第30話 魔王のワルツとブルーの本気

 レイナとクライスが戦っていた同時刻、上空ではローズと竜が向かい合っていた。魔王を殺せというクライスの命令を竜は粛々と受け入れる。


「命令ニ従ウ。対象ノ排除ニ移行」

「いいの? 出来もしない命令を聞いて」


 ローズはどこまでも不敵に神の兵器を挑発する。


「……微弱ナ精神攻撃ヲ確認。影響ナシ。目標、仮想上位竜。遠距離魔法型ト推定。対策。魔法抵抗値ノ強化。速度上昇。物理攻撃ヲ主体トスル近接戦闘ガ最適」


 竜は先ほどのローズの攻撃から最適な対策を導き出す。


「はぁ……これだから貴方達はつまらないのよ。魔法で攻撃されて、それがそこそこ効いたから物理攻撃に切り替えるですって? とっても退屈な選択だわ。魔法には魔法! この星が消えてなくなるくらい魔法を撃ち合いましょうよ! それがロマンじゃない」


 ローズは竜が言うように魔法特化、というよりも魔法狂である。せっかく神の兵器とやり合うなら派手な魔法合戦をしたいが、感情のない今の竜には何一つ理解できない。

 

「微弱ナ精神攻撃ヲ確認……」

「してないわよ! ちょっと嫌味を言ってるだけじゃない」

「……理解不能。対話ノ必要性ヲ否定」


 これ以上の対話は不要とばかりに、竜は息を吸い込むと全身に身体強化を施し、高速でローズに向かって突進する。


「あっそ。じゃあ体に教えてあげる」


 つまらなさそうにローズは右手をすっと横に振る。竜とローズの間に十枚の薄い障壁が生まれる。その障壁は柔らかく、弾丸となった竜を受け止め勢いを殺す。それでも突進の勢いのまま一枚、二枚と突き破り、三枚目と四枚目をその爪で切り裂く。しかし竜の勢いはそこで止まり、五枚目を突き破る事なく止まる。


「あら? 驚いたわ、五枚も無駄になってしまうなんて」

「……」


 ローズは大袈裟に驚いてみせ、竜を煽る。


「まぁいいわ、再利用しましょう」


 ローズが指をくるりと回すと残りの五つの障壁が歪み、一本の槍へと束ねられる。竜は咄嗟に距離をとろうとするが、槍はそれよりも早く竜の腹を突き刺す。そしてそのまま元の場所へと押し返す。最初のリプレイのように再度、街の上の障壁へと叩きつけられる。


「なんだか期待はずれだわ」


 ローズは退屈そうに毛先を弄る。


「損傷率三十パーセント……自動回復開始……敵脅威度ヲ上方修正」


 いまだに悠長に分析を続ける竜にローズは心底呆れた声を出す。


「ねぇ、貴方もう少し真面目にやってくれない? これでは弱い者いじめみたいで、みっともないわ」

「対話ノ必要性ヲ否定」

「それともこれで全力なの?」

「対話ハ不要」

「やっぱり、あの悪魔が言っていたように、貴方って偽物なのかしら?」

「…………」


 『偽物』その言葉を聞いて竜の反応が止まる。ローズの口角がわずかにあがる。


「あら? 図星なの? そうよね、竜がこんなに弱いわけないわよね」

「……黙レ」

「こんな偽物が竜神だなんて笑ってしまうわ」

「黙レェェェ!!」


 雄叫びをあげた竜が弾丸となってローズに突貫する。先ほどよりも遥かに速く一瞬で距離をつめ、その毒牙でローズの細い体を噛み砕く。四つに割れた口で粉々に砕かれたローズの体は、しかし蜃気楼のようにゆらめきながら消える。

 幻影。

 動きの止まった竜の頭上にローズが現れる。転移に気づいた竜が頭を上げ魔法障壁を張る。ローズは空中で体の軸を傾け回転し、その勢いのまま蹴りを見舞う。障壁を突き破ったつま先は竜の脳天をへこませそのまま下へと突き落とす。まさかの物理。それも可憐な少女に似つかわしくない豪快な回し蹴り。九つの目を見開いて竜が落ちる。

 これで三度目。


「力を抑えることばかり考えてるからそうなるのよ」

「損傷率四十パーセント……ナゼ」


 竜にはこの状況が理解できない。ローズの規格外の強さを加味しても、ここまで一方的になるのはおかしい。分析と計算が狂う。思考のノイズが徐々に大きくなる。


「どうせ今だにここの住民を傷つけたくない、とか思ってるんでしょ?」


 ローズは何でもないように、竜が気付かないノイズの正体に言及する。


「コノ地ノ民ヲ殺ス……ソレガ命令……契約ニ従ウ」

「貴方達はいつもそう。力を抑えるために契約に縛られて、その結果、自分の守りたいものさえ自分で壊す。本当にくだらないわ」

「コノ力ハ過剰……縛ラネバ何モカモ壊ス」

「そうやって言い訳して、諦めるから何一つ守れないのよ。貴方なんかよりレイナの方がよほど強いわ。あの子はほとんど全てを失くして、それでも最後まで諦めなかった」


 その名前は知っている。最後まで一緒に戦ってくれた少女。守りたくて、だけど守れなかった友の名前。ノイズが大きくなる。思考が混線する。レイナが守ったパンくずの一欠片が存在を主張する。


「レイナ……前契約者、ソノ最後ノカケラ」

「そう。そしてあの子のおかげで貴方はまだ貴方でいられる」


「我ハ……神ニツカエル者……否……我ハ竜神……コノ地ノ守護者……否……我ハ……思考ノイズ増大……除去……失敗……皆ヲ守ラネバ」


 竜神であった記憶が、想いが、意思が、徐々に蘇る。


「やっと帰ってきたかしら。でも貴方が力を抑える限り貴方は解放されない。いつまでも契約者と……そして神の傀儡よ」

「解放ダト……」

「そうよ、全ての力を出し切った先で貴方を縛るもの、それこそが神の枷。だからさっさと本気を出しなさい。貴方が恐れる貴方の本気を。そんなものは大した事がないって事を私達が教えてあげる」


 レイナが守ったほんの少しの竜神の意思は未だに弱く、本体の制御ができない。故にこれまで無意識で力を抑えることしかできなかった。しかし目の前の魔王を名乗る存在はそれをやめろと言う。


「……後悔スル事ニナルゾ」

「ふふっ、とっても小物っぽいセリフでお似合いだわ」

「減ラズ口ヲ……飛爪」


 竜が爪を振るう。それは魔法によって極限まで加速された斬撃。ローズは先ほどと同じように十枚の魔法障壁を張る。しかし鎌鼬を伴う複数の斬撃は次々と障壁を破り、その一つが遂にローズに届く。ローズはその斬撃を何でもないように手で払いのけるが、その際に指先がほんの少しだけ切れ血が流れる。それを見てローズは笑みを深める。


「それでいいわ。では第二ラウンドと行きましょう」


 ローズは下にいるブルーに声をかける。


「ブルー! 街の障壁を解くわ! みんなを守ってちょうだい」

「偉ソウニ御託ヲ並ベタクセニ結局他者ヲ頼ルノカ」

「ちがうわ、貴方が全力を出せるように憂いを払ってあげるのよ、あの子がね」

「……ナニヲ」


「了解だよ、ローズ! じゃあコレ預けとくねー」


 緊張感のない声と共にブルーが紅い石を投げる。ローズがそれを受け取ると、魔素が荒れ狂いローズの力が一気に膨れ上がる。心臓のカケラ二つ分、いやそれ以上の力がローズに戻る。

 

 しかし、それさえ霞むほどの力の爆発がブルーを中心に起こる。ブルーが持っていたローズの心臓のカケラは特別製。他のカケラとは異なり、その機能は突き詰めればただ一つ。ローズはブルーを人間に近づけたと言ったが、それはつまりブルーという規格外の存在の封印である。

 

 そしてそれが今、解放された。


 時が止まる。


 ローズを除く全ての生物が呼吸を忘れる。ブルーの中に存在する静かでそれでいて全く底の見えない魔素の塊が顕になる。広大な海そのものを相手にしているような圧倒的な存在感に、次元の違いを否が応でも認識させられる。


 止まった時の中でブルーだけが動き出す。ゆっくりと街を見下ろし、手を広げ朗々と詠う。


『ボクは全てを癒す者。奇跡を束ね、理を超え、心あるもの、その全ての形を取り戻さん』


 街が、人が、世界が光に包まれる。暖かく優しい光。その効果は一定時間内の完全回復。その対象はブルーが心あるものと判断した全て。ブルーは初めて見るこの世界の全ての営みに感動していた。人や動物や植物だけでなく、人が織った布も、切り出した木材も全てに心を感じていた。

 だから全て。

 この世界全てをこの魔法で保護した。


「……アリエナイ……コレハ世界ノ構築……」


 竜の驚愕にローズが同調する。


「その通り。この魔法の名前は『小さな世界』。あの子が望み、そして手に入れた奇跡。今の私達では残念だけど、掠り傷一つ残すことは出来ないわ……見てなさい」


 そう言ってローズは背の高い建物に魔力弾を打ち込む。建物は一瞬崩れたように見えたが、次の瞬間には元に戻る。

 ブルーだけはこの魔法を回復と捉えているが、実際にはそれを遥かに超えたナニカ。対象に対する全ての破壊行動に対して、異常な速度で再構築を施す。結果的に全ての事象が認識を超えて元に戻る。


「この通り、街のことは気にする必要はないわ。だから本気でやり合いましょう」


 その言葉と共にローズは千にも届く黄金の矢を空中に浮かべる。それが第二ラウンドの始まりの合図。高速で放たれた矢を竜はその羽で止めるが、蓄積するダメージに幾本もの矢が羽を貫通して竜の巨体を串刺しにする。体に穴が空き黒い血を流しながらも竜は獰猛に笑う。

 しかし竜が反撃に移ろうとした次の瞬間、竜もローズも予想していなかった事が起こる。竜が暖かい光に包まれ、傷が塞がり流れた血が体に戻る。

 突然の事に呆然とする竜に対して、ローズは片手で顔を覆う。


「信じられない……あの子、私たちまで対象に含めたのね……なにしてんのよもぉ」


 ここまで不敵な笑みを崩さなかったローズが初めて真顔になる。ローズの計画では竜の息の根を止めるギリギリまでダメージを与えた上で、神が与えた枷を見つけ出し壊す予定であった。その暴力的な計画にも問題はあったが、今はもっと切実な問題に直面していた、他でもないブルーの手によって。


「……ドウイウ事ダ」


 戸惑う竜にローズが説明する。


「あの子はちょっと細かい魔力操作が苦手なのよ。あと……優しすぎるの。だから言葉通りこの世界全部を保護したの。私や貴方、それにあそこで怯えてる今の貴方の主人も含めてね。この魔法が解けるまで、あと十分くらいかしら、それまで誰一人傷つくことは無くなったわ。もうむちゃくちゃね」


「ナ……」


 言葉を継げない竜は、しかし段々とこの異常な状況が面白くなってくる。そして思い出す。前契約者であるレイナと共に振り回された日々を。不安な世界に希望をもたらしてくれた存在を。暖かな光によって竜の意思が蘇る。


「ク、クハハハハ! ムチャクチャダ! ソウデあったな! ブルーはいつもそうであった! あぁなんという茶番! なんと愉快なのだ!」

「あら? 意識が完全に戻ってきたみたいね?」

「あぁ、手間をかけさせた。だが契約は消えておらんし解除もできん。そなたが言うように枷が外れておらんのだろう。我には外し方も分からんが、とにかく本気とやらを出せばいいのであろう? 誰も傷つかぬのであれば望み通り出してやろう! そなたも暴れ足りぬであろう」

「そうね。まさかこんな形で貴方の意識が戻ってくると思わなかったけど、これはこれでありかしら……」


 煮え切らないローズを竜神が笑い飛ばす。


「クハハハ! 今の我はブルーの加護があるからな。しかも……うむ、やはり先ほどの回復で相当調子が上がっとるわ」


 調子に乗り出した竜神に、ローズの頬がヒクヒクと痙攣する。


「……なぜだか面白くない気分だわ。一つ言っておくけどあの子を見つけたのは私なの。それにあの子と今の私は一心同体、私の心臓を探してくれるって約束も……」


 ローズが早口で捲し立てるのを遮るように竜神が放った幾重もの風がローズを切り裂く。

 

「嫉妬か!? みっともないぞ! 魔王ともあろう者が」


 ローズから余裕が消える。


「…………落ち着きなさい、私。所詮トカゲが喚いているだけよ。この私が嫉妬だなんてそんな……」


 俯いたローズがぶつぶつ言いながら空高く巨大な氷の塊をいくつも生成する。そしてそれが一斉に落とされる。空気の抵抗を魔法で極限まで減らした氷の塊が超高速で街へと降りそそぐ。ローズの叫び声と共に。


「だって羨ましいじゃないっ! あなた達ばっかりブルーと楽しそうなことしてっ!!!」


 竜神はそれを高速で飛びながらかわす。


「グハハ! まるで隕石の豪雨であるなっ! 神話の時代の懐かしい光景だ! ならばこれはどうだ?」


 竜の九つの目から極細のレーザーが四方に発射される。その光は氷の塊を一瞬で溶かす。溶かされた氷によって水蒸気が発生し、そこで屈折したレーザーがさらに複雑な軌道を描き四方八方から同時にローズに殺到する。

 ローズはそれを闇魔法で作ったベールで消し去る。その一瞬の隙をついて竜神がローズの頭上に転移すると、尻尾でローズを叩き落とす。その衝撃で街に巨大なクレーターができる。しかしそれさえも逆再生するようにすぐに元に戻る。


「なんとも冒涜的な光景だ……しかし魔王よ、なぜ避けなかった? それに其方……力が増しておらんか?」


 これまでのローズの動きを鑑みれば当たるはずのない攻撃であった。それ故に竜神は第二第三の攻撃を用意していたが、それが無駄になり拍子抜けする。


「ちょっと確認したい事があっただけよ。それにしても少し不味いわね……私もあの子を甘くみていたみたい」


 冷静さを取り戻したローズが真剣な表情で現状を分析する。ブルーの魔法は対象を元の状態に戻すことを目的としている。であればローズの元の状態とはどこか。ブルーにとってそれは出会った頃の元気な姿。故にローズの魔素が徐々に膨れ上がる。


「心臓のカケラ二つで顕現している今の状態で、元の魔素量まで増え続けると制御できなくなるわ」

「ちなみに元の状態はどれほどだ?」

「少なく見積もって今の百倍ね」


 今のローズでさえ竜神と変わらない、あるいはそれ以上の魔力を内包している。それが百倍である。百匹の竜が暴れ回る世界を想像して竜神はゲンナリする。

 

「……ブルーの魔法が切れた瞬間この星が消し飛ぶな……どうすれば良い?」

「私の魔力を減らし続けることと、あの子の魔法のリソースを私以外に注がせるしかないわね。つまり……」

 


 ――この星を滅ぼすつもりで暴れるしかないわね。

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