第29話 レイナの一撃

「そもそも何なのだ貴様らは」


 クライスの問いにレイナは震えながらも毅然とした態度で答える。


「わ、私たちは竜神様を助けにきました」

「助けだと? 笑わせるな。あれは兵器だ。そして今の使用者は私だ。お前は人の剣を『助ける』などとぬかして奪うのか? お前の言っていることは盗人となんら変わらん」


「竜神様は兵器なんかでは……」

「問答は不要だ」


 クライスは炎の矢によってレイナの腹を貫く。再度内臓を焼かれたレイナが苦しそうに膝をつこうとして異変に気づく。


「あ、あれ?」


 抑えたお腹に傷がなく、それどころか燃えたはずの服さえジリジリと逆再生するように元に戻る。


「……何をした?」


 クライスの怪訝な声に対して、レイナは答えに窮する。いや原因はわかっている。自分の横で安心した顔を浮かべているこの少女が何かをしたのであろう。だが何をしたのか分からない。チラリと視線を向ける。クライスがその視線を追いかけてブルーと目が合う。


「貴様か……何をした? いやそもそも貴様はなんだ?」


 クライスには、ブルーは普通の人間に見えていた。レイナと変わらない何の力も持たない一般人。退屈で凡庸、故に気にも止めていなかった。この戦場において謎の魔王とレイナ、そしてこの少女は一緒に現れた。なのになぜ今の今まで気にも止めなかったのか。クライスが冷静であったのなら、もう少し早くその異常性に気付けたかもしれない。


「ボクはブルー。君に少し用があってレイナに付いてきただけ。だけど先にレイナの用事を済ませてからね」

「ふざけてるのかっ!」


 答えになっていないブルーの言葉にクライスは苛立ちを募らせる。しかしそんなことに構わずにブルーはレイナに話しかける。


「レイナはこの人を殺したい?」


 殺す。

 ブルーの言葉はレイナにとって思いもよらないものであった。必死に竜神を助けることばかりを考えていた。だから目の前の元凶ともいえる男に対しても、やめてほしいと願うばかりで、その止め方を考えていなかった。あるいは目を逸らしていたのかもしれない。

 思い出すのは父と母の最期。詳細は分からない。でも間違いなく目の前の男が関わっている。悔しさが、怒りが込み上げてくる。

 殺したい。怒りの感情のままに開きかけた口は、しかしブルーの目に見つめられて止まる。静かな海のようなその瞳に浮かぶのは悲しみの色。あの洞窟でどうすることも出来ずに、父と母を手にかけた魔物と同じ色。


 レイナの怒りが冷える。

 

「…………殺さない。お父さんとお母さんのことを考えると悔しくてしょうがない。だけどたぶん二人とも復讐を望んでいるわけじゃない。だから甘いかもしれないけど、私はこの人を止めるだけ……」

 

「……そっか。うん、わかった……」

「……ブルーさん?」


 何かを迷うようなブルーの感情にレイナは戸惑うが、ブルーの瞳がいつもの優しい色に戻った気がして安堵する。


「ふざけるな……貴様ら如きが、殺す!? 止める!? 調子にのるなぁぁぁ!!!」


 レイナとブルーのやりとりに、もはや怒りを通り越して爆発寸前のクライスが真っ赤な顔で怒鳴る。同時に感情に任せて放たれたいくつもの炎の矢がレイナとブルーを襲う。


「きゃっ」


 その勢いと熱に思わず声を出してしまったレイナであったが、いつまで経っても痛みはやってこない。恐る恐る目を開けると、やはり無傷の自分の体と、肩で息をするクライスの姿が目に入る。


「はぁはぁ……なんなのだ……なぜ魔法が効かないのだ」


 ここに至って漸くクライスは異常な状況を認識する。だがあまりにも遅すぎる。ブルーが両手を広げ空を見上げる。空ではローズと竜神が神話の戦いを繰り広げている。少し目線を下げればたくさんの写し身が優雅に空を飛んでいる。このあり得ない状況を作ったのは誰か。


「みんな、ありがとね……最後にもう一つだけお願い、レイナに力を貸してほしいんだ」


 ブルーは虚空に向けて少しだけ寂しそうに伝える。その言葉と共にブルーとレイナを乗せて飛んだ写し身がフワフワとレイナの元にやってくる。そのままレイナの目の前で動きを止めると、二つの光の玉がゆっくりと抜け出し、レイナに吸い込まれる。


「お父さん、お母さん……それに、これは竜神様の力?」


 さらに他の写し身も次々とレイナの側に飛んできて、そこから抜け出た光の玉がレイナに吸い込まれていく。それはブルーが廃棄ダンジョンで守り抜いた気高き魂の残滓達。ブルーと共に街を守っていたそれらが最後の戦いに赴く。


「うん。ボクには救えなかったけど、竜神様が守ってくれたんだ。ローズが言ってた、あのダンジョンで僅かでも人間の魂が残るなんて奇跡だって……。だけど、たぶんこれが最後。もうこれ以上は形を保てない……」


 残っていることが、形を成したことが奇跡。だけどこの奇跡には終わりがある。写し身は、現し身たりえないのだから。ここが彼らの終着点。

 だから、すべての想いを最後の適合者に託す。レイナに戦いの記憶が流れ込む。クライスと悪魔に騙され蹂躙されながらも懸命に抵抗した前任者達の記憶。魂の残滓は何も語りかけてこない、だが戦い方を教えてくれる。レイナに勇気と力を与えてくれる。

 そしてもう一つ。伝わるのは青いスライムへの感謝。救えなかった? 馬鹿を言うな、お前が守ったのだ! お前が届けたのだ! 全部お前のおかげだ! それを証明しろとレイナの心を燃やす。


 ナイフを構える。その闘志にクライスが吠える。


「ふざけるなぁ!!!」


 クライスは剣を抜き、一瞬でレイナに肉薄すると【強制】でレイナの動きを止め、剣を振り抜く。強力な闇魔法と高速の剣技。何度も適合者達を苦しめた技。しかし前任者の記憶を共有する今のレイナには技。


 レイナは一瞬で魔法をレジストすると、クライスの横薙ぎに対して完璧なタイミングで、右手に持ったナイフを合わせ、その軌道を逸らす。さらに姿勢を落とし、左手で予備のナイフを抜くと、鋭く斜め下方向に振り抜く。その一撃はクライスの太腿に浅くない傷をつける。


「なっ!?」


 まさかのカウンターにクライスは目を見開く。そして太腿から流れる血を見て激昂する。


「はああああああ!!!? 血がああああ!! 血がああああ出てんじゃねぇかクソがあああ!!! おいクソ竜!!! もっと力をよこせええええ!!!」


 怒りのままに竜から逆流する魔素を使って限界まで体を強化する。身体中の筋肉と血管が盛り上がり上昇した体温によって体から湯気が上がる。下を向いたクライスが短く息を吸うと、その姿がレイナの視界から消える。圧倒的なステータス差による猛攻。それでもレイナは前任者の記憶を頼りに、懸命にナイフを合わせる。

 

 しかし能力差は歴然。決定的な一撃こそ紙一重で避けていたが、徐々に追い込まれ余裕がなくなる。そしてクライスの強烈な切り上げによって片方のナイフが弾き飛ばされる。体勢を崩したことで均衡が崩れる。すかさずガラ空きになった胴にクライスの突きが入る。


「死ねええええええ!」


 その致命の一撃に対してレイナが行ったのは、前進。

 

――ブルーさん、頼ってばかりでごめんなさい。だけどもう一度、力を貸して!


 クライスの剣はレイナの横腹を貫く。呼吸が止まる。それでもレイナの心が、前任者の魂が叫ぶ、進めと。信じろと。だからレイナは覚悟を決める。自分の腹に刺さる剣の根元に予備のナイフを押し当て、強引に横に逸らす。自分に刺さった剣を自らの体を切りながら外に追い出す。その狂気と大量に吹き出す血によってクライスの視界が奪われる。思考に一瞬の空白が生じる。

 動きが止まったクライスに対してレイナは最後のナイフを投げ捨てさらに一歩を踏み出す。同時に暖かい光が腹部を包み新鮮な空気が肺を満たす。


 超高速の回復魔法。


 ブルーを信じていたからこその捨て身の前進。その執念が遂にクライスを捉える。


「なっ!?」


 クライスの懐に入ったレイナは右手に力を溜める。竜の牙と名付けられたそれは、実際には体の一部を強化するだけの単純な技である。だが単純だからこそ強力。レイナは前任者達から受け取った想いと力を右手に乗せる。そこに何度も助けてもらった暖かく優しい力が上乗せされ何倍にもエネルギーが膨れ上がる。

――ありがとうブルーさん。


「竜牙っ!!!!」


 全ての想いをのせた掌底がクライスの顎を捉える。最大まで強化されたクライスの体が浮き上がり脳を揺らす。平衡感覚を失ったクライスは着地に失敗し、遂に膝をつく。

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