第31話 神の枷
いったいどこで間違えたのか。膝をつくクライスには、この状況が未だに理解できないでいた。
悪魔と契約してから十年。計画に問題はなかった。実際クライスは神の兵器たる竜との契約に至った。それは人間としては破格の偉業であり、クライスもまた超越者の領域に足を踏み入れた、そのはずだったのだ。
それがどういうわけか、とるに足らないはずの少女の前で膝をついている。最初は怒りで頭が真っ白になったが、今は困惑の方が強くなっていた。そもそもなぜ自分はこれほどの怒りを抱えているのか。いや、心の奥底では分かっている。クライスは魔王を見た瞬間に気づいてしまったのだ、届かないかもしれないと。竜の力をもってしても、この埒外の化物には勝てないかもしれないと。しかしクライスのプライドがそれを認めようとはしなかった。だから怒りで全てを誤魔化そうとした。
だがもう誤魔化せない。目の前でナイフを振る少女は確かに優れている。しかしその実力は間違ってもクライスに届くようなものではない。実際クライスは何度もこの少女を殺したのだから。そう、殺したはずなのだ。なのに今も無傷で油断なくこちらの様子を伺っている。なぜか。悪魔は去り際に言っていた。イレギュラーは一つではないと。
――こいつだ。
ひとり何をするでもなくクライスとレイナの戦闘を心配そうに見つめ、かと思えば上空の化物同士の戦いに目を輝かせる蒼髪の少女。この場においてあまりにも異質なその存在。クライスの目には力のない人間にしか見えなかった。だがこの人間しかいないのだ。レイナに何かしらの力を与え、その傷を有り得ない速度で癒しているのは。詠唱もなければ魔法の起動さえわからない。そもそも魔法なのかさえわからない。ただ呼吸をするように、それが当然であるかのように一瞬で傷を癒し、なかったことにする。そんなことがただの人間にできるはずがないのだ。
そしてそれを証明するように蒼髪の少女、ブルーが本来の力を解放する。
「了解だよ、ローズ! じゃあコレ預けとくねー」
場違いな明るい声と共に紅い石のカケラが投げられ、その封印が解かれる。まるで世界が切り替わったかのように突如として膨大な魔素が顕になる。天高く聳える漆黒の柱。あまりにも濃密な魔素によって出来たそれが、次の瞬間には全てブルーの中へと吸い込まれる。先ほどまでとは違い莫大な魔力を宿したその存在を前にクライスの体が震え出す。
レイナもまた声を出せずにいた。これまでも突然ブルーの雰囲気が変わることはあった。ミリーとの一件や、最初に怪我を治してもらった時、どこか侵し難い空気を纏っていた。だがここまでの圧倒的な力は感じなかった。魔王であるローズよりも遥かに濃密な魔の気配。人の姿をしたナニカ。思い出すのは父と母の最期を見届けた青いスライム。
「ブルーさん……なの?」
レイナから辛うじて漏れたその声には畏怖と共に、ブルーのことを心配する気持ちが含まれていた。
その言葉にブルーは穏やかな笑みで返し、心配ないとその透き通った蒼い目でレイナに伝える。そして始まったのは世界を包む奇跡の魔法。暖かな光は全てを癒し保護する。そこに善人も悪人もない。だからレイナがつけたクライスの傷さえも癒えてしまう。
「ごめんね。ちょっと失敗しちゃって、その人も竜神様も範囲に入っちゃった」
ブルーは恥ずかしそうに片手を頭にやりながら、レイナとクライスの方を向く。
「だから、ローズの方が終わるまでちょっと待っててね」
「……」
「……」
レイナもクライスも事態についていけず言葉を失う。上を見上げれば竜と魔王の戦いは先ほどよりも激しさを増していた。
だがおかしい、二人の体は攻撃を受けた瞬間から癒やされていく。それだけではない、二人の攻撃の余波で崩れたはずの街も逆再生するかのように一瞬で元通りになる。竜と魔王が全力で暴れるための箱庭、それをブルーが創り出したのだ。
*
ブルーの力を誰よりも理解しているのはローズである。だからこそローズもまた自身の力を解放する。
「終焉の扉を開き顕現せよ、全てを焼き尽くす消えることなき原初の炎よ」
「なっ!? この世界を地獄に変える気か」
これまでどんな大魔法も無詠唱で打ち込んでいたローズが詠唱しなければならないほどの魔法。それは神話の時代に幾つもの世界を焼き尽くし、今なお消えることのない原初の炎、その再現。竜でさえ畏怖するその炎で街を包む。
「これくらいしないと、あの子の力には対抗できないわ」
全てを焼き尽くす炎に包まれた竜神と街はしかし一切のダメージを受けない。焼かれたそばから回復する。消えぬ炎と回復の光がせめぎ合う様に竜神は辟易する。
「うぅ、気持ちが悪い……魔王よ、お主この炎は消せるのだろうな?」
「消せるわけないじゃない。消えぬ炎ってちゃんと言ったでしょ? 消せるとしたら……神か、それに仕える者だけ。つまりここでは貴方だけね」
「なっ!? 馬鹿なっ!」
「早くした方がいいわよ。一応、一般人は対象から外したけど、この炎を長時間見ていたら、いくらブルーに守られていても魂を消耗するわよ?」
実際に炎を見つめる住民は虚な表情をしていた。ワイバーンの襲撃から始まり、上空で始まった怪物同士の衝突、いくら傷がつかないと言ってもその一連の出来事で既にこの街の住人の精神は限界になっていた。そこに現れた消えることのない炎に人々は魅入られ、目が離せなくなっていた。
「この鬼畜魔王がっ! 嵐纏!」
嵐を纏った竜神が強く羽ばたき巨大な風を起こす。竜神が使える最高位の風魔法によって炎の勢いは一時的に弱まる。しかし完全に消すには至らない。それどころかローズはその風を利用してさらに炎を強める。
「いい風ね」
「お主、楽しんでおるだろっ!!?」
「おしゃべりしている暇があるの?」
「くっ……」
魔王に見事に手玉に取られる竜神であったが、彼にはもう一つ、奥の手があった。それは真名の解放。これをすれば竜の真の力を引き出すことができる。ただし真名を晒すことは完全なる支配権を奪われかねない危険な賭けであった。未だクライスとの繋がりが消えない状況で、これを使えばどうなるかわからない。だが魔王の魔王たる所業によって、もはや悩んでいる猶予はなかった。
「ままよ! 我は廃棄されし古の槍の一つ。真なる名をシュタリオン! 風よ、我に従え!」
真名を明かした竜神が一陣の風になって街を駆ける。その突風によって炎が次々と消えていく。同時に街の住人に与える加護を強化する。契約者の命令とは無関係に自分の力を解放し、人々を守る姿はまさに守護者であった。そしてその行動は竜神を縛る最後の扉へと触れる。
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全ての炎が消えたタイミングで、竜神の中にノイズが生じる。自分を創りし存在による何らかの警告。何を言っているのかはわからない。だが自分を縛ろうとする力に、これが魔王が言っていた神が残した枷であると確信する。
竜神が神の枷に触れた時、クライスもまた竜神との契約が消えかかっていることに気づいていた。最初から魔王とブルーの手の上で踊らされていたことを知ったクライスは、さらにブルーによって無限の回復を与えられ、箱庭の一部として死ぬことさえ許されなくなった。そして今、手に入れた仮初の力さえ失おうとしていた。
どこで間違えたのか。
繰り返される疑問に答える者はいない。
(xxxxxxxx)
だがそんな哀れで下等な人間を、戯れに利用しようとする存在はいる。
声が響く。
呪いと破滅と祝福をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせた声。
クライスが最も優れていたのは魔法でも剣技でもない。彼の本質は
魂がそちらに引っ張られるからこそ、人間を下等なものとして扱い、自分がその下等な人間であることが許せなかったのだ。
そしてその能力ゆえに利用される。タイミングも悪かった。辛うじて竜との繋がりが残っている状態で竜が神の枷に触れた。さらに同じ場所で箱庭と原初の炎という二つの神域の魔法が観測された。退屈な神の興味を引くには十分であった。
(xxxxxxxxxx)
クライスはなけなしの自尊心を捨て、その声に縋る。何を言ってるのかはわからない。だが上位の存在であることはわかる。それこそ自分の計画を台無しにした人外共に並ぶ、あるいはそれすらも超えるナニカ。得体の知れないその存在に、クライスは全てを捧げて力を乞う。
神が嗤う。
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