第25話 ブルーが守ったもの

 空には怒り狂うワイバーンが飛び回り、地上では多くの人間が悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。ブルーはその地獄のような光景の中を走りながら、廃棄ダンジョンで出会った、ある人達のことを思い出していた。



 その人はずっと謝っていた。王として民を守ることが出来なかったことを、父として息子を導くことが出来なかったことを。そしてこれから始まる悪夢を止められなかったことを。今なら分かる。彼が最初。これは彼から始まったのだ。



 その後も次々やってきた。



 ある男は出口を求めてひたすら前へと進んだ。足が使えなくなっても、手だけで這いながら少しでも前へと進んだ。

「ミリー……今、帰るからな」

 その願いが叶わないことを知りながら、それでも最期までその瞳に浮かんだ決意が失われることはなかった。



 ある夫婦はすでにボロボロに傷ついていた。王族の悪意に立ち向かった二人は戦いに敗れ、傷だらけのまま廃棄ダンジョンに棄てられた。身を寄せ合い一縷の可能性を信じてダンジョンを進んだ。そしてそれ以上進めなくなると、抱き合い、残してきた娘を思って涙した。

「レイナ、ごめんね……」

「どうか俺たちの分まで強く生きてくれ」



 皆、誰かを思い、誰かのために生きたいと願い、それが叶わないと分かると、悲しみに暮れ、自分の無力さを嘆いた。しかし誰一人として他者を恨むことはなかった。その気高き魂は最期の瞬間まで穢れることはなかった。


 そんな彼らをブルーは殺し続けた。誰よりも自分の無力さを嘆きながら、震える触手で彼らに終わりを与えた。そうしなければ彼らの想いを残すことができなかったから。消えていった彼らが残したのは一枚の鱗。気高き魂のほんの僅かなカケラ、一匹の竜の加護によって守られたそれを、ブルーは大事に大事に自分の中に取り込んだ。


 そして今、ブルーの中でその気高き魂の残滓が存在を主張する。

 

 ――今度こそ守りたい!

 

 ブルーは思いに応えるために広場の時計台の上に登る。彼らの思いとブルーの思いは同じ。すでに二枚の鱗はレイナに渡してある。一つを除いたその他の鱗を今ここで解放する。そして彼らと共にこの街を守ってみせる。それがブルーにできるせめてもの償いであると信じて。


 ブルーが廃棄ダンジョンで手にした遺品はブルーの中で厳重に守られている。分解から守るために延々と回復魔法を重ねられたその空間は、いつしか完全に異界化し、かつてのブルーは自身でさえ取り出すことができなくなっていた。それをローズは解析し、アクセスするための魔法を創り、それをブルーに根気強く教え込んだ。いつかブルーが自分の意思で返せるようにと。

 

 ――あなたは、あなたのやりたいことをしなさい。あのダンジョンでできなかった、あなたが本当にやりたかったことを。


 ローズの言葉を思い出し、その心臓のカケラを握りしめブルーは詠う。


『ボクは約束を果たす者。試練に挑みし魂を讃え、在るべき世界へ還すため、彼の地の扉を開かん』


 魔法の名前は【約束】。

 

 虚空に美しい鱗が次々と現れる。月の光を反射させキラキラと光る無数の鱗に、ブルーは自身の力を分け与える。


「一緒にみんなを守ってほしいんだ」


 その言葉に頷くように、暖かい光に包まれた鱗は方々へと飛び立つ。向かう先は街に飾られた写し身。遺された家族、恋人、友人、そんな縁ある者が作った写し身。その器に魂のカケラが宿り、仮初の命が吹き込まれる。竜神祭の今日、街に器たる写し身があふれ、生と死が曖昧になる今夜だけの奇跡。


「…………おかえり、アンタ」


 ミリーの頬を涙が伝う。ミリーが作った小さな写し身が力強く羽ばたく。ブルーとお揃いの刺繍が誇らしげに光り輝く。


 ――ありがとね、ブルー。


 涙を拭ったミリーが写し身に向かって喝を入れる。


「さぁ、なにボケっとしてんだい、アンタ! あの子を、ブルーを手伝ってやんな!」


 その言葉と共に百羽もの写し身が一斉に空に舞い上がる。


 逃げ惑う人々はその光景を見て足を止める。写し身は光の線を引きながら素早く空を駆け巡る。その光は地上へと降り注ぎ、傷ついた民を癒す。


「竜神様だ!!」


 誰かのその声をきっかけに、次々と歓喜の声があがる。竜神様が助けに来てくれた、もう安心だと。


 ブルーは時計台の上から街の様子を伺う。次の瞬間、孤児院の方から一際大きな衝撃音が響く。思わず駆け出しそうになるブルーをローズが止める。


(大丈夫よ)


 その優しい声に導かれるように、孤児院の近くで回復の光が灯る。その光を見てブルーは落ち着きを取り戻す。レイナに渡した二枚の鱗。あの二人ならレイナも子供達もしっかり守ってくれるはず。そこにミリーが作った写し身を先頭にいくつもの写し身が孤児院の周りに回復の光を届ける。


 ――大丈夫、みんなが守ってくれる。だからボクは自分のできることをやろう。


 ワイバーン達は突如現れた作り物の竜の群れに戸惑っていた。僅かに竜神の気配を持ったその作り物は、自分達が壊した人間を癒している。竜神を弱らせたのはこの人間達ではなかったのか、まさか間違っているのは自分達なのか、湧き上がる疑問によって悪魔の暗示が徐々に薄れていく。さらに追い討ちをかけるように旋回する彼らを暖かな光が包む。全てを癒すその光はワイバーン達にかけられた暗示を完全に振り払う。そしてその光の起点たる蒼髪の少女から思念が届く。


(君たちはお家におかえり。竜神様のことは大丈夫、ボク達に任せておいて)


 人間の姿をしたナニカ。自分達よりも遥かに上位の存在。魔物だからこそ彼らはそのことを本能で感じ取ることができた。そのナニカが任せろと言うのであれば、彼らに従う以外の選択肢はなかった。まるで首を垂れるように彼らは静かに森へと帰っていった。

 

 ワイバーンが帰った後もブルーは集中を切らさない。空を舞う写し身と感覚を共有し、街の隅々まで気配を探る。逃げ遅れている人はいないか、他に怪我をしている人はいないか。ダンジョンの中では一人も救えなかった。


 だから、今度は一人も取りこぼさない。


 その決意がブルーの魔法をさらに洗練させていく。そして宣言通りブルーはこの街の住民を守ってみせた、誰一人死なせることなく。

 

 残すはあと二人。レイナと竜神を救うためにブルーは王宮へと向かう。

 

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