第33話 最初の鱗

 最初に目を覚ましたのはレイナであった。

 

「あ、あれ?」

 

 レイナにとっては、ほんの一瞬の出来事。気を失っている間に世界が再構築されたことなど知る由もない。だが竜神も魔王もいつの間にか消え、空には星が輝いていた。

 ブルーは手を差し伸べゆっくりとレイナを起こす。

 

「大丈夫。ローズが竜神様を取り戻してくれたよ。だから、最後の一枚……最初の約束を果たすね」

「最初?」

「うん……ごめんね、レイナ」


 レイナがブルーの言葉に戸惑っていると、少し離れた場所でクライスも目を覚ます。

 

「な、なにが……」

 

 ブルーに守られていたとはいえ、神を降ろしたクライスは酷く消耗しており、記憶も曖昧になっていた。

 ブルーはレイナから手を離すとゆっくりとクライスの方に歩む。

 

「く、来るな!」

 

 未だに立つことができないクライスは、地面を引き摺りながら後退りする。記憶になくとも体は恐怖を覚えている。目の前の少女は、自分が降ろしたナニカと対等に言葉を交わせるほどの存在。なんとか立ち上がり必死に逃げようとするクライスは、何かに躓いて地面に転がる。それは悪魔の抜け殻であり、実の弟の死体。まるで掴まれているかのようにフォルテの手が足に絡まり身動きがとれなくなる。

 

「ひいっ!!」

 

 実の弟の落ち窪んだ真っ黒な両の目に見つめられたクライスが情けない声をあげる。


「最初の一枚を返すよ。これは君のものだよ」


 倒れるクライスに一枚の鱗がひらひらと舞い落ちる。振り払おうとした手にその鱗が触れると記憶が流れ込む。それはクライスの父である先王の最期の記憶。


 

 暗い洞窟の中で、手も足も半ばまで消えた彼は、目の前の青いスライムに話しかけていた。

 

「おかしな魔物だ……介錯しに来てくれたのか?」

 

 スライムはフルと小さく頷く。どこか申し訳なさそうなその姿に、王は少しだけ笑みを見せる。

 

「優しいのだな……其方からは竜神様に似た高潔な魂を感じる。しかし勝手を言ってすまぬが、もう少しだけ待ってはくれぬか?」

 

 スライムは体を傾け、なぜかと問う。

 

「この地の力を我が身に宿せないかと思ってな。そうすれば、あの息子バカ共を止めることができるかもしれんと考えたのだ。いや、無茶なことを言ってるのは分かっておる、意味がないことも。だが消滅するその瞬間まで足掻かなければ、ついてきてくれた民に対して申し訳が立たないのだ」

 

 スライムは小さく頷くと、手を出さずに王を見守った。王は言葉通り心臓が停止するギリギリまで足掻き続けた。意味のない足掻きをみせる王に、スライムは途中から魔法をかけ続けた。意味のない回復魔法を。そして最後の鼓動が鳴り止む寸前にその心臓を破壊し、残された一枚の鱗を大切に抱えた。



 そこで記憶は途切れる。流れ込んだ父の最期の記憶に困惑するクライスであったが、ふと鱗が触れた右手に違和感を感じる。見れば指先から徐々に消え始めていた。

 

「な、なんだこれは! やめろ! やめてくれ!!」

 

 恐怖と混乱に襲われるクライスに、ブルーが静かに告げる。

 

「最初の彼は二階層の半ばまで来たんだ。これは結構凄いことなんだよ。そこで動けなくなってボクに殺された。だけど彼は最後まで足掻いて、そしてほんの少しだけど、本当に手に入れたんだ、ボクがいたダンジョンの力を。それは二階層で課せられる分解の効果。王として、彼が君に遺したものだよ」


 ブルーが淡々と説明している間も分解は止まらない。


「分解だと!? な、なんだそれは! た、頼む! これを止めてくれ!」


 それはブルーにとっては何度も見た光景。必死に止めてくれと懇願するクライスをブルーは寂しそうに見つめる。


「もう一つ、彼は最後に君への言葉を遺したんだ」

 

「な、なにを! そんなことよりこれを……」

 

「彼はたくさん怒って悲しんで、だけど最後までこの想いは消せなかったんだって。どれだけ間違ったことに使ったとしても、その努力と才能は本物だって。だから彼は最後に言ったんだ。それだけの力を手に入れた君のことを……」


 

 

「『誇りに思う』って」


 

 

「…………」


 

 

 風が吹く。

 


 竜が羽ばたいたかのような突風が魂を揺らす。王として息子の滅びを望んだ男が最期に遺したのは、父としての想い。クライスは口を開いたまま呆然と固まる。生きることに、力を得ることに固執していたクライスの動きがとまる。

 静寂の中、分解だけが進む。側にあったフォルテの死体もまた、兄に寄り添うように分解される。最後に残されたのはクライスの目からこぼれた一粒の雫。それさえ地面につく前に分解され、残された微かな光が風に乗り空を舞う。

 


「…………人間は不思議だね」

 


 レイナとブルーだけが残された王宮の屋上で、ブルーが静かに呟く。レイナはブルーの横に並ぶとその手をそっと握る。僅かに震えるその手から伝わる感情は、戸惑いと後悔。

 今のブルーなら、二階層程度の分解であれば、打ち消すことができたかもしれない。

 それでもブルーは、先王が残した呪いと想いを届けることを、約束を果たすことを優先した。ブルーにはこれでよかったのかは分からない。冷えた魔物の心に触れるレイナの手の温もりが、今はただありがたかった。

 


「あとは竜神様だけだね」

 


 しばらくして、しんみりとした空気を振り払うようにブルーが言う。ブルーはローズが神から掠め取った黒いカケラをレイナに見せる。


「ローズが言ってたけど、この国にあった竜神様の加護は消えちゃったんだ。泣き神様との繋がりが消えて、神格を失ったからだって。よく分からないけど、全部元通りにはならないみたい……ごめんね」


「ううん、謝ることなんて一つもないよ! ブルーさんとローズさんには感謝してもし足りないくらいなのに。それに……竜神様には自由になってほしい。例え神様じゃなくなっても私達は竜神様から受けた恩を決して忘れないし、竜神様が望まれるなら共に生きていきたい。それが私……だけじゃなくてきっと私達の願いだから」


 レイナの決意にブルーが頷く。


「わかった……じゃあ始めるよ」


 ブルーが黒いカケラに魔力と祈りを込める。黒いカケラはシュタリオンのコアの一部。コアの大部分が神によって消去されてしまったため、弱体化は免れない。それでも今のブルーなら、コアの一部からその存在を元に戻すことができる。

 そしてブルーはローズから、竜とはどういう存在なのかを聞いていた。竜とはそもそも定まった姿を持たない概念兵器であると。この世界に棄てられた竜、シュタリオンもまた兵器として数々の世界を滅ぼした。そして意思を持ち、その過去に囚われた結果、あのような攻撃的な姿をしていたのではないかと。

 その話を聞いてからブルーはずっと考えていた、竜神様の体を再構築するのであれば、どのような姿がいいのかを。ブルーにとってはローズと戦っていた黒い姿もかっこよかったし、自分達が作った写し身のような美しい白竜もいいなと思う。城門や街に飾られた竜の姿もみんなかっこよかった。だけどブルーが最強だと感じたのは一つ。だからその姿をイメージして再構築を行う。

 黒いカケラが暖かい光に包まれると、徐々に膨らみ始める。ブルーの魔力とカケラが混じり合い、黒いモヤとなって元の竜神のサイズまで膨らむ。そこから今度は黒いモヤが小さくなったり大きくなったりを繰り返す。まるで激しく抵抗するかのようになかなか形が定まらない。しかし最終的にブルーの強引な魔力操作によって人の頭ほどのサイズまで縮む。そしてそこにぴょこんと短い羽と手足が生える。そのまま光が消えると、その姿が固定された。色は黒でも白でもなく茶色。

 それはブルーが竜神祭で見つけ、『最強』と評した饅頭、この国の名物の一つでもある竜神焼きの姿。


 

「ピィィィ(なぜだぁ)!!!」


 

 神の枷を解いた真なる竜が産声をあげた。


 ――――――――――

 本作をお読みいただき、本当にありがとうございます。この後、エピローグが二話(表と裏)あって、一章は終わりです。

 

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