お先に」


 夜宮さんに背を向けて歩きだそうとして、自分の言葉に違和感を覚える。


 別れ際の挨拶を口にしようとしたその瞬間に生まれた僅かな逡巡しゅんじゅん。それが続けざまに言おうとした言葉を遮り、手短に切り上げる形になってしまった。


 ……どうして言い淀んでしまったのだろうか? そう不思議には思いつつ、気にしてもしかたがないことだと、そのままこの場を立ち去ろうと階段の方へ向かう。


「――――待って」


 その途中で、夜宮さんに呼び止められた。足を止めて半身だけ振り返り、正面に立つ彼女がその続きを口にするのを待つ。


「…………また、ここに来るよね?」


 夜宮さんはこちらの様子を伺いつつ躊躇ためらいがちに呟いた。


「それはまぁ……そのうち来るんじゃないか?」

「……っ。 ――――はぁ。どうしてそこで疑問形なの?」


 大仰なため息をつき、夜宮さんは不満そうに半目でこちらを見据えている。


「軽率に先の事を決めたくないんだよ。強制されるのは課題と仕事だけで十分だ」


 遊びに行く予定を立てるときにありがちだが、計画中は浮き立っていてもいざ当日を迎えた途端に体が重く感じるものだ。一歩外に出てしまえばそんなものは吹き飛んでしまうのだけれど、その一歩が妙に辛くなるのである。


 このまま一日横になっている方が心地良いのではないか? なんて葛藤を乗り越えてから起きるという一連の流れは何度も経験しているにも関わらず、未だに避けられない。ほんとどうにかならないものかな、あれ。


「それ、どっちも強制されたらやる気を削がれない?」

「おかげさまで絶賛絶不調だしな。あまりのモチベーションの低さに全米が泣きかねない」

「そのユニークの無さはどうにもならなそうね……けど、面白くないと言い切れないあたり、君の自己紹介に毒されてるのかも」

「光栄だな、それなら恥をさらした甲斐もあったってもんだ。 ……とにかく、来るかどうかはその時の気分次第ってことで」


 夜宮さんの視線から逃れるように半身を翻し、返事を待たずして階段を下り始める。けれど、その答えはすぐさま背中越しに届いていた。


「……わかった。それじゃあ――――、朝霧君」


 夜宮さんがどういう表情をしていたのか、振り返らなかった俺には知る由もない。ただ、旧特別棟を出た後も彼女の言葉は耳に残ったままだった。

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