2話 いつだって災難は人知れずやってくる

 この松籟しょうらい高等学校の1年生には、俗に云う人気者と呼ばれる女子生徒が三人いる。


 ひとえに人気者といってもその在り方は様々で、三人とも方向性は異なっている。例えば、その内の一人である榎森えのもり紗也加さやかは愛嬌がある親しみやすい性格から顔が広く、多くの生徒に好ましいと思われている。だからこそ、彼女の名前は学年中に知れ渡っているし、人気者だという評価は自他共に認められているものであるのだろう。


 しかし、他人に認められなければ人気者ではないと、そう必ずしも言い切れるわけではない。そういう意味では目の前にいる彼女――――夜宮やみやかすみの在り方は榎森さんと対極にあるといえる。


 夜宮霞は榎森さんのように部活動で活躍を期待されているわけでも、多くの友人がいるわけでもない。むしろ、彼女と関わろうとする生徒は悉く拒絶されている。それを裏付けるように彼女はどういう性格をしているのか、何が得意なのか、そういった表層的な情報すらも同級生の中では拡散されていなかった。


 ここだけを切り取ると悪印象となる要素しかないのだが、そんな彼女が人気者であると断言できるのは、他の生徒とは一線を画す絶対的な容姿故である。


 インナーカラーとのコントラストを引き立てる暗色のミルクティーベージュに染まった髪、整った目鼻と人形のようにシミのない素肌。容顔秀麗を体現するその立ち姿は畏敬の念を抱いてしまいそうな程に非の打ち所がない。


 榎森紗也加は顔立ちやスタイルが際立っている以上に、その人柄や愛嬌を好まれて多くの生徒を惹き付けているのに対し、夜宮霞はただそこにいるだけで周囲の視線を集め、釘付けにしてしまうのだ。何人も侵すことを許されない神秘のように、彼女の美しさに目を奪われながらもその真意を知ることは叶わない。


 二人とも注目を浴びているという点において違いはないが、その性質は全く異なっているといえるだろう。常に周囲と距離を縮めようと動く榎森紗也加は男女問わず多くの生徒に囲まれていて、誰も近づけないように周囲から距離を取る夜宮霞には尾ひれがついた噂話がどこにでも付き纏う。


 周囲に馴染もうとしないのは見下しているからだ、学校の外では男遊びをしているから同年代には興味がないんだ、本当は自分に気があるのに恥ずかしがって表に出せないだけだ、嫉妬しないようにと気を遣っているから平等に距離を取っているだけなんだ……なんて、特に調べたわけでもないのにパッと浮かんでくるあたり、噂というものは本当に容赦がない。


 確証があるわけではないが、恐らくはそのどれもが根も葉もない話だろう。しかし、こういう類の話は根拠などないからこそ、無責任に好きなだけ増殖していくものだ。


 自分の好奇心を満たすだけの都合のいい存在になってくれるのなら、その経緯はなんだって構わない。それを悪だと問い詰められようが、最悪ただの冗談だからと流してしまえばいい……噂を流す連中が考えることなんて、概ねそんなところだろう。


 それを糾弾したところで泥仕合の千日手に成り下がるのは目に見えている。苦労を重ねて得られるものが砂金の一粒にも満たないだなんて、割が合わないにもほどがある。


 彼女自身がそれをどう思っているのか……なんて問いかけは愚問だろう。こうして本人を目の当たりにすれば、火を見るよりも明らかだ。


 顔立ちこそ整っているがその表情は色褪せてしまっており、伏し目がちに覗く瞳は抜き身の刀のように冷たい。美人というのは黙っていると怖いものだと聞くが、それを身をもって味わう羽目になるとは少し前の俺は想像もしていなかった。


 こうして夜宮霞と顔を合わせるのは今日が初めてというわけじゃない。最初に彼女が旧特別棟へ訪れたのはゴールデンウィークに入る前のことだ。それ以来この場所が気に入ったのか、昼休みになると時折居座るようになっていた。


 この待合スペースは旧特別棟が運営していることをいいことに勝手に使っているため、公になれば私的利用で文句を付けられてもしかたがない。そのため口出しせずに不干渉を貫いているのだが……如何せん、ここに居るときの夜宮霞はいつもご機嫌斜めなのだ。そんな状態で同じ空間に居られると、気にしないというのも限度がある。

 悩みも不満も好きなだけ抱えてもらって構わないが、少しは隠す努力をしてほしいところだ。


 とはいえ、そんなことを彼女に言おうものならどんな報復をされるかわかったもんじゃない。それに本当に限界を感じたのなら、そのときは諦めてこちらが他の場所へ移ればいいだけの話だ。


 ――――沈みかけていた意識を浮上させ、姿勢を正す。


 もうしばらく無駄を楽しむのも悪くないと思っていたが、この状況でそれを続けられるほど肝は据わっていない。泉から受け取った課題の質問に対する解説を作ろうにも、昼休みの時間だけでは中途半端に終わりそうだ。


 そうなると残された選択肢は手持ちの弁当を食べるくらいなもので、何もしないよりはましだとテーブルに乗せたままの鞄からそれを取り出そうとする。


「――――どうしていつもここにいるの?」


 ……と思った矢先に、全くもって想定していなかった事態が起こった。


 反射的に声がした方へと振り向く。いつの間に移動していたのか、先程まで階段付近にいたはずの彼女は俺の背後にまで近づいていたのだ。


「…………それ、もしかしなくても俺に向かって言ってたりする?」

「他に誰かいるなら、君はそんな間の抜けた反応しないと思うけど」

「そうだな。いっそのこと、幽霊でもいてくれた方がよかったかもしれない」


 そうすればこんな時期だというのに背筋が凍りそうであることや謎の重圧感に押し潰されそうなことにも言い訳が立つというものだ。振り向いた先に待ち受けているとか、仮に定番なホラー演出とわかっていたとしても心臓に悪い。悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。


「…………」


 もっとも、そんな現実逃避ができるほどの余裕は残されていないようで。不機嫌な態度を露わにしたままこちらを見据える彼女は “ふざけてないでさっさと答えろ” と目で訴えていた。


「別に、ただの気晴らしだよ。たまには教室に居たくない時だってあるだろ?」

「その割には、随分と気楽そうに見えるけど? だらしない顔してるし」


 いつにも増して機嫌が悪いのか、夜宮霞はやけに強気な口調で突っかかってくる。


 ……相手にするのも面倒だな、というのが素直な所感だった。厚かましいというかなんというか……人のことを言えた質でもないが、もうちょっとどうにかならなかったのだろうか? 


 何度か顔を合わせているにしろ、こうして話すのは当然初めてなわけで。だというのに、そんな威圧するような態度を取るだなんて礼儀というものがなっていないと言わざるを得ない。


 もっとも、不快であることを言葉や態度に表すなんて真似をするほど幼稚でもない。ましてや諭すだなんて以ての外だ、そんなものはお優しい大人の役目だろう。


 あくまでも事務的な対応を心がけて、整然と言葉を返す。


「それだけが取り柄みたいなものだからな。今日は連休明けの初日だけあって、憂鬱気味だけど。その様子だと、気分が優れないのはお互い様だろ?」


 だからこれ以上の話はやめにしよう、というニュアンスを込めて俺は再び鞄から弁当を取り出そうと手を伸ばす。


 どこに地雷があるのかもわからない相手に踏み込むなんて真似はしないし、彼女もそんなつもりで話しかけてきたわけではないだろう。聞かれたことには答えたのだし、話を打ち切る区切りとしても悪くはないはずだ。


「そう、だったら丁度いいね。少し私の八つ当たりに付き合ってよ」


 ――――はずなのだが。どうやら、そうは問屋が卸さないらしい。というか、今物凄く物騒なワードが聞こえた気がするのだが……いったい何を血迷ったことを言い出しているんだ、こいつは?


「は?」


 予想外続きの展開に頭が追い付けず、またしても反射的に、そして先程よりも間抜けな反応をしてしまっていた。


「君の言う通り、私は今凄く気が立っているの。もうどうしようもないくらいに……それこそ、ただくつろいでいるだけの人を見ることすら許せないぐらいに、ね?」

「――――――――よし。よくわからんがとりあえず落ち着け、落ち着いて深呼吸しろ。おまえには俺がサンドバッグにでも見えているのか?」


 身の危険を感じて思わず席を立つ。本気で絶句したのは果たしていつぶりだろうか? 口元がほんの僅かに緩んだかと思えば、とんでもないことを言い出したぞこの女。


「心配しなくても手を上げるような真似はしないから、少し話し相手になってもらいたいだけ。こんなところでいつも時間を持て余している暇人なんだから、別にいいでしょ?」


 最後まで言い切る前に夜宮霞は正面にあるテーブルの向かいに座っていた。どうやらこちらに選択の余地など初めから無かったらしい。


「いつまでも立ってないで座ったら? それとも、私とは口もききたくないってこと?」

「…………わかった、降参だ。もう愚痴でも罵倒でも好きにしてくれ」


 おまけに追い打ちまで余念がないときた。悪あがきすら許されないのならこれ以上の打つ手はない。


 こうなればもうやけっぱちだ。そっちが威圧的な態度を取るというのなら、こっちだって無愛想な態度を貫くまでのこと。

 先に引き金を引いたのは向こうなのだ。朝霧家は撤退も逃亡も受け入れるが、降伏の二文字だけはありえない、徹底抗戦あるのみである。もちろん我が家にそんな家訓は存在していないが。

 

 そんな、もうどうにでもなれという心持ちで彼女の前に座り直すことにした。


「罵倒って、君は私を何だと思って……」

「あ、悪いけど食べながらでもいいか? お昼をまだ済ませていなかったんだ。おまえの言う通り、暇を持て余していたもんだからすっかり忘れていたよ」

「――――っ。 …………はぁ、もう好きにしたら? そんなこといちいち気にしないでいいから」


 間抜けな発言続きで呆れさせてしまったのか、彼女は張り詰めていた空気を吐き出すようにため息をつくと腕を組んで背を預けた。相変わらず伏し目がちではあるけれど、その眼光は少しだけ和らいでいるように見えた。


「じゃ、お言葉に甘えて」


 断りもいれたところで、今度こそ鞄の中から本日のお弁当を取り出す。


 ……しかし、自分で言いだしておいてなんなのだが。この状況で一人食事するというのは居心地が悪いにもほどがある。いったいどうしてこんなことになってしまったのか?


 “同学年で名の知れた麗しき女子生徒と昼休みに二人きりで相席している”


 状況を端的に言葉にしてみれば何とまぁ、どこに不満があるのだといわれてもしかたないと思う。問題があるとすれば、その女子生徒は大変ご機嫌斜めであり、一歩間違えれば平穏な昼休みが無事破壊されるということなのだが。

 オチを付けるために突然時限爆弾が現れるなんて、サスペンスやアクション映画なら許されるのかもしれないが、こんな日常生活の中でほいほい出していい代物ではないだろうに。


 構図的にも相席というよりは取り調べだとか尋問だとか、そういう呼び方の方がしっくりくる。デスクランプでも置けばなおのこと様になるだろう。いっそのこと弁当じゃなくてかつ丼でも用意すべきだったかな? それだと俺は容疑者になってしまうわけだが。


 この様子だと自白させられるのも時間の問題だろう。面会時間終了までまだ30分以上あるが、既に耐えられる気がしない。こうして犯人はでっち上げられるのか……そりゃあ、こんな重圧の中で犯人扱いされ続ければ是が非でも解放されたいと思うだろう。一種の洗脳じみた何かを感じる気がするなぁ。


 ――――なんて、脳内一人芝居でも繰り広げていないとやってられなかった。夜宮霞がどういう意図で話しかけてきたのかわからない以上、はてさて何から手を付けたものか。


「………………気にしないでいいと言ったのは私だけど、そこまで無視しなくてもいいんじゃない?」


 こちらが無視を決め込んでいるように見えたのか、夜宮霞は苦笑交じりに呟く。それはこれまでのような不満からではなく、純粋な疑問からきているようだった。


「面と向かって話すのはこれが初めてのはずだけど……そっちはそうじゃなかったりする?」

「いや、その認識で合ってる。挨拶を交わした覚えもないし、廊下ですれ違うこともなかったんじゃないか?」


 一年生の教室は各クラスとも本校舎の4階にあり、それぞれ1組から4組に分けられている。平均在籍数は40人前後で俺のクラスの場合、男女比率は6対4といったところだが学年全体で見れば半々というところだ。


 俺が在籍している1年2組に夜宮霞はいないため、彼女はそれ以外のクラスだということしかわからない。それに加えて校舎内の中央階段を境に、3組と4組は2組とは反対の方角にあるため、そのどちらかであれば自主的な交流がない限り顔を合わせる機会すら得られないのだ。


「そっか。もしかしたら私が覚えていないだけかと思ったけど、思い過ごしだったみたい」

「その言い方だと、思い過ごしじゃない方が腑に落ちるのか?」

「まぁね、顔も名前も知らない男子と話すなんて日常茶飯事だし。それに私と話そうとする男子なんて、大抵連絡先を求めてくるか告白してくるかの二択だから」

「それはまた極端な二択だな。もう少し無難な選択肢も用意してくれ」


 例えば今日はいい天気ですねとか、月が綺麗ですねとか……いや、それは違うか。どさくさに紛れて何言ってんだとしかならないだろう。


 しかし、こうしてセリフだけを比較すると、どちらもそこまで意味合いに差があるようには感じられない。そもそもいい天気ですねーだなんて、初対面相手に素で言う機会が果たしてあるのだろうか? 山道を歩く登山者じゃあるまいし。


「ふーん。じゃあさ、君だったら私になんて声をかけるの?」


 挑戦的な口調でありながらも、どこか不満そうに夜宮さんは眉をひそめる。文句があるなら模範解答を示せとでも言いたいのだろう。もっとも、そんな便利なものを用意しているはずがないわけで。


「そんな機会は訪れないから考えるだけ無駄だ」


 我関せずと即答すると、夜宮さんはより一層不満を露わにして口を尖らせた。


「……前提から覆してたら意味ないでしょ、ばか」

「なら逆に聞くけど、何で今日は俺に声をかけたんだ? これまでそうしなかったのは、初めからその必要がなかったからだろ?」

「それは…………言ったでしょ、八つ当たりだって。こんなことしてもしかたないって自分でもわかってる」


 早口でまくし立てると、夜宮霞は歯がゆさに苛まれるように唸っている。


 ……改めて見ると、今の彼女はどこか無理をしているように思えなくもない。それに嫌悪感による行動にしてはいささか悪意が足りていないというか。もっと露骨に態度に出ていれば話は違ってくるのだが……目的がなんにせよ、こんなやり方は中途半端だと言わざるを得なかった。


 とにもかくにも、夜宮霞は率先して話しかけてきたわけではないらしい。とはいえ、これまでもお互いに不干渉だったのだから別段驚きもしない。

 

 直接の原因はわからないが……推し量るに、夜宮霞を不快にさせる何かに対して有効な対処法がなく、苛立ちが積もりに積もった結果、暴走してしまっているといったところだろうか。

 奇しくもその暴走が起きたのが今日であり、たまたまその場に居合わせたのが俺だった。怒りの矛先を向けられた俺はこうして逃げ場を失っている……と考えれば、辻褄は合わせられる。


 話し相手になればそれでいいというのも、彼女にとっては気を紛らわせるための手段に過ぎないのだろう。俺も夜宮霞の態度を気にしないようにすることが限界だと感じたのなら、しばらくはここに立ち寄らないようにしようと考えていた。


 方法こそ違えど、やろうとしていることの意味合いは同じことだ。いうなれば、自分一人ではどうにもならない状況に陥ったが故の対症療法のようなものである。


 正直とばっちりもいいところだが、それは言っても何も始まらないし建設的じゃない。先んじて俺がすべきことは、この時間だけでも彼女が平静さを保っていられるように機嫌を取ることだろう。


「……事情はよくわからないけど、要は間が悪かったってことか。それなら八つ当たりされてもしかたないな」


 下手に不信感を抱かれないよう、粛々と答えたつもりだった。


 しかしこちらの対応にどこか思うところがあったのか、それを聞いた夜宮霞は一瞬伏し目がちだった瞼を開けたものの、すぐさま考え込むように視線を下に落としてしまう。しばしの間、口を閉ざしたままだったが、考えはまとまったのか一呼吸を挟んでからこちらへ向き直った。


 和らいでいた眼光は鋭さを増していて、露わになった淡香色うすこういろの瞳には残り火のような怒りが微かに揺らいでいるように感じ取れた。


「やけに物分かりがいいね? 私が言うことじゃないかもしれないけど、君はそれで良いの?」

「別に良いも悪いもない。既に起きてしまったことをいちいち気に病んだって何も始まらないだろ? だったら、早々に切り替えた方が幾分かましになる」

「ましになるって……君が負担を背負うことに変わりはないのに?」

「そうだとしても、それはおまえが気にすることじゃないだろ。俺が勝手にやることなんだから、おまえには無関係だ」


 色々と考えをこねくり回してはいるが、結局のところ自らの保身を最優先にして都合のいい解釈をしているに過ぎない。だから、夜宮霞が心配するようなことなんて何もないはずだ。


「それはっ…………確かに、そう、だけど。でも、その…………~~~~っ!!」


 しかし彼女としてはどこか納得がいかないところがあるのか、懸命に言葉を絞り出そうとしていた。しばらくの間そうしていたものの、どうやら上手くいかなかったようで、それを誤魔化すように口を尖らせる。


「………見かけによらず強い人なんだね、君は」

「褒め言葉をどうもありがとう、全然そう思ってるようには見えないけどな」

「うるさい。私だってもっと上手く返すつもりだったのに…………ぐぬぬ」

「いやそんな風に睨まれてもなぁ……」


 恨めしそうに睨む彼女から逃れるように顔を反らしつつ、ようやく弁当の蓋に手をかける。鞄から取り出してからというものの、その存在をすっかりと忘れてしまっていた。


 …………いや、それほどまでに目の前にいる彼女に意識を割かれていたということだろうか。


 こんな至近距離で、それも正面から夜宮霞の顔を見る機会なんて今後訪れることもないだろう。浮かんでくる感想としては均整の取れた顔立ちをしているなという、遠目から見るときとさして変わり映えしないものだった。けれど、一つ違うことがあるとすれば、思った以上に夜宮霞は感情を表に出しているというところだろうか。


 いつも無表情を貫いていたから顔に出さない方だと勝手に思っていたが、こうして目の前にいるとそういうわけでもないというか……全く不満を隠そうともしないあたり、むしろその逆ではないかとすら思える。


 たかだか数分のやり取りで決めつけるには早すぎるだろうけれど、俺が考えている以上に夜宮霞は感情豊かなのかもしれない。全く、どっちが見かけによらないんだが。


「…………今更だけどさ。君、名前はなんていうの?」


 不服そうな顔のまま、それを紛らわすように夜宮霞は素っ気なく問うてくる。


「本当に今更だな。それに、人に名前を聞くときはまず自分からじゃないのか?」

「私の事なら、わざわざ名乗らなくても知っているんじゃないの? 多分、君も一年生だろうし」

「だとしても関係ないだろ。本人から直接聞いたわけじゃないんだから」

「変なところにこだわるのね……まぁいいけど。じゃあ改めて――――私は夜宮やみやかすみ、一年でクラスは4組。それで、君は?」


 自己紹介というにはあまりにも簡素が過ぎるだろと思わず突っ込みたくなったが、これで満足か? と目で訴えてくるあたり本人としてはこれでも十分なのだろう。


 だったら、こちらも自分なりのやり方というものを示さなければ不作法というものだろう。入学初日の恒例行事じゃあるまいし、クラスメイトの目を気にして調整済みのテンプレートを口にするなんて馬鹿馬鹿しい。


 内心では嗜虐気味に頬を引きつらせながらも、わざとらしいくらいに微笑むことを意識して、俺はいたって真面目に自己紹介をすることにした。


朝霧あさぎり涼也りょうやだ、同じく一年でクラスは2組。 座右の銘は “無気力・無頓着でノープロブレム” 。毎日を適当に生きてるだけの、どこにでもいる平凡な男子生徒だ。次の機会はたぶんきっと、いや恐らくないだろうけど。どうぞお見知りおきを」

「……………………??」


 瞬きすら忘れてフリーズしてしまった夜宮霞はそのまま呆然としてしまっている。僅かに開いた口元は何かを言おうとしているのかもしれないが、どうやら脳内処理が済んでいないらしい。困惑した表情のまま、ピクリとも動かなかった。


 その顔が見たかったァ……! と、妹と夜更かしして遊んでいる時の深夜テンションなら、迷わずキメ顔で飛び込みたくなるような顔だ。おかしくて今にも笑ってしまいそうだが、思わず吹き出さないよう懸命に笑顔を取り繕う。我ながら何をやっているんだが。


「……とりあえず、君がどうしようない馬鹿だってことだけはわかったよ。朝霧あさぎり涼也りょうや君?」


 そんな俺を軽蔑するように、正気に戻った夜宮さんは頭を抱えながら冷ややかな目を向けるのだった。


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