第26話 偽物
「……ここは?」
レイナが目を覚ますと、そこは石の壁で囲まれた巨大な空間であった。写し身から生まれた化物によって意識を絶たれ、そのまま運ばれてきたレイナは、記憶が混濁し酷く混乱していた。
「目が覚めましたか?」
声のした方を振り返ると見たことのある男が二人立っていた。現国王フォルテと、その王兄たるクライス。国難たるこの状況をなんとかしようと奮闘する気高き王とそれを支える兄。この国で絶大な人気を誇る男たちである。
――あぁ……やっぱり
レイナは未だに混乱していたが、この二人が敵であることだけは分かった。一連の出来事の首謀者は誰か。竜神は最後まで敵の名前を伝えなかったが、レイナには薄々分かっていた。むしろ状況を考えれば王家の者しか考えられなかった。しかしそれを知ってレイナに危険が及ぶことを恐れた竜神は、最後まで自分から真実を伝えることが出来なかった。
「あまり驚いておられないのですね?」
国王の皮を被った悪魔が丁寧な口調で問う。
「驚いております。国を率いるべきあなた方が、このような事をするとは思っておりませんでしたから」
「黙れ小娘」
反抗的な態度をとるレイナをクライスが魔法で縛る。
――こ、声が出せない
「すみません、兄は血の気が多くて。でも誤解なんですよ。我々もずっと悩まされてきたのです。竜神様を名乗る偽物に」
ぬけぬけと虚偽を伝えるフォルテを、レイナは喋れないながらも懸命に睨む。しかしフォルテの次の言葉で自身の考えが揺らぐ。
「本物の竜神様なら私の中におります。嘘を見抜けるあなたにならわかるはずだ」
――ど、どういうこと?
国王フォルテから伝わるのは確かに嘘偽りない誠実な感情であった。まるで作られたかのようなノイズのない感情。レイナの特殊な能力故に騙される。そして隙が生まれる。悪魔の暗示が入り込む隙間が。
「あなたに宿っているのは残念ながら竜神様ではありません。偽物です。あなたは言葉巧みに操られていたのです。その結果こんなにも沢山の方が死んでしまうなんて……」
本当に悲痛そうな声を出すフォルテ。その言葉を聞いてレイナは状況を思い出す。
――そうだ子供達!!
声が出せないながらも目を見開き、状況を教えてくれと訴えるレイナに、フォルテは首を振る。
「私達も助けようとしたのですが、間に合いませんでした」
――そんな……
さらにフォルテが悲痛そうに伝える。
「残念ですが、あなたは今回の事件の首謀者と考えられています。あなたが力を使って竜神様の偽物を操っていたと」
――ち、ちが
「ええ。わかっています。あなたは騙されただけだ。ですが結果的に沢山の人を殺してしまったのです。その罪は償わなければなりません」
――私が……殺した?
悪魔の言葉が毒となり、徐々にレイナの心を蝕む。正常な判断ができなくなる。
「そうです。罪のない沢山の人を、本来守るべき子供達を殺したのは、あなただ」
――私が殺した……私が弱かったから……そうかも……そうだ……私が殺したんだ……
毒が回り意識が沈む中、自分の中から声が聞こえる。
(レイナっ! 気をしっかり持て! これは攻撃だ! 奴の言葉を聞いてはならん!)
――竜神様?
「おやおや、往生際が悪い。まだ偽物からの声が届きますか。なんと滑稽で見苦しい」
――偽物?
「そうです。それは偽物です」
(騙されるな! 心を強く持つんだ!)
「だってレイナさん、その偽物はあなたの一番大事なモノを奪ってるじゃないですか?」
――大事なモノ?
(やめよ! やめてくれ!)
「ねぇ、レイナさん…………あなた、自分の両親のことを覚えていますか?」
――両親?
「思い出せない。いえ違いますね。覚えているけど感情を伴わない。違いますか?」
――私の両親は死んだ……はず。二人ともどこかに行ってそのまま帰ってこなかった……それで私は悲しくて? あれ? なんで私は悲しくないの?
「あなたのご両親に対する気持ち、愛しいという気持ち、悲しいという気持ち、それを全て奪われたのです」
――奪われた? なぜ? どうして? それは大切なものなの! 返して!
毒が染み渡る。
「奪ったのはそこにいる偽物です。そいつがいる場所は、本来あなたの大切な想いがあるべき場所だ」
それはある意味で真実。なぜならレイナの心の穴を埋めていたのは紛れもなく竜神であったのだから。
――竜神様が奪った?
「そうです。だからそいつを追い出しなさい。そうすればあなたの両親への想いは帰ってきます。その後は罪を償いなさい。大丈夫、今度はあなたも両親と同じところに行けますよ」
――偽物を追い出す?
「強く願いなさい。こんなものいらないと。そして唱えるのです『契約を破棄する』と」
――そうだよ、もう頑張ることないよ。返してもらおう、お父さんとお母さんの思い出を。大切な想いを。それでみんなに会いに行こう……
その願いに応えるように、それまで頑なに動かなかった口が動くようになる。これこそが悪魔の狙い。竜神の心を折る最後の一手。最後の適合者であるレイナによる契約の破棄。竜と民全体との契約である以上、レイナ一人が破棄を宣言しても本来であれば効力を持たない。だが魂を削られ続け、目の前で守るべき民を何度も殺され、そして最後の適合者に要らないと宣言されたならばどうなるか。その気高さを、その清廉さを保てない。だから悪魔は魔法でレイナを強制しない。暗示を使ってあくまでレイナの意思によって契約を破棄させる。よく深く竜神を堕とすために。そしてそれはほとんど成功していた。
「契約を」
――いらない。捨てよう。
「破棄」
――本当にいいの? 竜神様はなんと言っていた?
「す」
――自分のことが信じられなくなったら誰かを頼れって。
だがそこに想定外のノイズが混じる。思い出すのは無邪気なあの笑顔。そして怪我を治してもらった時にかけてもらった言葉。
――困ったことがあったらボクにも頼ってよ、今のボクは無敵だからね
今思い出してもよく意味がわからない。だけどその言葉は勇気をくれる。迷いを晴らしてくれる。
「暗示が解けかけてる。強制するぞ」
苛立たしげなクライスの言葉と共に、また体の拘束が強くなる。口が強制的に開かれる。
「ちっ、仕方ねぇか。きっちり剥がしたかったが、まぁ一文字くらいならなんとかなんだろ」
丁寧な口調をやめたフォルテが言い放つ。
最後の最後で暗示を解いたレイナは理解する。竜神が言ったようにこれは攻撃。この言葉がトリガーになって竜神が奪われる。だから歯を強く噛み締め、血を流しながら抵抗する。
「くだらない抵抗をしやがって」
だが出力を上げたクライスの魔法に遂に口を開いてしまう。
「…………る」
その言葉と共にレイナから力が抜け出る。レイナから剥がれた魂のカケラが力なく漂う。
「【拘束】」
そしてそれは魂を喰らう悪魔によって簡単に捕まる。フォルテは魔法の鎖で縛られたソレをゆっくりと手繰り寄せ、無造作に掴むと口の中に放り込んだ。
「あ〜む。うめぇぇぇ! なんつー濃厚な絶望だ、クセになっちまいそうだぜ」
目の前で全てを見ていたレイナは膝から崩れ落ちる。
そして空間が歪む。
「……な、に?」
拘束を解かれたレイナが異変に気付き声を上げる。
「言ってなかったか? ここは寝所、つまり竜の寝床だ。存在の次元が違うから普段は見えねぇがな。だけどたった今契約が切れた。そら、姿を表すぞ」
悪魔が機嫌良く応える。
「死ぬ前に見ていけよ! お前らが何を崇めていたかをな!」
歪んだ空間から徐々にその姿が顕になる。黒く巨大で禍々しい塊。太い手足から鋭い爪が生え、体からも無数の突起が生えていた。頭には九つの目があり、四つに分かれた口からは毒液が溢れ出ていた。
壊し殺すためだけに作られた兵器。写し身とは似ても似つかない冒涜的な姿。
しかし身体の一部、首の下あたりの鱗が少しだけ剥がれているのを見て、これが本当に竜神であることを理解する。
「竜神……様……」
九つの目が一瞬だけレイナを捉えた気がした。だがすぐにそれはクライスとフォルテの方に向き、低く重たい、そして機械的な声を発する。
「契約ヲ終了シタ。コレヨリ待機モードニ移行スル」
「これだ……これこそ私が求めたものだ! 竜神の意思などという紛い物とはまるで違う、本物の力だ!」
クライスが興奮して叫ぶ。
「かっかー! こいつは大当たりだぜクライス! こいつは量産型じゃねぇ、ユニークだ! 神が自ら設計した正真正銘の化物だ!」
「あぁ、まさに私に相応しい。おい竜よ、私と契約しろ! お前の全てをよこせ!」
どこまでも傲慢なクライスの態度に、しかし意思なき兵器は不満を漏らさない。
「契約候補者ヲ確認、照合。種族、人間。契約内容、本機使用ニ関スル全権限。保有魔力、適合。存在進化ノ可能性、適合。最終承諾、不通。不測時対応ニ移行。最終承諾ヲ省略。契約候補者、個体名『クライス』ヲ、契約者トシテミトメル」
「血ヲココヘ」
クライスの前に魔法陣が現れる。親指を剣で切り、血を流す。
「契約ハ成ッタ」
「命令ヲ」
「ふははは! なんという力だ!」
「最初の命令はこの街の人間、その半数を殺すことだ! あぁ、だがこれはテストも兼ねているからな。いくつかの方法を試しながら殺そうではないか。とりあえずついてこい」
「……了承シタ」
竜神様を奪われた。しかも竜神様に街の人を殺させる? 目の前で起きようとしていることに絶望し、レイナはただ無力に懇願する。
「お願い、やめて……やめてください。竜神様にそんなことさせないでください」
「まだ居たのか? もうお前に用はない。消えろ」
詠唱もなく雑に放たれた炎の矢がレイナの体に刺さる。
「ほう。竜の魔力を自由に引き出せるのか、素晴らしいな」
クライスはレイナを一顧だにせず自らの新たな力に酔いしれる。
「かっかー。ますます人間離れしてんな、クライス! さてさてそんじゃま、報酬の時間だ!」
「あぁ今の私は非常に気分がいい。この街の半分と言わずに全員殺しても構わないぞ? この力があれば支配などどこででもできるからな」
「かっかー! 前にも言っただろうが!? 数より質だ! 自分達が崇めてきた竜神に虐殺される絶望に、遺されるものの絶望が加わって最高なんだよ!」
「はは、そうだったな。まぁなんでもよい、契約は成ったのだ。貴様の希望通りにしようではないか」
男達は平然と、それこそ今晩何を食べるか相談する程度の気軽さでこの街をどう蹂躙するかを話し合う。そしてレイナには目もくれず王宮の屋上へと向かう。竜は一度姿を消すと、王宮の上空に再度顕現し、これから蹂躙する街を睥睨する。
残されたレイナの目から涙がこぼれる。何もできずにただ死を待つだけの自分が情けない。子供達も、街の人も、竜神様も、父も、母も、何一つ守れなかった。何一つ取り返せなかった。焼かれた内臓が熱い。竜神の加護なき今のレイナではもうきっと数秒も持たない。
それでも足掻く。
生きている限り諦めない。竜神に選ばれた最後の魂が燃える。もう一度立ち上がる。そのために……この状況を変えられる者の名を呼ぶ。
「ぶ……る……さん……」
血が詰まって声が出ない。心臓が機能を停止する。それでも血を吐き出しながら懸命に言葉を紡ぐ。
「たす……け……て」
ブルーから貰った二つの鱗が光を放つ。
――どくん
失った血が、細胞が、優しい光を帯びて再構築される。心臓が動き出す。
手にしていた二つの鱗にヒビが入る。
同時にレイナの失った想いが蘇る。それは自分を愛してくれた優しい両親への想い。モノクロだった記憶に色が戻る。
そしてもう一つ、レイナの頭に誰かの記憶が流れ込む。それは一匹の魔物だけが知るレイナの両親の最期の記憶。
何もない洞窟、そこに傷ついた父と母が取り残されていた。そこは体が少しづつ分解される恐ろしい洞窟であった。自分の体が分解される恐怖に晒されながら、それでも二人は最期まで家族を想い、竜神を守ろうと足掻いていた。しかし遂に足が無くなり動けなくなると地べたに這いながら涙を流す。
「レイナ……」
最後まで自分を心配する声にレイナの胸が締め付けられる。そこに青くキレイな色をしたスライムが近寄ってくる。そして魔法をかける。それはつい最近、自分の傷を治してもらった時に見た光と同じ。
スライムは魔法をかける。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……。
だけど分解は止まらない。
「ありがとう……もういいよ」
母の強く優しい声。
「すまないね。面倒をかける」
父の真っ直ぐで柔らかい声。
その言葉を聞いてスライムは魔法を止め、震える触手で父と母の心臓を貫く。遺体が消え、後に残った二枚の鱗をスライムは大切そうに取り上げ自分に取り込む。頭に流れてきた記憶はそこで終わる。
かつ、かつ、かつ……
足音が近づく。
横たわるレイナに影がかかる。
出会った時とは構図が逆。あの時はブルーが横たわっていた。今はレイナ。
「レイナ、助けにきたよ」
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