3話 複雑怪奇なのはお互い様
「そのお弁当、自分で作ったの?」
お互いに簡単な自己紹介を交わして一段落というところで、
「ん? そうだけど、それがどうかした?」
「どうっていうか……珍しいなって思っただけ。男子でそういうことをする人ってあまり聞かないから」
「そうだな。実際のところ、毎日作るとなればそれなりに苦労するし手間もかかる。
前日に作り置きするなり冷凍食品を活用するなり、時短する方法は幾つかあるが、それでも解凍したり弁当箱に詰めたりしていれば多少なりとも時間を取られてしまう。そのため朝早く起きることは欠かせないのだが、一日二日ならまだしも毎日続けようとすると習慣付けるまで体に堪えることは避けられない。
今はコンビニに立ち寄ればパンでもお惣菜でも、幅広くお手軽に味わうことができる時代だ。採算性はともかく、時間のコスパという面においてこれほどまでに優れているのもそうないだろう。
「なら、朝霧君は好き好んで作っているの? それとも他に理由があるとか?」
「必要だからそうしているだけだ。母と妹の分を作るついでに、自分の分も用意してるんだよ」
「献身的だね。それだけで朝早くから毎日用意するなんて、私には到底真似できなさそう」
「その口振りだと、毎朝色々と苦労してそうだな」
「……早起きを美徳とする文化なんて滅びればいいと思う」
「おてんとさまも随分な恨みを買われたもんだ」
柔和に微笑んでいるだけだというのに恐怖しか感じないのはどうしてなのだろう。純粋無垢な太陽がその微笑みを前にしたら雲の中へ逃げ隠れてしまいそうだな、などと冗談交じりな感想を抱きつつ、一口目に手を付けようと箸を伸ばしたところで――――夜宮さんがジッとこちらを見つめていることに気がついた。
視線の先にあるのは当然俺の弁当で、あからさまに凝視されている。
「…………念のためもう一度聞くけど、食べながらでも問題ないんだよな?」
居心地の悪さを紛らわすように、恐る恐る再度の確認をした。
「さっきもそう言ったでしょう。食べたいのならさっさと済ませたら?」
食い気味に言い放つ夜宮さんは言葉とは裏腹に、恨みがましい顔でこちらを睨んでいる。
……薄々感付いてはいたが、俺が彼女の機嫌を取るだなんておこがましいにもほどがあるのではだろうか。さっきから神経を逆撫でてしまってばかりな気がするし。
この状況でも迷わず食べることができるのは、自分が死ぬことはないと勘違いしている鈍感かつ無敵な主人公様か、顔色を窺うということを知らない馬鹿正直な奴かの二択だ。そして、俺にそんな大役が務まるわけがない。
察するに、夜宮さんもまともな食事は取っていないのだろう。そもそも昼休みになってからそう時間は経っていない。ここに来るまでの時間を踏まえれば、そう考える方が自然だ。
であれば、真っ当な手段で逃げに徹する他はない。俺一人がお昼を楽しむことを気に食わないというのなら、それを誤魔化すための言い訳を作ってしまえばいい。
「……ところで夜宮さん、食べ物で好き嫌いとかはある?」
「突然何? そんなことを知ってどうするつもり?」
「別に、聞いてみただけだよ。まぁ、あろうがなかろうが文句は受け付けないけど」
「? それはどういう――――って。朝霧君、いったい何をしているの?」
呆然とした様子で夜宮さんは問いかける。そんな彼女を気にかけず、手を動かし続けた。
弁当を包む風呂敷の中に入れていた爪楊枝入れから数本を取り出し、幾つかのお惣菜へ突き立てていく。ハンバーグと鯖の塩焼き、最後に卵焼きとそれぞれ弁当の蓋の上に移して、それを夜宮さんの前に差し出した。
「見ての通りだよ。足しにはならないかもしれないけど、よかったらどうぞ」
「……気にしてないって言ってるのに」
「俺は気にするんだよ。いらないなら残しておいてくれ、後で食べるから」
「いらないだなんてそんなこと――――あっ」
――――失言だった、と夜宮さんは苦虫を嚙み潰したように口を結んでしまう。
今更取り繕わなくてもいいだろうに、と口を滑らせてしまいそうになるのを堪えようとするが、拗ねたような顔をした彼女につられてうっかり口角を緩めてしまった。
「君、いい性格してるってよく言われない?」
「もったいないところばかりだと、ついさっき友達から褒められたばかりだよ」
「皮肉のつもりで言ったんだけど…………でも、ありがとう。気を遣ってくれて」
そう言って軽く両手を合わせた後、夜宮さんは卵焼きが刺さった爪楊枝を手に取り口の中へと運ぶ。半ば投げやり気味ではあったが、口に入れた途端に目を丸くして困惑の表情を見せた。
「……もしかして、口に合わなかったか?」
卵焼きを選択したのは少しまずかったかもしれない。ポピュラーなお惣菜なだけあって味付けには個性が出やすいから、想像した味と違っていたのだろうか?
「――――そんなことない。思ったよりも……ううん、思った以上に美味しかったから、驚いただけ」
食べ終えた夜宮さんは口元を抑えて軽く喉を鳴らすと、かみしめるようにそう答えた。
「弁当の卵焼きってもっとこう……パサパサしてるというか、ただ甘いだけってイメージだったから。食感はふわふわだし、味も濃いから物足りなさもなくて……これ、本当に朝霧君が作ったの?」
「弁当のおかず一つに嘘なんかつかないよ。卵焼きはいつも入れてるから、作り慣れてるだけだ」
「いつもこれを食べているだなんて……この贅沢者め」
「言いがかりが過ぎるだろ。お気に召したならそれでいいけどさ」
どうにか一難を乗り越えたと胸を撫で下ろして、ようやく弁当にありつける。疲弊した後だからか、バターで炒めたほうれん草はいつになく甘く感じた。
「……なんか。朝霧君を見ていると、いちいち気が立つことが馬鹿馬鹿しく思えてくるね」
少しは気が晴れたのか、苦笑する夜宮さんはどことなく嬉しそうに見えた。
「むきになっても疲れるだけだからな。それに大方、損をするのは自分一人だし。何事も省エネで過ごすくらいが丁度いいんだよ」
「君の場合、流されているの間違いじゃない?」
「沈んでいないなら何も問題はないな。むしろ泳ぐ必要がないから、より効率的かもしれない」
「そこまで開き直られると、清々しさを通り越してもはや憐れね」
「通り越すところを間違えてないか、それ?」
通り越すのならばもっとこう、尊重とか敬意とかそういう方向に舵を切ってもらいたいところなのだが……いやそれはないな。自分で言い出しておいてなんだが、俺にそういった要素は皆無だし。
そんなやり取りを挟みつつ流されるままに時は過ぎていき、気がつけば差し出したお惣菜たちは一つ残らず夜宮さんに美味しくいただかれてしまっていた。空皿となった弁当の蓋を前に夜宮さんは手を合わせた後、それをこちら側へ寄せる。
「ごちそうさまでした、本当に美味しかった。私からも何かお礼できればよかったんだけど……」
「貸しだなんて思わなくていいよ、俺が勝手にやったことだし。なんなら、気分を害したことへの埋め合わせってことにでもしておいてくれ」
「また君はそうやって…………わかった。じゃあ私も、そのうち勝手にお礼させてもらうから。それなら文句はないでしょ?」
「いやだから――――」
「それでいいよね? 朝霧君?」
わざわざ気を遣わせるのも悪いと思い断ろうとするものの、有無を言わせない迫力でこちらの言い分は遮られてしまう。
「……はい、もうそれでいいです」
すっかり気をされてしまった俺はなすすべなく受け入れてしまっていた。口調までしおらしくなってしまうあたり、我ながらメンタルが弱いというか何というか。
「初めから素直にそう言えばいいのに。いちいち面倒なんだから」
「それを夜宮さんから言われるのはどうにも納得いかないんだが…………八つ当たりを盾にして調子づいてないか、おまえ?」
「少しは歯に衣着せることを覚えた方がいいと思うけど?」
「そういうこと笑顔のまま言わないでくれ、普通に怖いから」
『少し歯を食いしばった方がいいと思うけど?』みたいなイントネーションで言うんじゃないよほんと。ていうか、意味合いとしてはどっちも大差ないんだよなぁ……。
使っている言葉はほとんど変わらないのも関わらず恐怖の質には大きな差があるように思えるのは何故なのだろうか。だというのに、その容姿のせいで可憐な美少女の戯れにしか映らないというのが余計にたちが悪い。
「――――で? 本当は何でこんなところに来ているの?」
軽く腕を伸ばしながら、夜宮さんは唐突に最初の質問を繰り返していた。
「何でと聞かれても、さっき言った通りだよ。ただの気分転換、それ以上でも以下でもない」
「それなら教室を出るだけでいいじゃない。こんなところに足を運ばなくても十分でしょ?」
「そうかもな。けど、俺が昼休みをどう過ごそうが俺の勝手だろ? 夜宮さんにどうこう言われることじゃないし、気にすることでもないだろうに」
「そこを指摘されるとぐうの音もでないわね……実際、
自覚あったんだな、と心の中で相槌を打ちつつ彼女の言葉の続きを待つ。
「だとしても、どうも釈然としないというか……そんなことをしていたらクラスの中で浮いてしまうのは目に見えてる。それくらい君もわかっているでしょう?」
「…………話が見えてこないんだが。結局のところ、何が言いたいんだ?」
「察しが悪いね。そうまでして気晴らしを優先するのはどうしてなのかと聞いているの。 ……普通に過ごしたいのなら、そんな真似はするべきじゃないもの」
呟くように付け足したその言葉はどこか自虐的で、それは自分だけに向けられた言葉ではないように感じた。不可解ではあるけれど、そこを追及したところでさして意味はないだろう。その点については触れず、会話を続けることにする。
「生憎、流されるだけの不届き者だからな。クラスの中じゃ、とっくに浮いてしまっているんだよ」
「友達からいい性格だと褒められたばかりだと言ったのは、どこの誰だか覚えてる?」
「……軽い冗談なのによく覚えてるもんだな」
適当にはぐらかそうと試みるもあっさりと看破されてしまい言葉を詰まらせる。けれど、素直に白状する気にはなれないためここは妥協してもらえるよう仕向けることにする。
「まぁ、何だ。俺にも色々あるんだよ、それ以上は聞かないでくれ」
「…………わかった、これ以上は聞かないことにする。私もその質問を返されたら答えたくないし」
渋々とした様子で夜宮さんは引き下がった。彼女は望んでここに居るわけではないのだろうし、そうせざるを得ないという方が正しいのかもしれないが。
「というか不自然という話なら、こうして俺が夜宮さんと話してることもだろ? 関わらないことが自然な対応なんだから、俺のことなんて知るだけ意味のないことだ」
こうして昼休みの時間を共有しているのは間の悪さが重なった結果、いわば不慮の事故のようなものだ。八つ当たりの相手が俺である必要はなく、また彼女の我慢の限界に立ち会わなければこうはならない。
俺と彼女がこうして話すことは本来有り得ないことだったのだ。そうなってしまった理由を幾ら深掘りしたところで徒労にしかならない。
とはいえ、それで夜宮さんを責めても仕方がないため、そういう意味で取られないよう軽い口調にしたつもりだった。
「――――いったい誰がそんなことを決めたの?」
しかしその言い分が
「私が今、朝霧君と話しているのは誰かに命令されたからじゃない。君の言葉を借りるなら、私が勝手にやっているだけ。だったら今後、君と話すかどうかは私が決めることでしょ?」
「あー、いや。確かにその通りなんだが」
「ならいいでしょ、つべこべ言わずに聞き入れなさい。返事は “はい” か “イエス” のどちらかしか受け付けないから」
「酷い横暴だ……」
あまりの強引さに頭を抱えてしまいそうになる。ゲームならまだしも、現実でその二択を突き付けられる日が来ようとは夢にも見なかった。我が強いなんてレベルじゃないぞ、ほんと。
俺の言い分がよほど気に入らなかったのか、身を乗り出す勢いで夜宮さんはさらに追い打ちをかけ始める。
「だいたい君の方こそ、少しは喜ぶ素振りくらいみせたらどうなの? 今の君を見たら嫉妬に狂う男子が大勢いるんじゃないかな」
「そうだな。この状況を見られたら、すれ違う男子諸君にどんな目を向けられるかわかったもんじゃない。明日からサングラスにニット帽でも被って登校する羽目になるかもしれないな。あぁ、もちろんお決まりの白マスクも忘れないようにしないと」
「あからさまに不審者のそれじゃない。だいたいこの時期にニット帽だなんて、季節外れもいいところね」
「今時コーディネートのために我慢するなんて珍しくもないだろ? 真冬の中でもショートパンツ履いてる女子とかよく見かけるし」
むしろ、そういうアンバランスな格好は四季を問わず見かけるまである。駅前の人混みにでも入れば、まず間違いなく1人はいると断言してもいいくらいだ。
冬真っ只中にもかかわらず、ストッキングすら履かずに生足を晒している人を見かけるとこっちが寒くなるし、目のやり場にも困るからほんと困る。何が困るって超困る。今だけは不審者呼ばわりされても弁解できないんじゃないかと危惧してしまいそうだ。
「君の提案した服装におしゃれな要素があるとは思えないけど…………そうだ、試しにその格好でショーケースの前に小一時間程立ってみたら? きっと素敵な光景を見られると思うよ?」
「どんな公開処刑だよ。店員さんにも迷惑だからやめて差し上げて?」
「冗談だから気にしないで。……にしても朝霧君、結構喋ってくれるんだね。君みたいなタイプって、普通話しかけても反応しないか、無理に話そうとして空回りするって感じじゃない?」
「概ねその通りだと思うぞ? 別に俺だってコミニュケーションが得意ってわけじゃないし」
普通に女子と話すだけでもハードルが高いと感じるし、下手に話題を振ろうとしても挙動不審になるばかり……なんて経験をした男子も少なくはないはずだ。それも彼女のように校内でも人気を誇る同級生であればなおさらである。当然、俺自身もその枠組からはみ出すなんてことはない。
目の前にそびえ立つのはハードルなんて可愛いものではなく、関門そのものなのだ。開けることも近づくことも叶わず、仮に開いていたとしても抜け駆けなど許さないと言わんばかりに関所に取り締まられてしまう。
みんな仲良くなんて謳う奴ほど、スクールカーストだの陰キャだの陽キャだの、わけのわからないフィルターで区分をしたがるものだ。そういう面倒なことからは回れ右したいところではあるものの、それを理解せずしてクラスに溶け込むことはできない。
問題のない日常を送るためには最低でも挨拶を欠かさず、簡単な雑談に相槌くらいは打てなければならないのである。それをしない場合、どれだけ優秀な生徒であってもクラスの中では孤立してしまうものだ。継続は力なりというが、行きつく先はトライアンドエラーの繰り返し、場数を踏んだもの勝ちなのである。
「俺の場合、その場しのぎでどうにかしているだけだからな。クラスメイトとの巡り合わせが良かったのも大きいし、助けられているところも多いと思ってる」
「その割には、不届き者だなんて軽口を叩いていた気もするけど?」
「そういう性分なんだよ。自覚があってもそう簡単に直せないものってあるだろ?」
自分の駄目なところ、欠けているところなんて他人に指摘されるまでもなく、誰よりも自分自身がわかっていることだ。もちろん見落としている部分がある場合も往々にしてあるけれど、どちらにせよ、それを矯正するやり方を心得ているのなら苦労はしない。
「それは、確かにそうだと思うけど……」
何か納得しかねることがあるのか、夜宮さんは言い淀んで言葉を濁してしまう。神妙な面持ちのまま、その続きを口にするべきか迷っているようだったが、やがて意を決したのか彼女の雰囲気が少しだけ張り詰めたように感じられた。
「それでも、直す必要があるなら? 朝霧君は……どうするの?」
恐る恐るそう尋ねる夜宮さんがこちらの返答に耳を傾けていることは重々伝わってくる。そんな先程までと打って変わった真剣な姿勢にあてられたのか、思っていたよりもすんなりと俺はその問いかけに答えていた。
「必要だろうとなかろうと、無理なものは無理だ。その前提自体はどうやっても変えられない。だから、他のもので埋め合わせをするだろうな」
「埋め合わせ? 例えば、どういうもの?」
「そうだな……仮に早起きがどうしようもなく苦手な生徒がいたとしようか。その生徒は毎日必ず十分だけ遅刻をして登校してくる。本人は必死に早起きしていると主張するが、それを聞いた他の生徒はもっと早く起きろと責め立てるんだ。こんな時、夜宮さんならどうすればいいと思う?」
いまいち要領が掴めない様子の夜宮さんに対して更に言葉を付け足してみる。しかし、何故か彼女はバツが悪いような顔をすると、居心地が悪そうにそっぽを向いてしまった。
「えっと、どうした? 何ともいえない顔してるけど」
「そういうわけじゃなくて。ただ、その…………ええと」
夜宮さんは言葉を濁したまま、目線を合わせようとしない。何か気に障るような要素があっただろうかと自分が口にした言葉を振り返って――――例に出したものが適切ではなかったことに気がついた。
「――――あぁ、そうだった。夜宮さんは早起きに対して素敵な考えをお持ちだったな。今のは完全に俺の失言だった、悪気があったわけじゃないから許してくれ」
「何でこういう時に限って素直に謝るの。悪気しかないじゃない」
「いや怒るところ違くない? 別にいいけどさ」
そんなつもりはなかったのだが、またしても夜宮さんは不機嫌を露わにしながらこちらを睨みつけている。直接言及することはなるべく避けていたけれど、とても面倒くさいなこの美少女同級生。まぁ人一倍繊細なだけだと思えば聞こえも良くなる……いや流石に無理があるなこれは。
乙女心は複雑怪奇だというが、それにしても少々情緒の振れ幅が大きい気がする。最近は同年代の女子とまともに会話なんてしていないから、これが一般的なのかどうかさえ判断が付かない。例外もいるにはいるが、大概仕事の依頼される時にしか話さないからそれを引き合いに出すのは違う気がする。
「……話を戻すぞ? つまり何が言いたかったのかっていうと、問題を見誤るなってことだ。ここでの問題は遅刻していることであって、早起きできていないことじゃない。なのに早起きするようにと周りから責められ続けるもんだから、それこそが問題であるかのように錯覚してしまう。典型的な認識の
多勢に無勢というと少し違うが、多数の意見が少数の意見を握りつぶすなんてことはよくある話だ。組織において優先されるのは規律や効率だが、集団において優先されるのはムードや団結力である。その違いは何が正しいかを考えるのではなく、どれが正しいかを選ぼうとするところだ。
先の例で考えれば、前者は早く寝るだとかアラームを多く設定するといった対策を講じようとするだろう。しかし後者において考えるのは、いかにして遅刻したこいつを糾弾し、自らの正当性を主張するかという一点に絞られる。
みんながやっていることを守らない奴なんていらない。誰も言葉にはしなくても、集団に属する者にとってそれは暗黙の了解だ。そしてただの集団が異端者に求めるものは改心ではなく粛清である。そんな時代遅れな思想にいちいち付き合わされていたら、正常な判断なんてできるわけがないのだ。
「――――本当にそれが問題なのか、それは他の簡単な問題に置き変えられないのか? そうやって考えるポイントを見つけて、解ける形にする。埋め合わせっていうのはそういうことだ」
そういう意味では、数学における式の展開に似ているかもしれない。与えられた問題の形のまま解こうとしても上手くいかないから、あの手でこの手で見慣れた形に置き換える。最終的に解く式の形が異なっていようとも、その本質は何も変わらない。
「…………問題を見誤るな、か。 ――――うん、確かにそうかもしれないね」
最後まで話を聞いていた夜宮さんは何かを思案するように押し黙っていたが、やがて腑に落ちたのか一度だけ頷いた彼女の表情はどこか安堵しているようだった。
「それにしても、朝霧君も少しは真面目なことを言ったりするんだね。ちょっと意外だった」
「失礼な。確かに俺は冗談も軽口も叩くが、ふざけているつもりは毛頭ない。普段からいたって真面目な学生だからな? そのあたり勘違いしないように」
「真面目な学生があんな自己紹介するわけないでしょ。 ………それで思い出した。さっきは予想外過ぎて聞きそびれていたけど、あの酷いキャッチフレーズは何? 自分で考えたの?」
「残念ながら受け売りなんだ。あれくらいユニークなセンスが俺にもあれば良かったんだが、ままならないもんだよな」
「ユニークって、物は言いようというか……本当、変な人だね。朝霧君は」
呆れた様子でそう言いつつ夜宮さんは頬杖をつく。しかし見損なうというほどではないのか、その微笑みが崩れることはなかった。 それにつられて、思わず口角があがってしまう。
「自分でもそう思うよ。けど、そんなの気にしてもしかたないからな。変えられないものはどうしようもない」
――だからこそ、その埋め合わせは必要だ。嘘でも冗談でも言い訳でも、それで問題が起きないのなら、気にすることなんて何もない。
「そっか。 ……それなら、もう一つだけ追加させて。確かに朝霧君は変な人だけど――――やっぱり、強い人だと思うよ」
佇まいを直した夜宮さんが発したその言葉は怖いくらいに穏やかで、これが最後の言葉なのではないかと錯覚してしまいそうだった。もちろんまた次の機会があるだなんて、そんな浅ましい考えは持ち合わせていない。
けれど――――どこか引っかかるその言い回しに気を取られてしまい、俺はろくな返しをすることができなかった。
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